第15話 氷の視線

 アーノルト殿下とリアナ様の初恋大作戦は、いよいよハグの実践編フェーズに突入だ。


 リアナ様を絵画鑑賞デートにお誘いしたアーノルト殿下は、馬車でヘイズ侯爵家までお迎えに行くと言って、なぜかガイゼル様と私も一緒に連れて来られてしまった。


 ヘイズ侯爵家のサロンでお茶を頂く羽目になり、私は落ち着かなくてサロンの中をキョロキョロと見回す。護衛であるガイゼル様が殿下に同行するのは当然としても、私まで付いて来る必要はなかったのではないだろうか。


 殿下から頼りにされているのは嬉しいことだが、先日のお茶会でのリアナ様の嫉妬に満ちた視線を思い出すと少々気が重い。



「リアナ嬢はまだかな」



 もう三杯目になる紅茶を飲み干すと、殿下は待ち遠しそうに扉の方に目を向けた。



「きっと殿下のためにおしゃれをして下さってるんですよ。それにしても、こうしてデートにお誘いできて良かったですね! 絵画鑑賞のために美術館で初デートなんて、とても素敵です」

「そのことなんだが……絵画鑑賞をしている途中に突然ハグをするなど、リアナ嬢は驚かないだろうか」


(ついこの前のお茶会では、唐突にキスをしようとしていたくせに)


 私も偉そうに言える立場ではないが、アーノルト殿下は恋愛経験ゼロの初心者。こうして意中の相手との距離感を気にし始めたことは、大きな変化ではないだろうか。

 恋占い師のくせに恋愛本でしか恋を知らない私は、殿下に先を越されたような気がしてちょっぴり歯がゆい気持ちになった。



「そりゃ、リアナ様も突然のハグは驚きますよね。そうだ! 別れ際にハグするっていうのはどうですか?」

「なるほど。そうしてみよう。少しリハーサルをさせてもらえないだろうか、ガイゼル」

「……嫌です」



 地を這うような不機嫌な声で、ガイゼル様は殿下のハグを拒否する。「そこを何とか」と言いながら迫る殿下から必死で逃げるガイゼル様を、私が正面から止めた。



「ガイゼル様! そこは忠誠心を見せて下さいよ。ちょっと殿下の練習台になるだけじゃないですか!」

「ディア、練習ならお前がやればいいだろ!」

「だって、私がハグされているところをもしリアナ様に見られてしまったら……」



 先日のお茶会でのリアナ様の睨み顔を思い出して、私はブルっと震えた。目を合わせただけであの冷たい視線なのだ。ハグされているところをリアナ様に見られようものなら、一瞬で首が飛んで行く気がする。


 それに前回のハグの練習の時、お互いの息遣いが感じられるほどの至近距離まで近付いた殿下の顔。破裂しそうなほどの心臓の鼓動に耐えられずに殿下を突き飛ばしてしまったが、あの時少し首を伸ばせば、もしかしたら私と殿下の唇は重なっていたかもしれない。


(うわっ……私ったら何を想像しているのよ。最低だわ)


 急激に熱くなる頬に気付かないフリをしながら、私はガイゼル様が逃げ出さないように手を広げて止めた。

 しばらく三人でもみ合っていると静かにサロンの扉が開いた。やっとのことで登場したリアナ様は今日も今日とて、最高にお美しい。黒の外出着に銀髪がよく映えている。



「皆さま、一体何をなさって……」



 リアナ様が私たちを見て口を開く。しかしやはり視線は氷のように冷たいものだった。

 怖がって焦る私の腕を引き、ガイゼル様は私と一緒に殿下から離れる。

 しかしリアナ様の視線はアーノルト殿下ではなく、私の姿を追って動いているように見える。


(やっぱりリアナ様、怒っているよーっ! 私に嫉妬なさっているんだわ。誤解なのに!)


 リアナ様の立っていた場所からは、たまたま私と殿下の距離が近く見えてしまったのかもしれない。

 何か言い訳をして取り繕わなければと助けを求めてガイゼル様を見ると、リアナ様以上の冷たい視線で睨まれてしまった。「要らぬことは言うな」という無言の圧力を感じ、私は大人しく黙って下を向く。



「リアナ嬢。今日もお美しいですね」

「アーノルト殿下。お待たせして申し訳ございませんでした」



 殿下はリアナ様をエスコートするために腕を差し出すかと思いきや、何といきなり恋人繋ぎで手を繋ぐ。面喰らうリアナ様を連れ、殿下はそのままサロンを後にした。私とガイゼル様も急いで後に続く。


(なんだかんだ言って、お二人は良い感じ。あの兜さえなければもっと絵になるお二人なのに、惜しいわ)


 私がじっと殿下の兜を見つめていると、ガイゼル様が私の耳元で囁いた。



「ディア。さっき、リアナ嬢に睨まれたな」

「あ、ガイゼル様もそう思いました? もしかしたらリアナ様は、私と殿下とのことを誤解なさっているのかもしれないです」

「……聞いた話だが、リアナ嬢はアーノルト殿下の婚約者候補の他のご令嬢たちに嫌がらせをしているらしい」

「は? リアナ様が、ですか?!」



 思わず大きな声が出てしまった私の口を、ガイゼル様が慌てて手でふさぐ。まさに馬車に乗ろうとしていたリアナ様が私の大声を聞いて足を止め、こちらを振り向いた。

 ガイゼル様は私の口を塞いだまま、慌てて後方の別の馬車に私を押し込む。



「ガイゼル様! 突然こんなことしたらびっくりするじゃないですか!」

「お前が急に大きな声出すからだろ!」

「だって、リアナ様が他のご令嬢に嫌がらせだなんて! リアナ様は、あの聖女ローズマリー様の妹君です。そんなことをなさるわけがない……と思いたいです」

「殿下ご自身はそんな噂信じていないよ。だが、実際ああしてリアナ嬢はディアのことを睨んできているわけだし、ちょっと気を付けた方がいい」

「そんな……」



 あの真面目で純粋なアーノルト殿下が想いを寄せるリアナ様が、他人に嫌がらせをするようなご令嬢だなんて、私は信じたくない。


 しかし、ガイゼル様の「気を付けた方がいい」という言葉をもう少し真剣に聞いていれば良かったと私が後悔したのは、このすぐ後のことだった。

 

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