第7話 心の鎖
佐々木と別れた後、緋川は一人暮らしをしているアパートへ戻った。
靴を脱ぎ捨てて、そのままベッドに寝転がる。
頬はまだ熱に浮かされたように赤いまま、緋川は魂が抜けたように天井を見つめた。
だが数秒後。
緋川は家に帰るまでに行った自分の大胆な行動を思い出し——
「〜〜〜〜〜〜ッ!?」
枕に顔を埋めて声にならない悲鳴を上げる。
勘違いをして勝手に怒って、思いっきり睨んでしまった。
そのくせ如月や小野田の大胆行動に焦って、嫉妬して……ヤる同然のようなこと言って会場を抜け出し、佐々木を前に諦めません宣言。それに言わなくてもいいような小っ恥ずかしい発言もした気がする。
(もうー、何やってんのアタシ……!)
羞恥心に耐えきれず、足を勢いよくバタつかせる。
だが不謹慎にも、佐々木の事情を聞いて安心もした自分がいたことに緋川は気づいていた。
当分の間、佐々木は誰かを好きになることはないし、付き合うこともない。
それどころか、事情を知った自分は、以前よりも佐々木と一緒にいられる口実を手に入れた。
緋川が持つ佐々木を支えたいという気持ちに偽りはない。
だがそこに下心や打算がなかったのかと言われれば……否定できないが実際のとこだ。
好き。一緒にいたい。もっと知りたい。協力したい。支えたい。
どれも本当で、本気で……だからこそ切り離せない。
(アタシって性格悪いのかも……何を言い訳したって結局は自分のためだし……)
ブーッ、ブーッ、とスマホが振動する。
見れば、若月からメッセージが二つ届いていた。
『理佐、もう家?』『佐々木くんと一緒?』
『家だけど一人』
そうメッセージを送ると、若月から電話がかかってきた。
『もしもし、詩織?』
『りさー、ごめん、急に。こっちの方が手っ取り早いって思って』
『ン、大丈夫。合コンどうだった?』
『それが二人が抜けてから空気ちょっと悪くてさ、早めに解散したんだよね。ほら、茜と凛って佐々木くんのこと狙ってたでしょ? 盗られたって思ったんじゃない?』
『え、ごめん』
『ぜんぜん平気。もともと今回の合コンって田中が茜狙いでセッティングされたものだし、その田中も二人がいなくなってから妙にソワソワしてたんだよね。心ここに在らずって言うか……田中ならあの空気だってもち直せただろうに』
佐々木と田中が高校からの友達なのは緋川も知っている。
田中が佐々木の恋愛事情を知っていたのなら——もしかしたら佐々木が発作を起こしていたことを知っていたのかもしれない。
緋川はそう考え、そしてその考えは当たっていた。
『ま、私からすれば佐々木くんが合コンに来たことの方が意味不明だけどね。理佐のことフっておいて、数日後には合コンって』
『そうだ、詩織。そのことなんだけど……アタシ、やっぱり佐々木のこと諦めるのやめる』
『はっ!? えぇっ!?』
驚愕と戸惑いが混合したような声が若月から出た。
『待って。別にどうするかは理佐の自由だけどさ、さすがに考え直してほしい。言っちゃ悪いけど、私……今回の一件で佐々木くんのことけっこう幻滅したんだよね。恋愛はしないって言ってたのに合コンに参加してさ……理佐、嘘つかれたんだよ?」
事情の知らない若月からすれば、佐々木のことがそう見えてしまうのは無理もないことだ。
付き合うかどうか自由。フラれても文句はない。
だが嘘をつくのは違う。それは優しさとは程遠い、自分を守るためのだけの不誠実で最低な言葉でしかないからだ。
友達を守るのに、若月の言動は決して間違っていない。
ただ……持っている情報が少し不足しているだけ。
『違うの、詩織。佐々木は嘘なんかついてない」
『どういうこと?』
『もちろん、最初はアタシも佐々木にはムカついたよ? でも会場から抜け出した後、佐々木といろいろ話してさ。詳しくは言えないけど、幻滅するどころか……むしろ、こう……』
『惚れ直した?』
『…………うん』
蚊の鳴くような声で緋川は答えた。
直接は見えていないが、緋川の顔が真っ赤になっているだろうことは若月にも容易に想像できた。
『ふーん。ま、いいけどね!』
『え、いいの?』
『さっきも言ったけど、どうするかは理佐の自由だし、佐々木に言葉巧みに丸め込まれているとも思えない。なら私は理佐の恋を応援するだけじゃん』
『ありがとう……詩織のそういうとこ好きだよ』
『はいはい。じゃあ、また学校でね。おやすみ』
『うん、おやすみ』
電話を切りって、時間を確認する。
(お風呂行こ……)
スマホを充電器に接続し、着替えを持って風呂場へと向かう。
脱いだ衣服をそのまま洗濯機に入れて髪を下ろし、浴室に足を踏み入れる。
安めのアパートだが、浴槽は割と広めだ。
「……ふぅ」
身を清めて湯に浸かると、自然と息が漏れた。
慣れないことをして溜まった疲労が流れていくようだ。
(過去を過去にして……か。やっぱり……あの家庭教師のこと、まだ好きなんだろうな……)
緋川の頭に浮かぶのはやはり佐々木だった。
そしてその家庭教師だった松村は、もう名前も呼びたくないほど、緋川にとって嫌悪の対象だった。
(トラウマになっているのもあるんだろうけど……佐々木の心を縛り付けているのは、お兄さんと家庭教師が寝てたっていう事実じゃなくて、あの女自身……)
——気持ちは一緒だよ? 私も玲くんのこと——
——その時まで待ってることにする! だからそのかわり、絶対に合格してね!
なんで……なんでそんなことを言っておきながら裏切ったの?
ただ単純に、緋川は理解ができなかった。
当時、松村は誰とも付き合っていなかったという話だ。なら誰と寝ようと自由ではある。
だが常識のある行動ではない上に相手が相手だ。
過去は過去にして、ということは、今はまだ何も忘れられていないということ。家で見た光景も……松村が好きという気持ちも……何もかも。
あの時から、佐々木の心は完全に止まったままなのだ。
「むかつくっ……酷いことしておいて、まだ佐々木の心に居座るなんて……っ」
絶対に追い出してやる。
そう心に誓って、緋川は湯船から出た。
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