25

 パンッ! という爆竹をさらに大きく重く響かせたような破裂音が耳を突いてハッと我に返った流星は、それまで目の前に立っていたはずのリカの姿が消えていることに気づいて一瞬こそ慌てたが、

 あぁっ!

 当の本人はペタンと床に張り付いていた。ひっつめたままの長い黒髪が、風になびく新婦のウエディングベールのように裾野を床に広げている。うなじの後れ毛が湧いた汗で輝いて見えた。

「リ……リカ?」

 アヒル座りの状態で背中を床に倒し、仰向けになったまま何も反応することなく上半身を天井に向けているリカに、恐る恐る流星が近づいていく。

 見たところ血が出ているような様子は彼女にない。

 だが、呼吸をしている気配もない。

 そんなリカの頭上に立つと、顔の真上から瞳孔の開いた目を凝らして流星は見つめた。大きなリカの両目はぱっちりと開いたままではいるものの、黒目の焦点はあっていない。

「リカ?」

 目を開けたまま気絶してるだけだったらいいんだけど……。

 と流星がリカの体を揺さぶろうとして肩に手を伸ばしたそのときだった。

「聞こえてるって」

 まだ天井に向かって合わない視線を向けたまま、リカの口だけが機械的にそう動いた。

 リカァ!

 彼女はただ単に拳銃の爆音に驚き、そして腰を抜かしてひっくり返っただけのようだと、その瞬間に流星の口角が微かに上がった。

 だが実際は、咄嗟に自分を撃ち殺そうとしたという流星への強烈な恐怖心と巨大な絶望感が彼女から全身のチカラを奪い、そして思わずヘタリこんでしまったのだった。

 ゴゥはもう、私なんかよりも確実に気がおかしくなってる……。

 ゴゥのほうが、頭の中が自分以上にスロッピージョーみたいになっているに違いないと、天井を見つめたままリカは静かに溜息をついた。

 そんなタイミングで、

 リンドーン。

 乾いたチャイムの鈴のが1階から聞こえてきた。誰かがこの家を訪れたらしい。

 その瞬間、2階なのにもかかわらず、「シィー」とリカに向かって流星は自分の口元で人差し指を立てた。

 今はリカと2人だけしか家にはいない。

 ここは居留守を決め込んだ方がいい。

 息を殺して待ちさえすれば、そのうち先方は諦めて帰るだろうからと、流星は咄嗟に起き上がろうとしたリカを目で制する。

 だが暫くして、

 ダンダンッ! 

 と荒っぽくドアを叩く音が響いてきた。

 それを耳にして2人とも音を立てずに口を固く閉じ、体を硬直させたまま視線だけを階段の向こうへ向けている。

 そうしているうちに階下の様子が静まった。きっともう諦めたのだろう。

 そこで「あぁ」と流星は気づく。

 あれはきっとFedExだ。

 考えてみれば、更新されたI‐20やその他の必要な書類は、学校からいつもFedExで届いている。それは自分だけに限らず、リカもアキラもそうだった。

 これまでも、FedExがチャイムを鳴らしたりドアを叩いたりした後は、必ず玄関先にエンベロープが投げ捨てられたかのように置かれていた。

 だから、もしかしてケン二世宛てに学校から何かが届いたのかもしれないし、アキラだってリカだって、そして自分の場合だってそれは当てはまる。

 だから、あの2人が帰ってくるまでそのまま放っておこうか……。

 ここで「ふぅ~」と大きな安堵のため息をひとつ漏らしてみたが、いや待てよ、と流星はもう一度考えてみる。

 オレはさっき、弾を一発撃ってしまったじゃないか。だからもしかすると、その音を聞いた近所の誰かが、慌ててポリスを呼んだのかもしれない……。その可能性だって大いにあり得る。

 途端にそのいずれかの答えを一刻も早く知りたくなってしまった流星は、「リカ、ちょっと見て来いよ」と軽く苛立ちながら声をかけてみたが、腰を抜かしてまだ立てないと彼女は言ってくる。

 やっぱりこのまま暫く静かにしていようか……。

 とは思ってみても、それはどうしても気になるし、不安な気持ちを引きずったままひたすら時が過ぎるのを待ってみても、それはただの取り越し苦労で終わるかもしれない。とりあえずもうそろそろあれから10分以上は経っただろうし、たとえそれがポリスだったとしても、もう今日のところは諦めてここから離れていることだろう。

 ドラッグによる躁鬱そううつ状態が収まらない流星は、その場で静かにとどまっていることが我慢できずに、階段を静かに駆け下りて玄関ドアのスコープを覗き込んでみた。

 思った通り誰もいない。

 なんだやっぱりFedExだったかと鍵を開けてノブを回したその瞬間だった。

 うわっ!

 いきなり勢いよく押し開かれたドアに体当たりされて仰け反るように後退した流星が、バランスを崩して思わず尻もちをついてしまった。

 床から見上げたその先に、黒い制服を着たプロレスラーのような男が2人、引き開けられたドアから姿を現してくる。

 ポリスだ!

 ドアスコープから漏れていた光が一瞬暗くなったのを見逃さなかったのだろう。それまで根気強くスコープの極小なレンズを睨みながら、ヤツらは息を殺してひたすら待ち続けていたのだ!

 入ってきたその途端に2人の内の片方がこちらに向かって何かを言ってくるが、英語が早くて理解できない。まずは立ち上がろうとしてみたが、それを両手で制された。そのまま座っていろという意味なのだろう。そうすればこの場から逃げることが困難だからと、流星は覚醒している脳内で咄嗟に理解した。

 続いて「両手を腰の後ろに回せ」らしいことを言ってくる。

 もうひとりは右手を腰にあてながら土足のままリビングの奥へと入っていった。手をあてているそこには、きっと拳銃が待機していることだろう。

 そんなことを考えているうち、背後に回した両手首にタイラップが絞められた。これでもう自分はこのポリスたちから完全に自由を奪われてしまった。

 リビングルームとキッチンとを回ってきたポリスが、相変わらず右手を腰にあてながら今度は階段を上がっていく。きっともうすぐあのポリスは、腰を抜かして床にへばりついているリカの姿に気づくことだろう。

 相変わらずこのポリスはしきりに何かを言ってくるが、口調は早いし英語の単語が分からない。試しに「アイキャンノット・スピークイングリッシュ」と言ってみたが、「ノー! ユー・スピーク・イングリッシュ!」と睨まれた。きっとそれは「私は英語を話せない」という訴えが英語だったからなのだろう。

 睨まれると自分の瞳孔がどうなっているのか気にかかる。このポリスは勘づいているだろうか、今このオレがドラッグでキマっていることを。

 2階に上がったポリスが戻ってこないところをみると、やはりリカに気づいたのだろう。そして今頃は、英語で受けた質問を流暢な発音で彼女が答えているに違いない。

 リカはさっきのことを正直に話しているんだろうか……。

 そういえば、あの銃は撃ってからその後どうしたんだっけ……?

 ブッ飛んでいたから何も覚えていないけど、もしもポリスに見つけられたら間違いなく現行犯逮捕を食らうことだろう。

 逮捕する時って日本の警察と同じ行動をとるんだろうか。

 いずれにせよ、今まで逮捕なんていう経験はなかったわけだから、同じか違うか分かりはしない。

 そんな余計なことばかりが頭の中を駆け巡っているその間、こっちのポリスは無線で誰かと何かをやり取りしている。いったい自分は、これからどうなるんだろう。

 とそこで、ポリスに支えられたリカが階段を下りてきた。ポリスの体がデッカくて、リカがやたらと小さく見える。

 それはまるで、迷子になって保護された幼い子供のようだと、流星は首だけ横にして視線を無理やり背後へと向けながら、開き直った卑屈な微笑を小さく浮かべていた。

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