第2話 運命の相手は誰ですか

「どうしたんだ、クローディア嬢。大丈夫か!」



 思わず泉に手を突っ込んで、バシャバシャと動かして水面に映った自分の顔を消した。

 水面が乱れて自分の顔が消えたのを確認すると、私は全身の力が抜けてしまい、そのままうしろに倒れ込んだ。驚いて駆け寄って来たアーノルト殿下が、私の背中に慌てて手を添える。



「大丈夫か? クローディア嬢!」

「……はい、申し訳ありません。平気です」

「良かった……そうだ、占いの結果は? もしかして悪い結果だったのだろうか?」



 不安そうに尋ねるアーノルト殿下と目を合わせることができず、私はそのまま顔を背けて口をつぐんだ。



(なぜなの? アーノルト殿下の運命の相手が私だなんて。そんなことあり得ないじゃない!)



 しかし、狼狽する私の頭上で輝くのは金色の満月。

 たかが占い、されど占い。私の持つ恋占いスキルは、神に祝福された神聖で正統なスキル。誰かの魔力で操作でもされない限り、満月の夜に間違った結果が出るはずがない。


 とは言え、意中の相手との未来を夢見てわざわざこんな田舎街までやって来たアーノルト殿下に、「運命の相手はリアナ様ではなく、この私です!」などと言えるわけもないじゃないか。


 困った私は頭を抱えた。



(あちらは王太子で、私は平民の落ちこぼれ聖女。釣り合う要素なんて一つもないのに)



「クローディア嬢」

「すみません。大丈夫です」

「気分が悪いのか? 一人で歩けそうになければ、私の背中に」

「いえ! 遠慮します!」



 兜を被ったおかしな人物だとは言え、仮にも王太子におぶって運んでもらうなど、一平民の私に許されることではない。

 私は背中を支えてくれている殿下の手を避けて立ち上がると、裾に付いた土をパンパンと払った。昼間の雨に濡れた土は、服にも手にもべっとりと付いて離れない。



「それで、占いの結果は? リアナ嬢は、私の運命の相手だったのだろうか」

「それは……」

「それは?」



 兜の中から真っすぐに見つめてくるキラキラした瞳に、私はあわあわとたじろいだ。


 リアナ様が運命の相手ではないことを告げて、アーノルト殿下の純粋な恋心を踏みにじることなど、私にはできない。

 例えリアナ様が殿下の運命の相手ではなかったとしても、誠実に思いやりをもって愛すれば、きっと殿下の想いは伝わるはずだ。


 恋占い師のお仕事は、二人の仲を引き裂くためにあるのではない。私はお客さんの恋を全力で応援したくて、この仕事をやっているのだ!


(――イングリスの神よ。王太子殿下を欺こうとする愚かな私をお許しください)


 私は満月に向かって十字を切ると、心を決めてアーノルト殿下の方に向き直る。



「……アーノルト王太子殿下の運命の相手は、リアナ・ヘイズ様で間違いありません」

「そうか、リアナ嬢で間違いないと。そうか!」



 アーノルト殿下は少し涙ぐみ、額周辺の兜を抑えて下を向いた。

 自分の恋心が成就すると知って、嬉しさを噛みしめているのだろう。


 一方の私の方は、嘘をついてしまった罪悪感で心がチクチクと痛いのだが。



「殿下、おめでとうございます」

「クローディア嬢、感謝する。本当にありがとう」

「とんでもありません。殿下とリアナ様が仲睦まじく過ごされますように、私はこの街で陰ながらお祈りし……」

「これで、私の呪いがようやく解ける!!」



 アーノルト殿下は感極まったという様子で、私の両肩を力強く掴んだ。

 理解が追い付かず固まってしまった私のうしろで、どこぞの犬の遠吠えだけが辺りに響く。


(……ん? 呪いが、解ける?)



「殿下。私の聞き間違いでしょうか。今、……と仰いましたか?」

「そうなんだ。実は先日、ちょっと呪いをかけられてしまってね」

「ちょ、呪いの話をそんなポップな感じで言わないで!」

「私のファーストキスを運命の相手に捧げることで、呪いが解けるのだ」

「ふぁっ、ファーストキス?!」



 もう本当にツッコミどころが満載すぎて少し時間が欲しい。

 アーノルト殿下はリアナ嬢とやらにピュアな恋心を募らせて、私の恋占いにすがるため、わざわざこんな田舎街までやって来た。


(勝手にそう思っていたんだけど、もしかして違った?)



「殿下、落ち着いて下さい!」



 人に落ち着けと要求しておきながら、私の手の方がよっぽど震えている。


(まず落ち着くのは私だよ、クローディア!)


 自分に言い聞かせながら、私は心の平穏を求めて辺りをぐるぐると歩き回った。



「すまない、驚かせてしまったね。大丈夫だ、リアナ嬢が私の運命の相手だと分かれば何の問題もない。私のファーストキスをリアナ嬢に捧げれば良いのだから」

「……ちょっと待って!!」



(――どうしよう、どうしよう!!)



 アーノルト殿下が呪われていることを知らなかったとは言え、嘘をついてしまったのはあまりにも軽率だった。でも、誰が王太子殿下に呪いがかかっているなんて想像できるだろうか。


 そして殿下の仰ることが全て真実ならば、殿下の呪いを解くためにファーストキスを捧げるべきは、リアナ様ではなく私だ。

 しかし、今更真相を伝えることもできない。


 目の前でニコニコと微笑む殿下に向かって、私は念のために問うてみた。



「アーノルト殿下。もし、解呪に失敗したらどうなるんですか?」

「二十歳の誕生日が終わるまでに呪いが解けなければ、私は死んでしまうんだ」


 (――え?)


「すみません。もう一度聞きますが、もし呪いを解くのに失敗したら?」

「死ぬ」



 せっかく立ち上がって服の土埃を払ったにも関わらず、私はもう一度ぬかるんだ地面にくずおれた。


(失敗すれば死ぬ、ですって? どうして早く言わないの? もう少し早く教えてくれたら、私だって変な嘘をつかずに済んだのに)



「ちなみにお誕生日はいつ……」

「一月後だ」



 今からでも本当のことを伝えようか。

 しかし今更真実を伝えようものなら、王太子のファーストキスを奪いたいために嘘をついた、ただの不届き者だと思われるかもしれない。


(言えない……でも、ファーストキスをリアナ様に捧げられてしまったら、もう取り返しがつかない)


 なぜファーストキスなのだろう。

 ファーストに拘るのだろう。


 ファーストキスじゃないと駄目だなんて、解呪のチャンスはたった一度しかないと言っているようなものだ。


 私は地面に膝をついたまま、天を仰ぐ。


(運命の相手が途中で変わるという可能性はあるかしら……)


 アーノルト殿下が呪い殺される日まで、残り一月。その間に殿下とリアナ様の二人が仲を深め、お互いに心の底から愛し合うようになれば、運命の相手がリアナ様に変わるなんてことは?


(やってみる価値はありそうだよね)


 一月後、また満月の夜はやって来る。

 その時点で運命の相手が変わらず私のままだったら。


(その時は、殿下が寝ている隙でも狙って、こっそり私がファーストキスをチュッと奪っておけばいいんじゃないの?)


 できる気がする。

 なんだかんだ口実を付けて、アーノルト殿下の近くにいることができれば。


 もう一度姿勢を整えると、私は澄まし顔で言った。



「アーノルト殿下」

「どうした? クローディア嬢。まだ気分が悪いのか?」

「リアナ様が運命のお相手とは言え、恋愛というのは一筋縄ではいかないのが常と言うもの。一月という短い期間でリアナ様をモノにするには、相当な恋愛スキルが必要です」

「恋愛スキル……か……。私はこれまで、一度たりとも女性と親密な関係になったことがない。私一人でリアナ嬢とファーストキスを達成するまでに至れるだろうか」

「私がお手伝いします!」



 アーノルト殿下はその言葉に一瞬驚いたが、口をきゅっと結び頷いた。



「手伝ってくれるのか」

「はい! これでも私は恋占い師の端くれ。男女の色恋沙汰については誰よりもプロフェッショナルです。必ずや殿下の恋を成就させて見せます!」



 万が一の場合は、私が貴方の唇を頂きますが。

 ……とは言えない。


(実は私も恋愛経験ゼロだけど、恋愛小説だけは誰よりも読んだし。きっと何とかなるはずよ!)


 満月の下、アーノルト殿下と私はがっちりと握手を交わした。

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