4 ダールェンのゥレン

 橙色に染められた分厚い布と木の骨組みで作られたゥレンの内部は、断熱性が高いのか存外涼しい。私はすっかり感心して、拙い共通語で「すばらしいですね。心地よく、美しい」と繰り返し、タナエスは後ろをついてきてしまった羊をもう一度抱き上げて困った顔をしていた。

「なんだ、懐かれたのか?」とラゥエン。

「フゥン?」

 タナエスが答える前に羊が鳴いた。改めて聞くと鼻歌のような声だ。連れて入っても良いと言われ、靴を脱いで敷物に腰を下ろす。私の右の靴下に穴が開いているのを見てタナエスが嫌な顔をした。

「君、もう少し……」

「うわぁ! 誰その人、いばらの神様?」

 と、ラゥエンの家族らしい十歳くらいの少女が大声で言いながら走ってきて、タナエスの顔をまじまじと覗き込んだ。そして彼の手を「こっち!」と引っ張り、「母さん! いばらの神様が来た!」と言いながら奥にいる母親の方へ引っ張ってゆく。長い髪に金の紐を複雑に編み込んだ女性は「おやまあ、ありがたいことねえ」と言いながらタナエスにクッションを勧め、彼の前に果物や香辛料、鮮やかな金色の糸の束などを並べ始めた。

「……俺は、お前の方が男前だと思うぞ?」

「ありがとう。あの金の糸は、羊の毛ですか? あなたの服の模様も」

「そう、羊。毛を刈って、紡いで、織る。こんな風に、派手過ぎないように。あと、刺繍も」

 通訳を失った私達は、辿々しく共通語で話した。ラゥエン達の着る服は、彼が言うようによく見れば、生成色の生地の間にほんの少し、金の糸が混ぜてあるようだ。角度によって幽かに品よく光る様子がとても美しい。

「とても、綺麗ですね。縁取りの刺繍も、星座のよう」

「せいざ?」

「夜空の星と星を、むすび合わせたように、綺麗です」

「フレィンは詩人なのか?」

「いいえ、魔法使いです。平原の、羊を調べに来ました」

「魔法使い……呪術師のことか。不思議なわざを使うっていう。なんでまた、羊なんか」

「きらきらしていてあまりに美しいから、この世のものではない、幻だと思ったのです」

「やっぱり詩人だろう、お前」

 語学は苦手だと思っていたが、こうして言葉が通じると楽しい。ラゥエンによると、羊が食べているあの黒っぽい草はとても辛く、彼らは体毛にその成分を蓄積させることで身を守っているらしい。

「けど、グリフォンだけはダメだ。あいつら、頭が鳥だろう? 鳥の舌は、辛さを感じないんだ」

「そうなんですか」

「だから、グリフォンから羊達を守るのが駆竜の仕事だ。俺の相棒はモィレン、娘のがモーロ。妻は体が弱いから、家で織物をしている。竜には乗らない」

「その服も、奥様が?」

「ああ。それから料理と、植物から染料や薬を作るのも、妻は上手い」

「――染料と薬について、詳しく伺いたい!!」

 と、奥でタナエスが声を上げた。

「タナエス、まずは羊の話、を……」

 自分の研究は仕事を終えてからにしよう、というようなことを言おうとしていたのだが、目をやった先のタナエスがものすごく派手な金のマントを着せられているのを見て目を剥いた。

「何だ、それ」

「わからないが、着ているとこれが安心するようだ」

 抱えた羊の背を撫でているタナエスは、随分とこの生き物を気に入ったようだ。もこもこの毛に鼻を寄せ「ガナの香りがする」と呟く。

「ガナ?」

「草の名だ。先程見ただろう、君も」

「ああ……そいつが食べていた」

「――羊達はガナを食べているおかげで、獣達から身を守れるだけでなく、ノミやダニも寄せつけないの。だから羊の毛を混ぜた織物は虫に食われないし、ガナの葉は虫除けにも、料理の味付けにも使える。私達はその恵みを受け取る代わりに羊達を守り、羊達がガナを食べ尽くさないよう、移動しながらこの大平原で暮らしている。全て繋がっているのよ」

 イゥルィレン、という私には発音できない名を名乗った母親がニコニコと語る。タナエスの手が羊で塞がっているので、私は通訳されたそれを丁寧に野帳へ書き留めた。と、娘が呆れ顔で笑う。

「バカだなあ、母さん。いばらの神様は神様なんだからそのくらい知ってるよ」

「まあ、その通りね。私ったら」

「こら、ティナレィン。母さんに向かって馬鹿とはなんだ」

「あー、はい。ごめんなさぁい……うっせぇなあ」

「こら!」

 そのやりとりもメモしていると、タナエスは「今のは書かなくていいんじゃないか」と言った。「何を書いているの?」と不思議そうに瞬いたイゥルィレンへ、ラゥエンが「フレィン達は羊について調べに来たらしい」と教えてやっている。

「あらあら、そうなのね。存分にご覧ください。今年の羊達も皆元気です、セィアラ」

 セィアラ、というのは神の名か。黒髪に青い目をしたこの美少年は確かに、青い森のいばらの神様と言われれば納得いく容姿だ。嘘みたいに派手な金のマントがこんなに似合う人もなかなかいないだろう。とはいえ友人の目の前にどんどん供物の果物が積まれてゆくのが面白くて、私はついに堪えきれず吹き出した。


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