危険と保険

――王国歴1484年 4月 ラミッツ大収穫祭 午後一時


 エスパーダのルドルは、スルト城東に位置するエレンス山の麓、護封ごふうほこらに到着した。ルドルが引き連れていたのは、側近であるエスパーダ二名と歩兵百名の少数部隊であった。


 護封の祠は、スルトの原魔結晶石が鎮座している国家の重要建造物である。エレンス山の麓にぽっかりと空いた直径十メートル程の横穴があり、これを百メートルほど進むと高さ八メートルの大扉がある。大地の色から突然に、真っ白に塗りつぶしたような大扉があるので、幻想的を通り越して気味が悪い程の神々しさである。

 護封の祠の手前には防衛の砦があり、これを守る役割を果たしている。スルト軍が七百人ほど配置されており、これに加え、ミクマリノの軍勢五百人が予備隊として砦出入り口付近に配置され、護封の祠を守護していた。


 ラミッツ侵攻作戦の同盟国であるミクマリノ軍が行軍の中継基地、及び防衛拠点として簡易的な野営基地を、砦近辺の比較的平坦な地形に設営し始めていた。基地の前で指揮をとっていたヘルドット大尉が、今しがた到着したルドルに気がつくと、敬礼をした後に歓迎をした。


「ミクマリノ国軍第三中隊長のヘルドット大尉です。その腕章はエスパーダの方々とお見受けしますが……」


 エスパーダの存在は、ミクマリノ軍の本作戦会議の中でヴィクト参謀総長が事前に各隊長以上の人間に伝えていた。


「スルトの極秘実行部隊で、得られている情報は腕章のみです。まあ、存在以上の情報はこれと言って不要ですから、見つけても下手な詮索はしないように」


 と、得体の知れない部隊に警戒を含めた釘を刺した。実のところヴィクトは、エスパーダの詳細をバーノンから聞いているが、その情報が上手く作用しない事を考えて、必要のない情報は与えなかった。


「その通り、エスパーダのルドルだ」


 ヘルドットが握手の手を差し出したが、ルドルは一瞥しそれを断った。


「気を悪くするな。戦場では人と触れ合うことを極力避けている。特に魔導士の握手はね」


 ヘルドットは、こめかみを人差し指の爪で掻き、困った様子でルドルを見る。


「そんなに警戒しないでください。共同戦線なんですから。ただの挨拶ですよ」


 それでもルドルは頑なに握手をしない為、やれやれといった具合に、ヘルドットは手を引っ込めた。


 近辺に居たミクマリノ軍の兵士達は、明らかに風格の違うルドルの到着に少し困惑した様子で、どこに案内するかなどをルドルに聞こえるほどの声で話し合っていたが、ヘルドットが一喝し、作戦本部がある基地内の最奥に案内をした。

 ルドルは本来であればスルト城に戻り、バーノン大王を護衛する役割であった。しかし、昨日の奇襲作戦の出発の際に、アンの提案からバーノンを通じて、護封の祠の守護を特命として与えられた。当然これは、ミクマリノ軍はおろかスルトの正規軍にすら伝えられていない極秘任務であった。その為、先程のルドルの突然の来訪に、ヘルドットをはじめミクマリノ軍の狼狽した姿は至極真っ当であると言える。


 ミクマリノの建設する防衛拠点は、武器などを収容するための施設は木造、それ以外は布で出来たテントが主な建築物であった。テントは独特な構造で、外見は円形で潰れたパンのような様相、内観は中心に二本の柱が建っており、屋根は中心の柱から放射状に伸びた梁が渡っていて、その梁の上から布が被せられている。

 ミクマリノのとある遊牧民が発祥とされるこのテントは、設営にかかる時間が非常に短く、その速さは大陸一である。この基地もたったの二時間程で完成させた。

 ルドルと側近の二名は、作戦本部のテントの中に一度は入ったが、ミクマリノ兵が紅茶を運んでくるころには、既に外に出ていた。ルドルは念のため、構造を理解する目的でテント内を見る必要があった。


 アンからの特命は、「原魔結晶石の危険を察知し、それに対処する」というシンプルなものであった。当然これは、ルストリア、ラミッツから原魔結晶石を守る任務の命令であるが、ルドルは「危険を察知し」という言葉に不特定多数の何者かを含む意味合いがあると解釈した。

 それは、シーナの伏兵が潜んでいるという可能性もあれば、ミクマリノが何か策を講じていれば危険になり得る、スルト兵が何者かに懐柔かいじゅうされて操られる可能性だってゼロでは無い、そういった含みを感じたと言い換えられる。

 ルドルは側近の二名を砦で待機するように命令すると、ミクマリノの野営基地と砦の間にあった、ちょうど良さそうな岩場にカタナを下ろし、腰をかけた。ラミッツへ向けて行軍を進めるミクマリノ軍勢の大量の足音がスルトの空に響いている。


 ミクマリノ軍は、スルト領土の中心ラインを通り、ラミッツ側の国境線へ向かい、スルト本軍と合流する手筈で動いていた。これはルストリアに気取けどられずに、密かに軍隊をラミッツへ向かわせる為の策である。既に行軍は進んでおり、先発隊はラミッツ国境線に着く頃合いだ。

 要所になる地点に補給地点を設置し、中隊規模を防衛役に残して、残りの四万余りの軍勢は行軍を続ける。特にこの護封の祠地点に関しては、他よりは多少人員が厚く配置された。

 この予定を把握しているルドルはその光景を見て、ミクマリノ軍の人数が何となく既に少ないように感じたが、シーナ領土を経由した挟撃ルートにも、軍力を割き向かっていると説明を受けているので、そこに関して別段、何か思うことはなかった。

 ただ一つ、ヘルドットの言動に「何故エスパーダがここに来たのか」を探るような言葉が一切なかったことには違和感を覚えた。ヘルドットは動揺した様子はほとんどなかったが、反ってそれが気持ち悪さを残していた。


「私が来て何か不都合があるのか? それとも予期していたのか?」


 ルドルは一人でそう呟くと、アンの保険としてここへ来た意味が、生まれる予感がした。

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