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 結局ケンは、高額な保釈金を日本の父親に払ってもらうと瞬く間に、まさしく夜逃げ同然であっさりと帰国してしまった。

 おそらく保釈されて自由の身になったところで民事裁判が始まり、事と次第によっては牢屋で刑に服した挙句に強制送還とされてしまうことだろう。だったら治外法権となる日本にさっさと帰ってしまうのが得策だと、彼の父親も弁護士も早急な結論を出したに違いない。

 とワインボトルを片手にアキラは言った。

「電光石火ってあのことを言うんだろうなぁ~」

「でも、国外に逃亡したってことで、国際手配になんかなっちゃったら最後じゃん」

 両手に持ったゲームボーイに見入っている流星が、真っ赤に染めた剣山の様な頭を持ち上げると、ワインで喉仏を上下させているキッチンのアキラに向かって、身を沈めているリビングルームのソファーからそう声を投げた。いつの日からか流星は、貧乏ゆすりが止まらずにいる。

「まっさかぁ~! プロベーション期間中の2回目だからって、たかだかDUIくらいで国際手配なんかされないさぁ。ハハ」

 ワインボトルを口から離してアキラは笑うが、その、まるで呆れたかのような失笑を受けて、「なんだよ、オレのことバカにしてんの?」と声を荒げた流星は、ゲームボーイを投げ出すと咄嗟に立ち上がった。ルームメイトに鋭く浴びせるその視線は、完全に瞳孔が開き切っている。

 その姿を見てアキラは眉間に皺を寄せた。

 またゴウは完全にぶっ飛んじゃってるよぉ……。

 いいかげんヤベェな、アイツも……。

 人格がこれまでとはまったく変わってしまった流星に、アキラは小さくため息をついた。

「はいはい、まぁそうカッカしなさんなってぇ。それよりもさ、ケンはもうこれからあと3年は再入国できないだろうし、新しいルーミーを探さなくちゃって、大家にも言われてるからさ、だからリカもいい加減さぁ、早いとこ部屋を移しちゃった方がいいんじゃない? アズスーンアズって感じで」

 着の身着のままであっという間に帰国してしまったケンの部屋にそれまで同居していたリカは、もうすでに流星の部屋で寝泊まりしている。彼女は身も心も完全に流星へと乗り換えていた。

「とはいっても、まぁ今月分の家賃は払っていてデポジットもそのまま残していったみたいだし、部屋ん中に置いて行ったものはその間に誰だったかが整理するって聞いてるからさ、今すぐにって焦る必要はないかもだけどね」 

 と話しかけても、当のリカはソファーに埋まったまま眠りこけている。どうやらコークでハイになっているゴウに対して、ダウナーに入っているリカはおそらくクサをキメたのに違いないと、アキラは表情を殺したまま呆れかえっていた。

 けど、そんな自分もアルコール依存者の何者でもないことは確かなんだけどね……。

 と卑屈な笑みをこっそり浮かべて、アキラはワインボトルを1本空けた。

 今日もまた、何台かの消防車と救急車が、けたたましくサイレンを響かせながら、タウンハウスの前を通り過ぎていく。

 ……ったく、うるせぇなぁ……。

 流星はもうすでにカレッジからきっぱり足を洗ったかのように、完全に通学しなくなっていた。このままだと学生証が失効してしまうかもしれなかった。

 それはある意味で、あのケンと同じ道を歩み始めていると言ってもいいだろうとアキラは思う。

 昼過ぎに起きて白い粉をまず鼻から吸引し、すっきり目が覚めると無免許のままアキラの売り物を飛ばして買い出しに行く。支払いは1ドル単位からすべて日本のクレジットカードで済ませていた。よって金額の請求は、日本の実家に送られ続けている。

 そんな、ドライバーズライセンスの取得すら挫折してしまった流星にとって、目下のところキャッシュが必要なのは部屋の家賃だけだったが、それも実家からの仕送りで充分に賄われているから問題はない。

 ケンが居なくなってしまった今、流星は彼が残していったクスリでハイになるたびに、自分がケンのように思えてならなくなっていた。たくましい二の腕に掘られたタトゥーと鼻にピアスを光らせていた、あの野獣のようなケンの分身に、さも自分が成り代わったのような錯覚を流星は抱いていた。

 その比率が正常時よりも次第に逆転し始めてきた頃だった。

 バレンタインデーの夕方に、流星は自らの運転でベニスビーチへと向かい、ケンと同じく左右の腕にタトゥーを入れて、鼻の片側にピアスを開けた。

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