Spring Memories 第3話 告白

 「え、なんで」

 涙を目に浮かべた早緑六花さみどりりっかは、その視線の先にいる葉月へ、そう呟いた。

 あの時以来、また無言で見つめあう二人。

 朝倉葉月あさくらはづきは、気まずくなり自転車から降りて彼女の方に歩いていく。

 こういう時、どうすべきなのかはこの年の男なら誰でも知っている。そして、左手を制服のポケットに入れて、その存在を確認する。

 彼女の前に立つと、葉月は左手にもったハンカチをポケットから取り出し、目の前に差し出す。

 「なんで泣いてんのか分からないけど、とりあえずこれで涙拭いてくれ」

 彼女は、困惑した顔のまま、それを受け取り涙を拭き始める。そして拭き終わった後、少し笑顔になり「朝涼葉月くん……だっけ?」と葉月に訊ねた。

 「ああ、そうだけど……」

 「なんでここにいるの?」

 「あぁ、いや、俺のバイト先がこの先のファミレスでさ、向かってる途中に同じ制服の姿が見えたから」

 「泣いてるところ、盗み見したんだ」

 「言い方悪いなっ」

 (いや、実際、盗み見ではあるんだけど)

 「あははっ、ごめんね。大きな桜の木だなぁって眺めてたら目にゴミが入っちゃてさ」

 金髪ハーフのその少女は、もう一度桜の木を見直す。

 「なんだよ、心配して損した」

 「あ、そんなこと言うんだ。また泣きそうかも」

 「からかうのはやめてくれ」

 「こうして話してみるとあの頃と変わらないね」

 早緑は、そういってまた笑顔を見せてくる。

 『あの頃』と言われ、葉月は少し固まってしまった。涙に気を取られて普通に会話をしていたが、彼女は始業式の日に目の前の男を無視していたことを思い出す。同時に、『あの頃』の鵜やな記憶が蘇ってしまう。

 「というか、バイトの時間は大丈夫なの?」

 葉月の様子に気づいたのか、早緑は別の話題を振ってきた。

 その声に、葉月は現実に引き戻される。

 「あっやばい、そろそろいかないと店長に怒られる」

 腕時計を見ると、長身の針がアルバイトの始まる15分前に差し掛かっていた。準備をしないといけないのでこの時間にはもうついていないといけないのだ。

 「じゃあ、それ明日返してくれたらいいから」

 葉月は、そういって自分の自転車に戻る。自転車に跨り、ペダルを力強く踏もうとすると「葉月くん!」と声がした。

 その声の方向を振り返ると、「ありがとー!」といってハンカチを持った少女が両手を振っていた。周りを歩いていた歩行者は、なにごとだという風に葉月の方を見てくる。

 (目立つことすんなって……)

 葉月は、恥ずかしくなり、逃げるようにペダルを踏みなおす。もう一度、彼女の顔を見ると動揺しているのがばれそうなので、振り返ることなくそのままファミレスへと向かった。


 

 「……私も頑張らないとね」

 自転車が見えなくなった後、金髪の少女は四季の樹に向かってそう呟いた。

 ************************************


 翌日、葉月はクラス中の話題の的になっていた。朝礼が終わった後、早緑が、昼休みに屋上へ来るようにある男を誘ったからだった。

 「葉月なにかやらかしたのか」

 「なんでそうなる」

 「あっちから急に声をかけるなんて怪しすぎるだろ。葉月がなにかやらかしたとしか思えない」

 あらぬ疑いをかけられている男の親友である神楽千秋かぐらちあきは、根はやさしいやつなのだが、時々失礼である。

 「決してやらかしてはいない……、とは思う」

 彼女の涙を隠れて見てしまっていたことと、ハンカチを貸したのが余計だったこと以外は何もやらかしていない、と葉月は心の中で付け足しておく。

 「その間、なんか怪しいぞ」

 「ほんとに心当たりがない」

 勘が鋭い千秋に嘘を見抜かれそうになったので釘をさしておく。

 「まあ、それならいいけどさ。見てみろよ小春の顔、あれは当分、口をきいてくれないぞ」

 葉月は、千秋の向く方向に視線を向けてみる。視線の先には、頬を膨らませたうさぎのピンを光らせた女子がこちらを見て何かを言いたそうにしていた。葉月は、何もないと首を振ってジェスチャーする。しかし、信じてもらえなかったのか舌を出してそっぽを向かれてしまった。

 その様子を見ていた横の男は気にすんなとでも言いたげにニヤリとした表情で肩に手を置いてくる。いつものやりとりに、またかと葉月は溜息をついてしまう。

 正直、ハンカチを返すだけだったら昼休みでなくても、いくらでもタイミングはあるのに、と思う。

 (ましてや屋上って……、告白じゃあるまいし)

 葉月が、通っている桜が丘高校には、ある逸話がある。

 『桜が満開になってから散ってしまうまでの、およそ一週間(具体的な定義はない)の間に桜が丘高校の屋上で告白をすると、結ばれる』というものだ。

 あくまで、逸話なので実際に実行する人は少ないし、成功した事例を聞いたこともない。そもそも、今年は珍しく遅咲きなので学校がある日に桜の満開が被っているが、去年は既に散ってしまっていて、実行に移すことすらできない始末なのだ。だから、ある男女が屋上に行こうが、当人とその関係者以外は誰も気に留めない。

 しかし、葉月の場合は違った。クラスの中で、目立たないように一学年を過ごしてきた葉月は、それこそ関係者など小春か千秋くらいしかいない。それくらい目立たない(早緑の転校初日は少し目立ったが)葉月に、転校生の美少女が屋上に誘ったのだから、朝からあらぬ噂を立てられている。

 ***********************************

 四限の数学が終わると、早緑は弁当らしきものを持って、教室を出ていった。

 彼女に話しかけている友達らしき人もいたが、丁寧に断ったのだろう、そのあとをつけようとすることはなかった。

 (ほんとに、屋上で待ってるのか……)

 待たせるわけにもいかないので、葉月もお手製の弁当を持って席を立つ。教室を出ようとすると、どこからか「陰キャの癖に」という声が聞こえてきた。

 葉月は聞こえないふりをして、教室を後にする。言われ慣れているわけではないが、自分でもそういう風に思っているし、因縁をつけられるのもわかるからだ。

 髪もぼさぼさ、前髪で目が隠れていて表情がうまく読み取れない人に、いい印象を抱く人はいないだろう。それに、そもそも関わろうとする人がいない。今までの葉月は、それでよかった。実際、目立つことはなかったし、業務事項以外で話しかけてくる人は小春と千秋くらいだった。そんな根暗のような人物に、絶賛人気者の彼女は声をかけたのだ。逆に少しの悪口を言われないと気持ち悪い。

 


 屋上へ行く階段は、しばらく掃除されていなかったのか埃が溜まっていた。

 扉を開くと、外の風が一気に長くなった前髪に吹きかけてくる。それを手で押さえながら扉の向こうに行くと、奥の方に設置されているベンチに早緑の姿が見えた。彼女は、葉月の方を見ると笑顔で手招きしてくる。その手に誘われるがまま、ベンチに向かい彼女の隣に座った。

 「はいっハンカチ!」

 早緑は、そういって葉月の目の前へ綺麗に折りたたまれたハンカチを差し出す。手に取ると、ほんのりと柔軟剤の香りがする。

 「ありがとう。でもこれってわざわざ呼び出さなくてもよかったんじゃないか」

 「そうなの?」

 彼女は、疑問符を頭の上に浮かべているのか首を傾げている。

 「いや、周りのやつらに勘違いされるしさ」

 「勘違い?」

 反対に首を傾げながらそう訊ねる彼女に、葉月は少しイラッとしてしまった。こいつは何も分かってない。だから、少し強めに言い返す。

 「だから、俺みたいな暗いやつと早緑みたいなキラキラしたやつが関わると変な噂たてられるんだよ。例えば、告白されるんじゃないかとかさ……」

 「告白?なんで?」

 「そういう逸話があるんだよ。俺は信じていないし、早緑も知ってるわけないからありえないのは分かってるんだけど、周りには勘ぐってくるやつもいるからな」

 「え、逸話ってなにそれ!面白そう!聞かせて!」

 「あのさ、話聞いてた?」

 早緑は、俺との噂よりも逸話の方に興味があったらしく、葉月は仕方なく説明することになった。



 先に、弁当を食べ始めていた早緑は手を合わせて丁寧に「ごちそうさまでした」と言った後、お腹を抱えて笑い始めた。

 「なにその逸話!それで、周りの人は私が葉月くんを屋上へ呼びだしたことにあんなに驚いてたんだ」

 「あくまで逸話だし、全く関わりのない早緑が俺に告白するなんてありえないけどな」

 「告白かあ、まあでもここに呼び出したのは、もう1つ理由があるんだよね。それも告白っていったら告白になるのかな」

 「え?」

 葉月は、早緑の顔を見る。透き通った白い肌は、少し紅くなっている。まだ、肌寒い季節だから、というわけではないらしい。

 

 早緑は、突然歩き出し金網に手をかける。そして、数秒空を見た後、葉月の方を向き、ある言葉を言った。

 「私ね、本当は葉月くんのこと覚えてるんだ」

 

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