第19話 声無き声を聞き続けた人

 新宿警察署の廊下を歩いていると、隆也が取り調べ室から出て来た。

さっきの売人の取り調べが一通りは終わったのであろう。


「やつ、吐いたか?」

「いえ、詳しいことは何も。元締めは居ないの一点張りですよ」

「そうか、やつが誰に売っていたのかを知りたい。その辺のリストみたいのがあったら回してくれたら助かる」

「わかりました。調べてみます」


 もしも、その売人が顧客をきちんと管理するタイプの売人であったら、そっちの線からも家出少女連続暴行犯を追えるかもしれない。


 俺は、生活安全課に戻る。

すると、ちょうど紗季の事情聴取が終わった所だった。


「狩谷さん、そろそろ堂本先生の所に行こうと思います」

「了解。じゃあ、一緒に行こうか。俺、運転するよ」


 警察車両の鍵を借りると、駐車場へと向かう。

停まっている車の鍵を開けると、運転席へと乗り込んだ。


 車を走らせる事、約30分ほどで今回の目的の病院に着いた。

堂本先生は今はこの病院で副院長をしている。


 会議室に通されて、俺は堂本先生の到着を待つ。

数分で会議室の扉が開いて堂本先生が入って来た。


「これは、珍しい顔があるな」

「堂本先生、お久しぶりです」

「今日は、お前さんの紹介って話だが」


 そう言って、堂本先生は少女の方に視線を移す。


「はい、彼女の治療をお願いできますか? 身寄りが無い子なんですが」

「問題ない。私の権限で許可しよう。入院の手続きをしてくれ。すでに病棟の看護師には話を通してある」

「わかりました。ありがとうございます」

「お前さん、ちょっと時間あるか?」


 今日はこれ以外には特に予定は入っていないはずだ。


「はい、大丈夫ですけど」

「ちょっと茶でも飲んでけや」


 場所を移して、副院長室。

高級そうなソファーに腰を下ろす。


「立派っすね。さすが、副院長殿。儲かってますか?」

「茶化すな馬鹿者」


 そう言って、堂本先生が俺の前にお茶を置いた。


「お前さん、警察に戻ったんだな」

「ええ、なかなかご挨拶できずにすみません」

「いや、構わんさ。私ももう、法医学の世界からは身を引いたんだ」

「勿体ない気もしますけどね。堂本先生ともあろう方が」


 法医学界の世界的権威とまで言われた人だ。

退官にあたって、全国の有名大学から名誉教授になんて話も上がったらしい。

しかし、それを全て断って今は副院長をしている。


「買い被りすぎだよ。私ももう歳だ。あとは若いものに任せようと思ってね」

「年取るとそんなことも言えるようになるんすね。あの頃は全然若いもんには負けんって仰ってたのに」


 堂本先生のおかげで解決して来た事件は数多い。

警視庁も堂本先生に頼りきりの所があった。


 解剖医というのは人数が少ない。

そこから、信頼できる腕のある解剖医となると、どうしても限られてしまうのである。


「老眼がな、厄介だな」


 そう言って、自嘲するように笑う。


「でも、よかったです。まだ、医学界に身を置いておられて」

「私にはこれしかないからな」


 元々、医療の道一筋の人だった。


「先生のおかげで、救われる人たちも多いと思います。本当にありがとうございます」

「お前から礼の言葉なんて気持ち悪いな。それより、最近増えてないか? 中高生の薬物被害」


 堂本先生は薬物被害者を積極的に受け入れてくれる。

だからこそ、ある程度の情報は先生のところにも行っているのだ。


「新しい違法ドラッグが流行ってるんですよ。特に歌舞伎町で」

「やっぱりあれか。ラムネみたいな錠剤」

「ご存じでしたか」

「ああ、警視庁から頼まれて成分を分析したらな、非常に依存性が強いことが分かった」


 そう言って、鑑定書を俺に渡してくる。

そこには、従来の違法ドラッグよりも強い依存性があることが書かれていた。


「なるほど、これは対処を急いだ方が良さそうですね」

「ああ、頼りにしてるぞ。警視殿」

「茶化さないでくださいよ。でも、なんとかこれ以上被害者を出さないように注意しますね」


 これが、今の俺の仕事である。

“悪“から大切な生徒の未来を守ること。


 いつか、堂本先生は言っていた。

法医学は“未来“のための学問であると。


 俺は、今になってその言葉の意味を理解したように思う。

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