第21話 戦いの火蓋

 田中の新たな扉が開けた頃……女子風呂にて。


「ねぇ、詩織。今なんか聞こえなかった?」


 男子風呂の方から、魂の叫びが聞こえた……ような気がした。


「そう? 気のせいじゃない?」


 特に気に留めた様子もなく、若月は衣服を脱ぎ捨てていく。


「そっか。気のせいか」


 それに倣って緋川も服を脱ぎ、フェイスタオルで前身を隠しながら、風呂場に繋がる扉を開いた。

 むわっと湯気が駆け抜け、広々とした大浴場が視界に入る。

 早めに来たつもりだったが、既に何人か湯船に浸かっていた。

 緋川は洗い場に移動し、カランを捻ってシャワーで身を清める。熱い湯が、汗ばんだ肌を、豊かな双丘を、細い腰を撫でていく。

 若月はその様子をまじまじと眺めて——


(なんか……エロい)

 

 ただシャワー浴びているだけなのに。

 そんな親友の心情など露知らず、緋川はボディソープとシャンプーで身を清めると、泡をシャワーで洗い流して岩風呂へ向かった。


「ふぅ……」


 湯船に身を沈めると、自然と息が漏れた。

 長時間移動。バイトの研修。店の清掃。

 身体からだに蓄積された疲労が、湯に溶けていくようだ。


「理佐、日焼け大丈夫そう?」

「ン、平気。詩織が貸してくれた日焼け止めのおかげかな」

「あれ普段使いもできるし、値段も安いからおすすめだよ」


 緋川の隣で湯船に浸かり始める若月。


「前から気になってたんだけど、理佐の髪色って染めてるの?」

「これ? 信じられないと思うけど、地毛だよ。お母さんも同じ色してるから、たぶん遺伝なんじゃないかな」

「そうなんだ。まぁ、高校にも地毛が茶色の子っていたし……それと同じ感じなのかな」


 ——すると。


「緋川は髪色でも苦労してたもんね」


 ちょうど身体からだを洗い終えた一条が緋川の隣に入ってきた。


「髪色で苦労?」

「私と緋川が通ってた高校って普通の県立高だったから、髪を染めんの校則で禁止されてんだけどさー、緋川しつこく染めてる認定されてたんだよね」

「あー、そんなこともあったね。地毛だって言ってるのに、学年主任の先生黒く染めてこいの一点張りだったし」

「あの歳食ってるだけのおばさんね! 私あの先生嫌いだったなー」


 顔を思い出して、一条の顔が険しくなった。


「じゃあ、理佐って高校のとき黒髪だったの?」

「ううん。中学の卒アルと小さい頃の写真を見せたら渋々納得してくれた。他の先生達も説得してくれたし」

「そっか。なんかつくづく思うけど、理佐って……ほんとに苦労人だね」

「ほんとにそれ! でもさ、緋川って少し変わったよね?」

「ン、そう?」

「絶対そうだって! 高校の時はもっとこう、さ……なんて言えばいいんだろ……」


 事実をそのまま伝えるのは失礼だし、若月もいる。

 一条が頭を回転させて、必死に言葉を探していると。


「暗かった?」

「自分で言っちゃう!? せっかく言い方考えてたのに!」

「取りつくろってたって仕方ないじゃん。詩織もアタシの高校時代はある程度知ってるし、今までの友達とは違うから大丈夫」

(あ、バレてた……)


 どうやら緋川は一条の懸念を察していたらしい。

 そして唐突に。

 緋川は胸の下で腕を組んで、不敵な笑みを一条に向けた。


「でも変われたって言うなら、それは佐々木のおかげかな」

「——ッ!?」


 緋川の挑発に、一瞬だけ気圧される一条。

 すぐに気持ちを入れ替えて、同じように胸をしたで腕を組んで、笑顔を浮かべながら緋川を睨み返す。


「へぇ……じゃあ、ようやく私と同じラインに立てたわけだ」

「……は?」

「だって、玲くんのおかげで変われたのは私も同じだし。あ、でも、私もう高校生のときに好きだって伝えてあるし、私の方が一歩リードしてるか」

「告白ならアタシもしたけど?」

「はあ!? け、結果は……?」

「ンー? どうだったと思う?」

「フラれたんだ」


 迷わず一条は言い放った。


「でも佐々木との絆は深まったけどね」

「勘違いだったりして」

「それはない」

「ふーん……絆ってさ……もしかして家庭教師さんのこと教えてもらったとか?」

「……知ってたの?」

「女子で知ってるのは自分だけとか思ってた?」

「…………」

「…………」


 二人の視線が交差する間で、バチバチと火花が飛び散る。

 白い湯気が湧き立つ風呂場だというのに、なぜか極寒のブリザードに放り込まれたような錯覚を受ける。

 場に渦巻く緊張感。

 それは際限なく高まり……そして。


「じゃあ、今夜は女子会しよっか!」


 間に割り込んだ若月が、二人の戦いに待ったをかけた。

 緋川は若月を見た後……一条を睥睨して。


「分かった。一条、今夜は寝かさないからね」


 そう言い残して、浴場から去っていった。


「じゃあ、一条さん。そういうことだから、部屋で待ってるね!」


 その後を追って、若月も湯船から出て行った。

 一人残った一条。さらに湯船に身体を沈めて、天井を見上げる。


(いや、誤解を生みそうな発言しないでって) 


 僅かに感じる周りの女子からの視線。

 それら一切を無視して、一条は物思いにふけった。


(本当にすごいね、玲くん。高校のときの緋川と全然違うじゃん……)


 櫻大に入学できるだけの学力に加えて、あの人並外れた容姿。男女問わず、誰もが緋川に交流を持とうとした。

 でも緋川は常に一歩引いて、決して誰にも歩み寄らない。

 孤高と言えば聞こえはいいが、その実、彼女は常に一人だった。

 それはきっと……人一倍注目を集めるからこそ、そのぶん人の悪意に晒される機会が多かったから。

 一条は学力はそれほど高くないが、なんとなくそのことを察していた。

 きっとそれは、自分自身もその醜い悪意に晒された経験があるから。


(そっか……私と緋川って似てるんだ)


 いや、正確に言えば、似てない部分の方が圧倒的に多い。

 緋川にも自分にも辛い過去はあるが、それは誰しも同じ。


(でも……)


 助けてくれた人も、自分を変えてくれた人も、好きなった人も佐々木。

 恋敵ライバルになる運命だった……そう言われれば、たぶん私も緋川も納得してしまうだろう。


(強敵だなぁ……もっと性悪女だったらやりやすかったのに……)

 

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