第15話 その後

 あの後、すぐに駆け付けた警察により、小金井は暴行、傷害、脅迫の現行犯で逮捕された。

 ひとまずは安全になったが、問題だったのは緋川の精神状態だった。

 緋川は駆け付けた男性警察官が近くにくると——


「ひっ……!」


 短く悲鳴を上げ、身体を小刻みに震わせた。

 隣にいた若月が緋川を抱きしめ、背中をさすりながら安心させるような優しい声音を出す。


「大丈夫……大丈夫だよ理佐」


 佐々木はすぐに男性警察官に事情を説明した。

 この時間に勤務してくれているか分からなかったが、幸いにもすぐに女性の警察官は駆け付けてくれた。

 そして調査後、小金井はストーカー規制法違反も追加され、現在は勾留中。

 緋川の精神状態はすぐに回復したが、詳しい事情聴取などは全て試験後にまとめて行われる運びになった。

 そしてその全てが終わった後——佐々木、緋川、田中、若月の四人はファミレスに集まっていた。


「結局は起訴ってことになったんだよね?」


 情報共有も含めて、若月が尋ねる。


「ン……ストーカーだけじゃなくて佐々木を殴った件もあったし、今後のことを考えてもその方がいいと思って」

「私は適切だと思う。学校だけならまだしも、バイト先と家にまで付き纏うとか悪質すぎ。それにアレは野放しにしたら危険すぎるって」


 ストーカーは付き纏い行為を反復して行っており、突発的な犯罪に比べて悪質性が高い犯行だ。

 エスカレートすれば重大犯罪に繋がる恐れもある。

 だから検察官も安易に不起訴で終わらせることには慎重になる。

 しかも後から聞いた話では、小金井は頻繁に緋川へ手紙を出していて、その中には交際を要求するような内容もあったとか。


「俺も同意見。でもよ玲。お前よく緋川のとこに駆け付けられたな? なんで分かったの?」

「緋川から電話があったんだ。でも悲鳴が聞こえた瞬間に切れた。これで何もねぇって思う方がおかしいだろ?」

「私のスマホに佐々木から電話がきた時は何事かと思ったけどね」


 佐々木は緋川を助けに家を飛び出した直後、田中と若月に連絡を入れていた。

 理由は主に二つ。

 一人で対処し切れない場合の応援要員と警察へ通報してもらうため。

 自分はいち早く緋川の元へ行くことを選んだのだ。

 ちなみに田中は警察が到着して、事態が終息した頃に現れた。


「ま、実際は運が良かっただけだけど」


 田中の質問に答えるのと同時に、緋川に釘を刺す。

 緋川は佐々木と目が合うと


「ごめんなさい……」


 俯きがちに謝罪した。

 そう、今回は本当に運が良かっただけだ。

 たまたま佐々木に電話が繋がったから良かった……たまたま佐々木が緋川の自宅とバイト先を教えられていたから良かった……たまたま小金井が喧嘩慣れしていなかったから良かった……たまたま緋川の身体と精神に重大な傷害を負うことはなかったから良かった……

 もし一つでも食い違っていたら、ここにこうしていなかったかもしれない。

 小金井が一番悪いのは変わらない。

 だが緋川の行動に反省すべき点がなかったわけではない。

 単純な話、誰かに相談してくれていれば、事件を未然に防げた可能性もあったのだ。


「ま、反省してくれてんならいいよ」

「若月、すんごい剣幕で緋川のこと説教してたもんな。さすがにこたえてんだろ」


 当時の光景を思い出して、田中が苦笑いする。

 その時は佐々木も言いたいことがたくさんあったが、何か言うよりも早く若月が叱ってくれたおかげで、緋川に言えることがほとんどなくなってしまった。


「もう泣いてんのか怒ってんのか分かんなかったし」

「田中、うっさい」


 田中が正直な感想を伝えると、若月からジロリと睨まれた。

 若月にとっても気恥ずかしいことらしい。


「アタシもあの時の詩織は怖かった……でも、ちょっと嬉しかった。本気で心配して、怒ってくれて……なんていうか、こう、友達? っていう感じがした」

「私と理佐はずっと前から友達じゃん」

「……! うん! アタシ、詩織のこと大好きだから!」


 緋川が朗らかな笑みを浮かべる。

 加えて、緋川からの豪速球を受けた若月は頬を赤らめていた。


「な、なに急に……照れるんだけど……」

「えへへー」

「もうー! ちょっとトイレ!」

「アタシも行くー」


 緋川と若月が同時に席を立ち、トイレに向かう。

 テーブルには二人だけになり、少し経ったところで田中が尋ねた。

 

「小金井を殴った件……正当防衛ってことになったんだよな?」

「ああ。正当防衛が認められる条件ってかなり厳しいらしいけど……あの状況じゃ逃げるなんて現実的に無理だし、警告しても止まってくれなかったからな」

「大学は? もしかして停学……」

「まさか、お咎めはなんもねぇよ」

「良かったー……玲がいなくなったらどうしようかと思ってた……玲が退学になったら、たぶん緋川も大学中退してたし」


 さすがに……とも思うが、否定し切れないところだ。

 以前から緋川の佐々木へのゾッコン度は相当なものだったが、今回の一件でそれがさらに増したような気がする。

 佐々木を見る目が妙に熱っぽい。

 

「玲さ、緋川が今回の件を誰にも相談しなかった理由わかる?」

「いろんなことが重なって判断力が鈍ってたんじゃねぇの」

「本当にそれだけ? なんか話を聞いた感じ、相談しなかった理由が妙に言い訳っぽいっていうか……緋川らしくないっていうか……初めから相談する気がねーように思えたんだよな」


 田中が持つ違和感は、佐々木も同様に感じていた。

 佐々木を自分の飲み物を一口含み——


「……ただの想像だけど」


 そう前置きして、佐々木は自分の考えを田中に話す。

 話は緋川と同じクラスになった高三の頃。

 直接話したのは数えるほどしかなかったが、緋川は男子——というより女子も含めた全員に不信感を抱いているようだった。

 理由は明白。

 誰が言い出したのかも分からない噂だ。


 ——緋川さんって、○○と付き合ってるらしいよ

 ——ビッチって噂マジなのかな? 俺でもヤれちゃう?

 ——なんか男の人とホテルから出てきたらしいよ?

 ——ほら、いるじゃん。彼女持ちの男を狙う女。多分それでしょ?


 名前も知らない人が平然と垂れ流す嘘。

 それを鵜呑みにして尾鰭おひれを付ける人。

 否定すれば「わざとらしい」と言われ、否定しなければ本人の意思関係なしに学校中に蔓延していく。

 緋川から見れば、全員が敵のように映っただろう。

 悩みを相談する? 

 立ち回りだけは上手くなった結果、上辺だけの関係は持てた子に?

 友達を信じる?

 噂を否定するどころか、喜んで吹聴している奴らを?

 冗談じゃない。

 男子も女子も変わらない。みんな一緒だ。みんな敵だ。

 

 ——アタシは一人でだって生きていってやる。

 

 だが、好きな人ができて……若月という友達ができた。

 今の緋川の周囲は高校よりも遥かに恵まれている。

 それでも、根本的な部分を変えるには至らなかった。

 もちろん誰にも相談しなかった理由に佐々木の邪魔をしないことや、自分の事情だったからという点も含まれてはいる。

 だがそれ以上に、高校の頃の体験と決意が緋川を頑なにさせていたのだ。


「なるほどな……」

「祥平……これは俺たちにも責任の一端がある話だ」

「いや俺はともかく、佐々木はずっとやめろって言ってただろ?」

「それでもだよ」


 否定していても本気じゃなかった。

 そういうのは良くない……という漠然とした常識からきた行動でしかない。


「今まで緋川にはちゃんと友達って言える人がいなかったんだろうな……でも今回の一件で、理屈じゃなくて、感情で自分のために動いてくれる友達がいるって分かったのは、緋川にとっても不幸中の幸いだったかもしれねぇな」 


 佐々木と田中が同時にトイレから出てきた緋川と若月を見る。


「なぁ祥平、緋川の笑顔なんか変わったよな……?」

「あ、やっぱり? 俺も思ったんだよねー。なんていうか、柔らかくなったよーな感じがする」

 

 佐々木がこぼした言葉に田中が同意する。

 緋川と若月はテーブルには向かわず、ドリンクバーに立ち寄って談笑している。

 さすがに話の内容までは聞こえてこないが、時折、何やら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。


「よく笑うようになったし……前より笑顔が可愛く見える」

「おやおや? 佐々木さーん。ついに惚れましたかな?」


 茶化すように聞こえるが、二人の顔はいたって真面目だ。

 佐々木は考えるように沈黙し、やがて——


「小金井を殴ったとき……緋川の姿が一瞬、莉央さんに重なったんだ……そのせい……かもな……」


 そう言って、すぐに余計なことを口走ったと後悔した。


(何言ってんだ俺……勝手な自己嫌悪に祥平を巻き込むな……)


 友達の苦労を徒労に終わらせ、何一つ前に進めていない大馬鹿。

 実際は、それが佐々木自身の自己評価だった。

 緋川の目から見れば、自分は英雄のように映っているだろう。

 だがその内実を知ればどうだろう?

 告白を踏み台にされ、他の女に姿を重ねられ、そのくせ成果はなし。一歩目を踏み出した? 馬鹿を言え。


(俺はずっと立ち止まったまんまだ)


 自己嫌悪と罪悪感。


「はい。ストップ」


 そんな鎖に思考が縛り付けられる直前、田中が無理やり意識に割り込んできた。


「なんだよ……」

「すんげー暗い顔してるぞ親友。どうせ、松村さんの姿を重ねたことに罪悪感でも感じてんだろ?」

「……まぁな」


 今さら取り繕っても仕方ない。佐々木は正直に答えた。


「本当にそうだったか? よく思い出してみろ」

「…………」


 俯くようにして佐々木は記憶を辿る。

 だが、いつまでも答えは見つけられず、田中は業を煮やすように語り始めた。


「俺さー、緋川からもう七回はお前の勇姿を聞かされてるわけ。『抱きしめて庇ってくれた』『一撃で小金井を倒した』ってな。そりゃもう『氷の女神』なんて呼ばれてるやつとは思えない緩みきった顔でさ」

「……だからなんだ」


 話の意図が全く掴めない。


「緋川は惚気話の締めにいつもこう言うんだ。『アタシ、今度から泣く時は、佐々木の近くで泣く』ってな。なんでも、小金井を殴るときに誰かさんが言った『緋川を泣かせてんじゃねぇよ——ッ!』って言葉がひどく胸に響いたようでな」

「あっ……」

 

 そこで、田中が伝えようしていることを察した佐々木から声が漏れた。

 その様子を見て、田中がニヤリと笑う。


「もう一度言う。よく思い出してみろ。お前は本当に、松村さんの姿を重ねて緋川を助けたのか?」

「……いや、ちげぇ」


 自分は松村と緋川を重ねた。それは事実。今さら認めないわけにもいかない。だがあの時……佐々木はたしかに聞いたのだ。あの暗い感情の渦から、自分を救い出してくれた声を。

 

(そうだ……少なくとも小金井を殴ったあの瞬間は、俺の頭には緋川だけがいた)


 だからこそ反射的に言葉が出た。

 を泣かせるな……と。

 と言うより、そもそも緋川の下に駆けつけた時点で激情を抱いていただろうに。

 そんなことも忘れるなんて。


「はい! それじゃ、それを踏まえた上でもう一度聞くけど……おやおや? 佐々木さーん。ついに惚れましたかな?」


 パンッ、と両手を叩いて、田中が再び問いかける。

 

「惚れたかどうかはわかんねぇけど……前より魅力的に見えるのは確かだ」


 そう言って、静かに笑った。




 あとがき

 今回の内容は一応勉強して執筆しましたが、おかしな点があるかもしれんません。そのため、後で修正する可能性があります。

「これは絶対に有り得ない」という点がありましたらコメントに残してもらえると助かります。

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