第14話 不条理

「——おい」


 投げかけられた声だけで分かった。

 緋川と小金井がほぼ同時に声がした方に振り向くと、そこには佐々木が激情を抑えながら立っていた。


「何してるんですか……小金井先輩?」


 突然現れた佐々木に気を取られ、緋川の肩に置かれていた小金井の手が緩んだ。

 その隙を見逃さず、緋川はどんっ! と小金井に体当たりして拘束から抜け出した。


「うわっ! 理佐ちゃん!」

「佐々木!」


 緋川は一直線に佐々木の胸に飛びついた。

 すがるように佐々木の服をギュッと握って、嗚咽を漏らす。

 佐々木はその様子を見て、片手を優しく緋川の背に添えた。


「り、理佐ちゃん……? どうして……」


 戸惑いオロオロする小金井。

 佐々木はそんな小金井を睨みつけ、底冷えするような声で淡々と告げる。


「お前が緋川に何したのか知らねぇけど……とりあえずろくでもねぇ奴なのは分かった」

「——っ! 碌でもないのはお前だろ!? ずっと理佐ちゃんに付きまとってさ。俺に嫉妬でもしたの? そんな無理矢理な方法で、理佐ちゃんの心が俺から離れるとでも——」

「泣いてんだろぉが——ッ!」


 佐々木の怒声に小金井がたじろぐ。


「や、やっぱりお前は危険だ! 理佐ちゃんから……理佐ちゃんから離れろぉ!」


 目を血走らせた小金井が、右腕を大きく振りかぶって佐々木に突撃する。

 無駄な動作が多く、躱すのは容易いが。


「ちッ!」


 佐々木は緋川を抱え込むようにして庇い、小金井の拳を背中で受けた。


「さ、佐々木……!」


 緋川が心配そうに佐々木を見る。

 ——そんな不安そうな顔すんな。

 受けるつもりで受けた拳だ。痛みはあっても然程のダメージはない。


「やめとけ! 無駄に罪を重ねるだけだ!」

「罪? 俺は理佐ちゃんを守ってあげてるだけだ! 犯罪者はお前だろッ!?」


 小金井が再び拳を振り上げ、今度は連続で佐々木に叩き込む。

 鈍い音が耳に断続して届くたび、緋川の身体は怯えたようにびくっと震えた。

 

(こいつ……妄想激し過ぎだろ……っ!)


 嫉妬深い。ナルシスト。空想と現実の区別がなく、衝動的。

 どれもストーカーに見られる特徴だ。

 嫌がっていようが、恐怖心を抱いてようが、相手の感情を無視して自分の欲求を押し付ける。そのくせ思い込みが激しく、「本当は嬉しいはずだ」「これも愛情表現だ」と自分にとって都合の良い解釈しかしない。


 ——勝手に付き合ってることにされていた。

 ——好意を持ってることにされていた。


 などということは、ストーカー被害に遭った人の中では珍しくないのだ。

 するとそこへ。


「理佐ーーー! 佐々木ーーー!」


 突然、辺り一帯に声が響いた。

 小金井が拳を止めて先に振り返り、佐々木は緋川を依然庇いながら遅れて振り向いた。

 

「今の声……詩織……?」


 緋川は小さく呟く。

 そう、佐々木と小金井の視線の先には、息を切らした若月が立っていた。


(二度は見逃さねぇ!)


 佐々木は咄嗟に緋川から離れ、若月を唖然と見つめていた隙だらけの小金井に飛び掛かる。

 羽交い締めにして動きを封じるつもりだったが、小金井の抵抗で右腕は逃がしてしまった。

 右腕を振り回して、「離せ!」と抵抗する小金井。


「若月! 緋川を!」


 佐々木の意図を察した若月が一気に緋川の元に駆け寄った。

 

「理佐、怪我は?」

「アタシは大丈夫……それより佐々木が……」

「大丈夫、さっき大声出す前に通報しといたから。警察が来るまで耐えられれば……」


 二人が視線を向ければ、必死の抵抗に遭った佐々木が小金井の拘束を解いてしまっていた。

 さすがに体育会系。

 直接身体に触れた感じ、かなり身体ができている。

 そもそも持っている力が違う。

 佐々木は緋川と若月を庇うように立ち、小金井は恨めしそうに睨んでいる。


「お前……いい加減にしろよ?」


 佐々木にも我慢の限界がある。

 こめかみをビキビキさせながら拳を強く握る。


「それは俺のセリフだ。いい加減理佐ちゃんに付き纏うのをやめろ。俺と理佐ちゃんは両思いなんだよ。俺達の仲を引き裂くな」

「本当にそうか? よく思い返してみろ。緋川は一言でもお前を好きだって言ってたか?」

「俺は理佐ちゃんのことを一番よく分かっている! 言葉がなくたって俺と理佐ちゃんは心で通じ合っているんだ!」


 言いたいことは多いが、佐々木は努めてさとすように語りかける。


「それは勘違だ。そんな事実はお前の頭の中にしか存在しねぇ。赤の他人同士が何も言わなくても通じ合えるのは二次元の中だけだ」

「それこそお前の妄想だ」

「じゃあ、緋川が泣いてたのはどう説明する?」

「俺達なりの愛情表現なんだよ! いちいちケチをつけてくるな! 物事を表層でしか考えられないバカが!」


 空いた口が塞がらないとはこのことだろう。

 小金井には罪悪感が一切感じられなかった。


「そうか……」


 この時、佐々木は言葉による小金井の制止を諦めた。

 こちらの言葉は全否定し、不条理な妄想を捨てれない。

 だから言葉で上手く言いくるめることもできない。

 ——そう。あいつと一緒だ。

 そう思った瞬間……佐々木の中に暗い感情が湧き上がってきた。

 同時に緋川の姿に——かつて、自分が恋焦がれ、裏切られ、奪われた家庭教師の姿が、強烈に被る。

 こいつを止めなければ、奪われる。


「ってうか、理佐ちゃんが泣いたのは佐々木のせいじゃないのか? お前は理佐ちゃんに脅迫もしてるようだし……」


 すると、小金井が明らかな豹変を見せ、殺気立つ。

 そして佐々木に一歩ずつ近いていき——


「理佐ちゃんを解放しろ!」


 英雄気取りなセリフと共に、また大ぶりな動作で拳を振るった。

 また暴力か……どこまでもあいつと一緒だな……

 佐々木はどこか懐かしい感情に、理性も何もかも投げ出して、身を任せてしまいそうになって。


「佐々木……!」

(は——っ!?)

 

 まるで横殴りにされたように、緋川の声に脳を揺らされた佐々木が、慌てて身体を捻って小金井の拳を躱す。


(あほが! 何を昔のことなんて考えてるんだ!) 


 今は目の前のことに集中しろ……佐々木はそう邪念を払い除けて。


「小金井、警告だ。これ以上はやめろ」

「うるせえよ! 大人しく消えろ!」


 暴走したように暴れ回る小金井。

 だが佐々木はまるで意に介さず、淡々と言い放った。


「五秒待つ。その間にやめろ」


 最終警告の後、佐々木は五秒数えた。

 しかし当然のごとく小金井は止まらず、その拳が勢いよく佐々木の頬を殴りつけた。その瞬間——


を泣かせてんじゃねぇよ——ッ!」

「ぐは——ッ!」


 カウンターを狙った佐々木の拳が小金井の腹部に炸裂した。

 佐々木の一撃は鳩尾みぞおちを直撃し、小金井がその場で崩れ落ち、うずくまる。

 苦悶の表情を浮かべ、すぐに立ち上がる様子はない。


「うそ……一撃って……」


 呆気なく撃破された小金井を見て、若月がポツリと呟いた。

 だが佐々木はひどく冷静で、悶絶し転がりまわる小金井を、まるでその存在すべてを否定するかのような瞳で見ている。

 背中越しにその様子を見ている緋川と若月には、当然その瞳は見えない。


(……佐々木?)


 なのに緋川の胸中には煙のようなモヤがかかっていた。

 小金井を殴る直前、ほんの少しだけ、佐々木の様子がおかしかった。

 どこかその背中が……佐々木が……遠くに行ってしまうような……そんな漠然とした不安感を覚えて……

 

「さ、佐々木……?」


 クイっと袖を引っ張る。

 すると、さっきまでの鬼気迫った雰囲気はどこへやら。


「怪我はねぇか? 緋川」


 心配そうに尋ねる佐々木は、緋川がよく知るいつもの佐々木で。

 緋川はしばらく面食らって、やがて慌てて答えた。


「う、うん……佐々木が守ってくれたおかげで無傷」

「そうか、よかった」

「うん。アタシは大丈夫だから」


 念を押すように言う緋川。

 佐々木の様子がおかしかった理由は分からない。でも、佐々木の顔はいつも通り。

 ならそれでいいか……今はまだ。

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