第1章 落ちこぼれ聖女は恋占い師?!

第1話 落ちこぼれ聖女は恋占い師

 ここイングリス王国はイングリスの神の加護を受け、豊かな自然に恵まれた美しい国だ。

 山脈から流れ出る川はいくつかの支流を取り込みながら王国を縦断し、やがてゆったりとたゆとう大河となって海に向かう。

 イングリス川の河口近くにある王都は、昔から水運で栄えてきた歴史ある都市だ。


 その王都から少し離れた、山々に囲まれた田舎街のそのまたはずれ。

 そこに、一軒の小さながある。


 住居兼店舗であるそのボロ小屋の主は私――クローディア・エアーズ。歳は十八歳。

 この田舎街で一人で暮らし始めてもう三年目になる。店は大繁盛……とは言えないが、この街の住民はもちろん、時には隣の村からお客さんがやって来てくれることもある。


 そんな私の占い屋のカウンターには今、この店に最もそぐわないのではないかと思うほど、意外な人物が訪ねて来ている。

 私に向かって大真面目に頭を下げているその男、どうやらわざわざ遠く王都からやって来たらしい。こんなことは後にも先にも初めてだ。



「――クローディア嬢、折り入って頼みがある。私の『運命の相手』が誰なのかを占ってもらえないだろうか」



 にわかに信じがたいことだが、この男は自分のことを、『イングリス王国の王太子アーノルト・イングリス』だと名乗った。


 細身で長身、甘くて低い声。顔はよく見えないが、自称・王太子殿下はとても感じの良い紳士ジェントルマンだ。


 しかしいくらお忍びでやって来たにしても、少々おかしいのではないだろうか。



 ……頭に兜を被っているなんて。



 私は兜をじっと見つめたまま眉をひそめた。


(雨傘代わりに兜を付けてるのかな? でも、頭だけ濡れないようにカバーしても、体が濡れてしまったら意味がないよね……)


 兜の正面部分を覆っているパーツを開いて顎まで下げ、何事もなかったかのように兜の中から話しかけてくる自称・王太子殿下。

 その異様な雰囲気に、私は頭をかしげた。



「あのぉ……本当にあなたは正真正銘の王太子殿下なのですか?」

「そうだ。クローディア嬢、私がここに来たことは内密にして欲しい。私の運命の相手を占ってくれれば、勿論それなりの報酬を支払うつもりでいる。人助けだと思ってお願いできないだろうか」



 男はそう言うと、もう一度深々と頭を下げた。


(こんな田舎街の平民占い師に、これほどまでに頭を下げられるなんて困っちゃうわ)


 私は今、田舎街で暮らす一介の平民だ。

 ……と言ったのは、実は数年前まで、私も王都で暮らしていた身だからである。


 幼い頃、魔力を持った私を拾い上げてくれたシスターの紹介で、聖女候補生として王都で学んでいたのだ。その頃はイングリス王国のために身を捧げる聖女になるものとして、王国中の大きな期待を背負っていた。


 ――しかし、十五歳の時。

 一人前の聖女として認められるための祝福の儀式で、その期待は脆くも打ち砕かれた。浄化スキルや回復スキルなど、聖女として必要なスキルを次々と神から授けられる聖女候補生の同僚たちとは違い、私だけまともなスキルを得られなかったのだ。


 私に発現したのは、用途もよく分からない、のスキル。

 占いの依頼者と真実の愛で結ばれる『運命の相手』は誰なのか。それを占う、恋占い師としてのスキルだったのだ。


 恋占いスキルなど、聖女の力としては前代未聞だ。

 当然のごとく、こんなスキルしか持たない私が神殿から必要とされるわけもない。聖女として働くことができず、私は半ば神殿を追い出されるように、故郷であるこの田舎街に戻ってきた。


 つまり私は、ただの『落ちこぼれ聖女』なのだ。



「殿下、私のような身分の者に頭を下げて頂くわけにはいきませんので……」

「いや。こちらが無理を言っているのだから、できる限りの礼を尽くすのは当然だろう」

「恋占いは私の生業なりわいなんです。ですから報酬さえ頂ければいくらでも占います。どうか頭を上げて下さい」

「――そうか、やってくれるか! ありがとう、クローディア嬢!」



 アーノルト殿下は花が咲いたように微笑んで……いるっぽい。兜の奥で。



「クローディア嬢の望み通りの報酬を支払おう。何が希望だ?」

「え?」



 田舎街でひっそりと恋占い屋を営む私に今必要なものと言えば、アレしかない。貧乏暮らしでほとんど買えないけれど、実は喉から手が出るほど欲しいもの。


(アレを頼んでしまってもいいのかな?)


 私は目の前にいる殿下の表情を伺うように兜の中を覗き込み、恐る恐る尋ねた。



「……お仕事関係の資料を買い揃えたいのですが」

「勿論だ。この街では必要な資料も手に入りづらいだろうから、欲しい資料の一覧をもらえれば、こちらで揃えて贈ろう」

「え?! いいんですか?」

「一覧ができたら、私の従者のガイゼル・グノーという者宛に送ってくれ。王都に戻ったら、ガイゼルにはすぐに伝えておく」



(やったわ! 何という大盤振る舞いな依頼主なの!)


 カウンターの下で静かにガッツポーズをしたが、きっと殿下からは兜が邪魔して見えていないだろう。


 仕事の資料だと格好つけて言ったは良いが、私の欲しいものは何を隠そう恋愛のハウツー本や恋愛小説の類である。


 じれじれモダモダ、くっつきそうでくっつかない。そんな初心うぶなカップルのストーリーが大好物なのだが、この街の図書館も書店も蔵書数が少なく、欲しい本はなかなか手に入らない。


 欲しい本を一覧にするだけで全ての資料を準備してくれるという条件は、もしかして最高の取引ではないだろうか。



「そうと決まれば、すぐに占いましょう。殿下の運命の相手を占えばいいのですね?」

「ありがとう。実は今、王都では私の婚約者選びが進められている。筆頭候補はヘイズ侯爵家のリアナ嬢なんだが……彼女が本当に私の運命の相手なのかどうかが知りたいんだ」



 少し目線を反らして赤面する殿下は、まるで恋する少女のよう……だと想像する。もちろん兜で見えないのだが。


(きっと殿下は、そのリアナ様とかいう方に恋をなさっているのね。婚約する前に運命の相手なのかどうか知りたいなんて……何だかとても初心で純粋な方)


 まるで恋愛小説に出て来るヒーローのようだ。

 私はふふっと笑うと、立ち上がってボロ小屋の窓を開けた。


 外はもうすっかり夜だ。

 開いた窓からは、ちょうど私の目の前に満月がはっきりと見える。



「雨が上がって良かったです。今晩は月がとても綺麗なので、今日の占いは絶対に当たりますよ」

「月が占いと関係あるのか?」

「はい、恋占いには月の力を借りるんです。今夜は幸い雲一つありませんし、何と言っても満月。こういう時の占い的中率は百パーセントです!」



 そう言って小屋の外に出た私は、小屋の傍にある泉の前に膝をついた。


 泉の水面に映った満月に右手をかざし、そこに全身の魔力を集中させる。

 私に付いて外に出て来たアーノルト殿下が、少し離れた場所に立ってそれを見ていた。



「殿下のご希望通りの結果が出るとは限りません。それでも本当によろしいですね?」

「分かっている。私の運命の相手が誰なのか、それを知ることができればそれでいいんだ」

「運命の相手と結ばれれば、もちろんお幸せになれるでしょう。ですが、運命の相手とではなくても幸せになっている方は沢山いらっしゃいます。恋占いは、愛し合う二人の絆を更に深めるためのもの。二人の仲を引き裂くためのものではありません」

「……クローディア嬢。私の心配をしてくれているのだな。大丈夫だ、どんな結果が出ても受け入れると約束する」



 その言葉を聞いて安心した私は、もう一度右手に力を集中させた。


(さあ、アーノルト・イングリス殿下の運命の相手を映し出して)


 心の中で唱えると、右手の手のひらからぼんやりした光が現れる。光はそのまま手から離れると、泉の水面を覆うように広がっていく。


(この光が消えた後、殿下の運命の相手の顔が水面に映し出されるはずよ)


 しばらく待っていると、徐々に青白い光が弱まってきた。

 水面に現れた女性のシルエットは、満月の光を吸い込みながら徐々に鮮明になっていく。


(このシルエットがリアナ様なのかな? 何だか随分と粗末な服を着ているようだけど。リアナ様は侯爵家のご令嬢って仰ったわよね?)



「クローディア嬢。結果は……? リアナ嬢は私の運命の相手だろうか」

「ええ、少しお待ちください。何だか見たことのある安っぽいお洋服とお顔が映っ……」



 水面の青白い光が完全に消えた。そこに映った女性の姿を目の当たりにした私は、唖然として言葉を失う。


 間違いない。水面に映ったこの顔を、私が見間違えるわけがない。


(ちょっと待ってよ……アーノルト殿下の運命の相手ってまさか)



「……私なのっ?!」

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