第299話 社長とサシ飲み

 私は行きつけのおでん屋さんのオヤッサンにお願いして、個室を貸していただきました。

 そこで、社長と二人でサシのみをしております。


 一社員である私などが社長と二人で飲むなど、本来はおかしいと思っておりますが、今回は社長の真意を聞きたいと思ったのです。


「ご足労ありがとうございます。社長」

「もう、私は社長ではないよ。阿部君。気楽に松下と呼んでくれ」

「いえ、私とっては社長はいつまでも社長として、思ってしまうのです。なかなか抜けませんね」

「ふふ、君らしいな。それで? 話とはなんだね」

「はい。今回の会社の件です。大変ご迷惑をかけてしまいました」


 課長の件から、テレスさんの件までの一連を私はまとめて謝罪した。


「ふむ。あの時にも言ったが君が謝るようなことではない。今回の件もそうだ。結局は犯罪者になりながらも株券を手放すところを外資に持って行かれたに過ぎん。日本の企業としてよくあることだ。たまたま君が所属していて、君を欲する人物が会社を買い取った。それだけのことだよ」


 社長は冷酒を一気に飲み干して、温かいもつ煮込むを口に含んだ。


「うん。上手いな。日本食はやっぱり世界でも通用する味だ」


 社長の顔が綻び、私は自分がどれだけ迷惑をかけてきたのかと反省してしまう。


「うむ、まだ納得していない顔をしているようだから、言うがね」

「はい」

「人生は自分が主人公だ。私は家族によって失敗してしまったが、会社を起こして成功させる。そして、軌道に乗せた私の人生は素晴らしい物だった。君たちが引き止めてはくれたが数年もすれば、私は引退する歳だったのだ。それが数ヶ月の優しい夢を見た。後輩に、社員に慕われている自分だと思えた」


 人生は自分が主人公。


 そして、社長は自分の道を歩み切った。ということでしょうか?


「満足しているのだよ。自分はやれるだけのことをやった。そして、君という人材を育てたことで、海外からも我が社を買いたいと思わせるだけの会社にしてやったんだとね。副社長として残っているのも、ただ、仕事の引き継ぎをするためだ。本来なら課長たちの一件で退くつもりだったのが、経営陣が変わることで存続できるなら、私は満足なんだ」


 そうか、私は私を主人公だと思って、多大な迷惑をかけたと思ってきた。

 だけど、外資に買い取られて、現在働いている社員は、満足する仕事ができて、社長の気持ちは充実している。


 本当に私は株式を買い取ることで、会社を取り戻したいのか?

 自分が、それを成した時。

 私は社長と同じ情熱を持って、会社に全てを捧げて身を粉にして働くのだろうか?


 昔のブラック商事なら、何も考えないで私は仕事だけに従事していた。

 だが、ミズモチさんに出会い。

 カオリさんとお付き合いして、数々の経験を積んだことでわかることもある。


「社長に後悔はないのですか?」


 私は恨み辛みや後悔を聞かずにはいられなかった。


 もっと、馬鹿野郎! なんで、お前のせいで会社が取られないといけないだと言われると思っていた。


「ないと言えば嘘になる。もっと会社を大きくできたんじゃないか? もっといい会社にできたんじゃないか? もっと私が気づいていれば、違った結果になったんじゃないか? だがね。阿部君。後悔をしない人間などいないんじゃないか?」


 あっ! 私も後悔の多い人生でした。

 

 もっと早くミズモチさんに出会っていれば、もっと早く会社を変わっていれば、もっと早く自分を変えていれば。


 そう思うことは何度もあります。


「そうですね」

「だろ? だから、人の意見などどうでもいいんだよ。君が君自身がしたいと思うことをすればいい。すでに、あの会社は私の物ではないと私は思っているんだ。だから、君があの会社を欲しいなら、頑張ればいい。私の株券を売ってもいい。だが、本当にそれは君のしたいことなのかね?」


 社長の問いかけに、私はしばらく考えて答えを伝えました。


「社長には悪いですが、ブラック商事に勤めた二十年間は私にとって最悪でした! 良い思い出など何一つありません。冒険者として副業を始めたこの一年間だけが、私にとって唯一記憶に残る素晴らしい一年でした」

「くくく、そこまでかね?」

「間違いなくそこまでです」


 私たちは互いに笑い合った。

 それはこれまで二十年という時を戦友として、共に会社を支えてきた仲間だと思っているからだ。


 そう、私は初めて腹を割って社長に物申すことができた。


 大恩があると思ってきた。


 そんな私に社長は未練がないとハッキリ伝えてくれることで、私の気持ちを断ち切ろうとしてくれました。


 本当に、社長にはいつまでも頭が上がりそうにありません。


 社長と別れて、空を見上げると。


 夏の空は珍しく月が見えております。

 暑さは全く変わっていないのに、月は秋を知らせているような気がして、私に侘しさを感じさせてきます。


 ここは私の運命を変える分岐点なのでしょうね。


 新たなことを始める決意をしなければいけないようです。

 

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