第16話 怪しい人影
イングリス王立美術館に到着すると、私はガイゼル様の面倒くさそうなエスコートで馬車から降りた。
この美術館は元は貴族の邸宅で、持ち主が亡くなった後に屋敷を美術館に改築したそうだ。門から入口まで真っすぐ続く小道の両端には円形や四角形など変わった形に剪定された植木が並び、歩いているだけでワクワク感が募る。
「知らなかったです。神殿の裏にこんな素敵な美術館があったなんて!」
「お前、神殿に住んでたんじゃないのか? ほんのすぐそこだぞ?」
「それはそうなんですけど……あの頃は必死で勉強していたからかなぁ」
ガイゼル様と他愛もない話をしている間も、少し前を歩く殿下とリアナ様は手を繋いで仲睦まじそうに話をしている。兜を被っていると美術館に入れないので、さすがの殿下も兜を馬車に置いて来たようだ。
金色の髪の殿下と、銀色の髪のリアナ様。二人が並んで歩いていると、もうそれだけで美術品のような美しさだ。
(本当にお似合いのお二人だわ。それなのに、なぜリアナ様は殿下の運命の相手じゃないんだろう。もしかして、やっぱりリアナ様は性格が悪いのかしら……)
私がそうやって考え事をしながらぼんやり歩いていると、前から急いで歩いて来たマントの男性とすれ違いざまに肩が激しくぶつかった。何が起こったのか分からないまま、その勢いに飛ばされた私はその場で尻もちをつく。
「……おや、失礼。そんな薄汚い身なりで歩いていたから、地面の土と同化して見えなかったよ」
馬鹿にしたように笑いながら、貴族らしきその男性は足早にその場を去っていった。転んだ私を見て、少し先を歩いていたガイゼル様がこちらに戻って来てくれた。
「大丈夫か? 何だアイツ、捕まえて殿下の前に引き出してやる。ディア、ちょっと待ってろ!」
「あっ、ガイゼル様! 私は大丈夫です! 追わないでください」
私たちの周りにはいつの間にか人だかりができて、ちょっとした騒ぎになっていた。今日は殿下とリアナ様の大切なデートの日だ。私のせいで二人の良き日に水を差すわけにはいかない。
私は立ち上がって裾についた土を払うと、周囲の人々に「大丈夫ですよ」と、軽く会釈をした。
「ディア……本当にいいのか? 今追えば、あの男に追いつける」
「いいんです。私の方もぼんやりしていたので。それより、この汚れた服では私は美術館には入れませんから、ガイゼル様だけで殿下のお供をお願いできませんか?」
殿下とリアナ様の姿はもう見えないので、きっと美術館の中にいるはずだ。殿下の護衛のガイゼル様を、私のせいでここに引き留めるわけにはいかない。
戸惑うガイゼル様の背中を押して何とか美術館に送り出した後、私は庭園を一人で散策することにした。
(さっきのマントの男。私の運が悪かっただけなのか、誰かの差し金なのか……)
剪定された植木の間を抜け、季節の花々が植えられた花壇に沿って歩きながら、先ほどの貴族らしき男のことを思い出してみる。
男は明らかに私をめがけてぶつかってきたように見えた。マントと帽子で顔を隠していたから、確信犯だったのかもしれない。
(ガイゼル様が『気を付けた方がいい』と言っていたけど、まさかね……)
一瞬リアナ様の嫌がらせの話を思い出したが、信じたくない私は頭の中ですぐに否定した。
今頃アーノルト殿下はリアナ様と上手く会話できているだろうか。何と言っても今日は、兜装着なしでのデートだ。リアナ様だって、殿下のあの爽やかな笑顔にメロメロになってしまうに違いない。
「むしろ、私はあの貴族のおじさんとぶつかって良かったのかも」
心の奥底で考えていたことが、つい口をついて漏れた。
今日この美術館デートが終わったら、アーノルト殿下はリアナ様をハグするだろう。その場に居合わせずにすんで良かった――そこまで考えて、私は立ち止まる。
私を練習台にした時と同じように背中に手を回し、息づかいが感じられるほどに顔を近付けて。もしかしたらリアナ様の鼻や耳のそばを、殿下の唇がかすめるめるかもしれない。
私は殿下とハグした時のことを思い起こしていた。
しかししばらくして、ハッと我に返る。
(おかしなことを考えちゃダメ。恋占いでおかしな結果が出るものだから、アーノルト殿下のことを変に意識してしまってるのね。私ったら……)
アーノルト殿下から頂いた日当もあるし、気分転換に書店にでも寄ってみようか。どのみち今日からローズマリー様の元に滞在するのだ。一度王城に戻らなくても、このまま神殿に向かった方が近い。
元々大した荷物も持っていないのだから、明日登城したついでに持ち帰ればいい。
すぐそこにある柵の向こうは、もう神殿の敷地内だ。
(殿下とリアナ様が出ていらっしゃったら、このまま神殿に向かいますと言おう。門から出て南側に向かって道沿いに歩いて行けば、神殿の入口に着くはず。途中に書店もあるし……)
「ディア? クローディアじゃない!」
「え?」
私の名を呼ぶ声に振り向くと、そこにはなんと聖女ローズマリー様が立っていた。いつもの修道服やヴェール姿なので、この庭園の中ではとても目立つ。
「ローズマリー様! どうなさったんですか、こんなところで」
「それは私の台詞だわ。さっき実家に戻ったら、父がリアナに急用ができたと言って探していてね。すぐに家に戻るようにリアナに伝言しに来たの」
「リアナ様に、急用ですか?」
アーノルト殿下は今日の別れ際にハグをしようとしているのに、とんだ邪魔が入ってしまった。リアナ様のお父様も、何もこんな時に呼び戻さなくてもいいのに。
「リアナ様はまだ美術館の中にいらっしゃいますが……」
「そう、ありがとう。急いでリアナに伝えてくるから、ディアはここで待っていて。せっかくだから一緒に神殿に戻りましょうよ」
「はい。お待ちしてますね」
ローズマリー様に小さく手を振って別れると、私はあたりを見回した。門からも美術館からも少し離れたこの場所には、気付くと私以外には誰もいない。
(人がいなくて静かだから、とりあえずゆっくり庭を見て待っていよう)
――次はどの花を見ようか。
後ろを振り向こうとしたその時、何者かが突然背後から私を羽交い絞めにする。驚いて声を上げる間もなく、私は布のようなもので口を塞がれた。
(誰?! さっきのマントの貴族が戻ってきたの?)
呼吸がままならず意識が朦朧とし始める。
やがて視界がぐらつき始めると、私はそのまま身体を突き飛ばされてしまった。不幸にも、目の前にはいかにも深そうな人工の池。突き飛ばされた勢いのまま、私の体は大きな水音を立ててその池に落ちた。
自分の体が沈んでいくのを感じながら、私はそのまま意識を手放した。
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