僕を惹きつける世界
心が凪いでいる僕にも、惹かれるものがある。
それは、フィクションの世界で遊ぶこと、小説を書くこと、そして興味のある分野を探究することだ。
これは説明が難しいのだけど、僕は現実の出来事よりも、フィクションや探究のおもしろさに大きく心動かされる。
現実に動く心がゼロだとしたら、フィクションや探究に動く心は百とか二百だろう。
それくらい僕のなかで差があるのだ。
僕は小説や映画のキャラクターの生きざまに涙を流したことがある。それも、幾度となく。
漫画のキャラクターの持つ価値観について、解釈を重ね、語ることができる。何時間でも、ずっと、ずっと。
現実へと戻ってくれば、僕には言葉がない。相手を形容する言葉もないし、相手が好むものも、嫌うものも、何も知らない。
僕自身興味のある分野――分子生物学とか細胞生物学に関してなら、いくらでも調べたり考えたりできる。小説を書くのもそう。
どれほど手間をかけても、惜しくはない。
けれど、こと現実となれば、少しの手間――埃を手で払うような手間でさえ、惜しい。手間をかけさせるな、と他人に冷たく当たったことは少なくない。
フィクションの世界に躍る心、そして現実では波打たない心。
これをよく思わない人が多いことを知っていてなお、僕はこのありようを肯定し続ける。
僕にとって、現実とは生命維持のための機関であり、フィクションや探究、小説の執筆こそが生きる意味なのだから。
それは僕だけのものかもしれないし、他にもそういう人がいるかもしれない。
だけど、似たような人がいようがいまいが、それを誰が肯定しようが忌避しようが、僕には関係ない。
僕は僕を魅了する世界を中心に考えて生きるだけだ。
ただ、小説を書く上では、この凪いだ心は時々不利ではある。
その不利を埋めるべく、僕は心理学や精神医学の書籍に手を出そうとしている。
感覚がないのなら、知識で積み上げていけばいいだけのことだと思う。
僕は僕の世界やキャラクターを表現することを、適性がないからと放りはしない。
自分の生み出した世界が美しいと思うから。失いたくないと、強く思うから。
僕にだって、失いたくないもの、何が何でも作り上げたいものはある。それは、フィクションに遊ぶ時間であり、小説であり、探究であるのだ。
僕はフィクションや小説の執筆、探究に魅入られて生きている。
それらがなかったら、生きる気力などとうになかっただろう。
他の何にも、夢中になるほどの価値を見出だせなかった僕だから、フィクションや小説の執筆、探究がなければ、きっと息ができなかった。
純然たる事実として、ある。
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