3 グリフォンと竜

 地平線の向こうから現れた影は五頭。ぐんぐんと近づいてくるそれは、風に乗れば疾駆する一角獣とほとんど変わらない速度が出るらしい。特に獲物を狙って急降下する時のグリフォンから逃げられる動物はほとんどいない。小型の竜ならば単独で狩る猛獣の群れが、真っ直ぐにこちらを目指している。


「森へ逃げる……方が、賢明なのだろうが」

 タナエスが迷うように言って、足元に群れる金色の動物を見下ろした。気配を感じ取ったか、わさわさと寄り集まって草陰に隠れようとしている。


「……弱いものが狩られるのは、自然の摂理だ」

 同僚は続けて小さく呟く。が、膝に鼻を寄せてきた一匹を抱き上げている。私は彼に向かって口角を上げてみせた。私の笑顔は目が笑っていなくて怖いと言われがちだが、この状況ならそこまで不自然ではないだろう。


「ならば、急襲された『強いもの』が反撃に出るのもまた自然の摂理だろう」

「君、前からそんなに強気だったか?」

「守るべき友が背後にいるとなれば」


 生まれ故郷では化け物と罵られた私も、ところ変われば女神の愛し子と呼ばれるらしい。海を超えた森と平原の国で、この不思議な力はなんという名で呼ばれているのだろうか。


 背から弓を取り、矢をつがえる。弓矢など持参していないが、まざまざと思い描きながらその動作をなぞる。背筋を伸ばし、敵を見据え、ギリギリと力を込めて引く。静かな呼吸。集中。中央の一頭の額をとらえ、唱える。


炎よフルム――」


 ボッと、想像の矢の先端に現実の炎が燃え上がった。赤から黄色、それを超えて、白く。熱された空気がゆらゆらと立ち昇り、視界がうねり歪む。しかし、狙いは揺らがない。

 骨も残さぬ白炎の矢を射ろうとした時、タナエスが「フレン」と囁くように言った。


「待て、フレン。誰か来る」

「……あれは?」

「おそらく、平原の遊牧民だ」

「……いや、あれは何の生き物だ?」

駆竜くりゅう

「羊飼いが、竜に乗っているのか?」


 駝鳥だちょうに長い尾を生やしたような輪郭の生き物が十数頭、遠くに見える遊牧民の住まいゥレンの方向から、群をなしてこちらへ駆けてくる。先頭の一頭の背に、人間。片手を手綱から離して、上空の猛禽に向けて大きな角笛を吹く。


 およそ笛の音とは思えない、飛竜の咆哮そのものの音が大音響で響き渡った。タナエスがびくりと肩を震わせ、私は困惑しながら矢先の炎を消した。グリフォン達も隊列を乱し、バサバサと羽ばたきながらあちこち見回して、空の王ワイバーンの姿を探す。


「モィレン、リァイ!」


 壮年の男の声が響く。タナエスが「リァイ、旋回せよ」と翻訳するとほぼ同時に、疾駆する先頭の竜がグリフォン達の正面へ回り込むように方向転換し、残りの群れがその後に続いた。


止まれパテン、モィレン!」

 急停止する竜の群れ。そして男が振り返って、叫ぶ。

「シェダィ! イェーン!」


 すると跳ねるように立ち上がったタナエスが、「『伏せてろっ、お前ら……!』」と言いながら私の頭を背後から押さえつけ、地面に伏せさせた。金色の生き物が目の前でまじまじと見つめてくる。その顔に鼻はあるが、口はない。やはり尻尾のあれが口なのだろうか。


「――ラゥグァイ!!」


 吼えるような男の声。そっと顔を上げた次の瞬間、ぐるりと旋回して急降下の体勢に入ったグリフォン達に向かって、竜の群れが一斉に鳴いた。竜にしてはやわらかく高い咆哮は、音だけ聞けば先程の笛の方がずっと荒々しく恐ろしい。しかし、音に乗って波紋のように広がった力が耳へ到達した瞬間、私は突然上も下もわからなくなって地面にくずおれた。視界が虹色に輝きながらぐるぐる回って、吐き気が込み上げる。


「ヴィナ=ヴェルトル=ハイル」

 耳元でタナエスが早口に呪文を唱える声がした。額に当てられた手から冷たさを感じる力が沁み込んで、すうっと気分がよくなる。見上げると、墜落しそうになったグリフォン達が必死に羽ばたいて体勢を立て直し、よろめきながら逃げてゆくところだ。


「今のは」

「ぐぅぅェン!」


 突然耳元でばかでかい鳴き声がして、私は飛び上がった。

「は?」

 間近に竜の顔。頭に派手な橙色の飾り羽があるが、嘴はない。竜らしい鋭い牙を持っているが、体は鳥の羽で覆われている。色は焦茶と橙のまだら模様。


「やめんか、モーロ」

 体の大きな、おそらくモィレンという名の駆竜から飛び降りた男が、笑い混じりに叱った。モーロと呼ばれた個体が「ェん!」と元気いっぱいに応える。つい先程凄まじい魔力波でグリフォンを追い払ったとは思えない呑気な声だ。


「お前さん達、こんなところで何してる? 羊泥棒……には見えねえが。うちの羊になんか用か?」

「……羊?」


 タナエスが低い声でゆっくりと復唱し、抱えている謎のもこもこをじっと見て、そして男に目を戻した。浅黒い肌に濃い色の金髪と同じ色の顎髭、竜の羽の頭飾りに、変わった模様の金刺繍が入った服。


共通語は話せるかスフィーグルス・ラ・スキェティーネ?」

 タナエスが問うと、男は「ちょっとだけティット」と言う。


「あなたの言う『フェン』は、共通語の『ラーフィ』で相違ないか?」

「そうそう。ラーフィ、ラーフィ。羊だよ」


 男が足元の変な生き物を指差しながら笑顔で頷く。なんともいえない顔をしたタナエスが、野帳にメモを取った。……と思ったが、よく見ると羊の絵を描いている。フェンではなくラーフィ、つまり白い毛を持った偶蹄目の方だ。


「これは?」と絵を見せる。

「何だそれ? 変な動物だな」


 タナエスは画家のところにしょっちゅう出入りしているからか絵が上手い。誰が見ても羊とわかる鮮やかなタッチのペン画を見て、男は眉根を寄せた。


「その動物を探してるのか?」

「いや、違う。我々の言葉で羊と言えば、この動物を指す」

「へえ……どこでそんな勘違いしたんだろうな?」


 見つめ合って、首を傾げ合う。しばしの沈黙の後、おずおずと互いに自己紹介をして、ラゥエンと名乗った男は「とりあえず……うちに来るか?」と人の良さそうな半笑いで言った。


「もうすぐ日暮れだ。森の集落に泊まる気なのかもしれないが、この時間に森を歩かない方がいい。特にタナェス、お前のような美しい子供はいばらの精霊に連れ去られるぞ」


 精霊という言葉を聞いて、タナエスがものすごく嫌そうな顔になった。ラグ翁に押しつけられた前回の実地調査フィールドワークが精霊関連だったのだ。私自身の感想を言えば結構楽しかったのだが、あの時の話をするとこの同僚は不機嫌になるので、なかなか思い出話もできない。


「一晩やっかいになってもよいだろうか」

「……何をやらかすつもりなのかによる」

「そういう意味じゃない」


 どうやら現地の言葉に堪能でも、齟齬が発生しないというわけではないらしい。互いに色々と推理しながら会話を重ね、我々は調査地の住民の家に泊めてもらうことになった。


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