大王の怒り




 すっかり夜も明け、大収穫祭当日の朝を迎えた午前九時頃――。


 爽やかな晴天の下、青白く光る馬が凄まじい速さで馬車をひいている。


「だーっ! 退屈だ。死ねよ!」


 ボルグは馬車の中から唐突に御者に向かって死を命令するが、御者は懸命に聞こえないふりをしている。隣に座るバルグは、ボルグの肩に寄り添い退屈と戦うその横顔を眺めている。


「あとどれくらいで国境要塞に着くんだぁ?」

「お前のそういうところ好きだわ。無邪気なところ。恐らくあと一時間ほどだと思うよ。一応、開会式の花火には間に合いたいからね」

 

 既に彼らは馬車で九時間以上走り続けている。エスパーダの魔導兵達が馬に特殊な加速の魔法を施し、潰れるまで走らせ、予め設置していた中継基地で馬を変えては、これを繰り返し、最速で移動しているため、本来であれば二日かかる道のりを、十時間という脅威の速度で移動していた。


「今回の任務はスピードが求められている。国境線はでぶち破るとして、それでもあまり時間はかけられない」


 そう言うバルグは、馬車の窓から見える国境線に続くブランドラッツ平原を眺める。そのバルグの顔を覗き込んで、ボルグが楽しそうに尋ねた。


「今回は大奮発だなぁ、何発持ってきた?」

「もちろん、限界まで。お前も、この先の国境要塞でしておいたほうがいいよ。今回は特に包囲してないから何人か逃げる奴がいると思うし、そいつを頂くとしよう」

 

 ガラガラガラ、とボルグの渇いた笑い声が馬車に響く――それに続くようにバルグもクスクスと笑う。

 

 二人はスルト国軍王直属部隊エスパーダの筆頭であり、それは即ちスルト国内での実力がトップクラスであることを意味する。しかし、エスパーダの存在は国外には知られておらず、このような争い事が起きなければ表舞台に上がることはない闇の住人でもある。

 当然、スルトの誇る武術大会や魔術大会に参加することもない。戦力が他国に知られると言うことは、リスクでしか無いのだ。

 双子の兄弟は、同じ肉体を持っており、身長は百六十五センチで、歴戦の戦士のようなゴツゴツとした骨格を持ち合わせてはいない。また、目立った傷やホクロなども無く、笑い方以外で二人を見分けることは難しいという。大人しそうな見た目で、それこそ軍服を脱いでしまえば、小柄な彼らは、一般人にしか見えない。

 

 そんな彼らの小柄な身体には驚くべき秘密がある――。


 生まれつきの遺伝子の変異によるもので、これにより常人の筋肉量の数倍をその身に宿している。このような類稀な肉体を持った二人が、同時に同様の遺伝子変異を持った状態で生まれたことを表現する言葉があるとすれば、『奇跡』に他ならない。


 大陸の国境線は、多少の差異はあるものの基本的には背の高い壁によって仕切られている。ここラミッツも例に漏れず高さ六メートルほどの岩壁が国境線上にあり、北はスルト、東はルストリア、南はシーナへ通じる門と、それを守る国境要塞がそれぞれに設置されている。ラミッツ、スルト間の国境要塞では既に警備網が敷かれていた。

 昨晩のスルトでの異変は、ラミッツ国境要塞の観測台からも当然目撃されており、それの事情を聞こうとラミッツ側の国境警備隊がスルトの警備隊達を探し回ったが、これがどこにも見当たらず、この国境線にはラミッツの警備隊のみとなってしまっていた。

 この状況自体が異常事態なので、国境警備隊は真夜中ではあったが、急いで伝令を飛ばして、伝え回れる範囲で近隣の軍隊を一度国境線に集めるよう手配し、国境線の警備を厚くすることになった――。

 

 しかし、この機転の利いた行動が結果としては悪手となる。


 国境要塞を目前に捉え、馬車から飛び出し、並走する早馬に乗り換えたバルグが颯爽と駆けていく。

 大収穫祭の開会式の花火が上がり始めるのを遠くで確認し、バルグは右手の杖を掲げ、魔法の詠唱を始めた――。


「思考するさかずき

 地を這う柩

 白銀の剣

 沈黙のグリモア

 万象の歯車

 虚空から出でし亜空の門よ

 開門せよ!

 リベラ・マーギャ・ガルダ!」


 国境要塞まで五百メートルというところまでくると、警備をしていたラミッツ兵がようやくバルグに気づき、警戒しだす。が、既に詠唱を済ませたバルグは、馬を止めて薄ら笑いを浮かべていた。

 まもなく、国境要塞の周りがぼんやりと発光し、突如として魔法陣が浮かび上がった。これはスルト軍魔導兵の伏兵が昨晩のうちに仕上げていたものであり、更にはこの時まで誰も気づかぬよう、巧妙に隠されていた。

 この恐ろしく連携の取れた戦略は、たった一つの合図でのみ行われていた。


『大王の怒りを確認次第、次のフェーズに順次移行せよ』


 たったこれだけの単純な指示。だが、それ故に迅速でもあった。何より、あの空まで昇る火柱にスルトの軍人が全幅の信頼を置いているからこそ成せる業である事は、言うまでもない。


 軍事力がさほど高い国ではないラミッツは、魔導部隊も他国に比べれば少数である。そのうえ、大収穫祭での王都の警備に、そのほとんどを費やしてしまう関係上、この期間中の国境要塞の警備はスルト側が多くを担当していた。スルトの魔導部隊が、魔法適正の無いラミッツ兵の目を盗み、魔法陣を描き、隠蔽する事など造作もないことであった。

 詠唱から間もなく、国境要塞は地面から噴き出る直径五百メートルにも及ぶ火柱によって飲み込まれ、地面は陥没した。急遽人数を多く配置した三百余名の兵士の未来は、黒い消し炭となって空に舞い上がった。爆炎が収まった国境線には、虫食いのような穴が空いた。城壁は二メートル弱の厚さであったが、どうやらこの魔法には関係が無いようだ。

 ボルグも馬車から降りては、魔法の射程外に逃げた人間が居ないか、目を光らせていた。ラミッツ王都の方角に走っている兵士を二人見つけ、早馬に乗り換えると、それを追いかけて即座に捕縛した。


 捕らえた二人の兵士の両腕をへし折り、目隠しをして、麻縄で猿轡さるぐつわをはめ込みんで仕上げた。抵抗する様子は無かったが、鉄格子の荷馬車に乗せる前に、額に焼きごてで、フェフのルーン文字を刻印すると、より一層静かになった。

 バルグはボルグの元へ合流し、二人は荷馬車に乗り込んだ。それから捕らえた兵士達に対して、二人は声をピタリと合わせながら詠唱を始める――。


「イング 血の契り

 エキ 魂の誓約

 曲解の聖典を開き この者にくさびを与えよ 

 ヴィダ・アルター!」


 すると、二名の兵士の額のルーンが薄い緑色に発光した。何か魔法をかけたようだが、捕らえられた者達には特に何の変化もない。バルグは大きな溜息を吐きながら荷馬車に横になった。


「ふうぅ……流石に疲れたわ。一度に魔法を使いすぎた」


 ボルグも横になりバルグの手を握る。


「楽しみで仕方ねぇなぁ。ラミッツの侵攻はよぉ。捕まえて、殺して、殺されて、殺して、ああ、おい、たまんねぇよなぁ」


 バルグは、高揚するボルグの顔を見てうっとりとしている。


「お前のそういうところ好きだわ。戦いに狂っているところ。恐らく、この先のルストリア軍駐屯基地で交戦することになると思う。昨日の基地とは違って、流石に厳戒態勢だろう。俺の残りはあと三発、お前のストックはこいつらを含めて八人。できれば次の戦闘までに、お前のストックは増やしたいところだよ」


 ボルグの頭を優しく撫で、やがて二人はゆっくりと目を閉じ、眠りについた――。

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