15
1998年の年が明けてもケンは一向に戻ってこなかった。
その原因は、DUIで留置された保釈金額が今回は尋常ではないようで、さすがの父親も資金調達に手こずっているらしい。
と、1月分の家賃の支払い日に大家から聞いていたせいか、同居人の3人は特に何も心配していなかった。
だからいつもと変わらず普通に毎日の時間が過ぎていく。
だが、ひとりだけは確実に変わっていた。
「オォ~! イイじゃんイイじゃん!」
1階のバスルームから姿を現した流星に、アキラが開口一番そんな声を上げながら、瞳をランランと輝かせている。
が、実際に輝いて見えるアキラの瞳は、最近の日本で女性たちに流行り始めているらしい「カラコンのせいだよ」と、続いてバスルームから出てきたリカが流星に向かって呆れたかように冷笑してくる。その嫌味な笑いは果たして無知な自分に対してなのか、それともアキラの女性的なセンスにだろうかは、流星には分からない。
とにかく、「今日からは
「ゴウ? ゴウって誰だよ」
いつもの通りワインボトルを片手に持ってソファにうずまっているアキラが、肩眉を吊り上げてカラーコンタクトの向こうから流星を横目でジッと見つめてくる。
「ゴウってさ、ほら、スラムダンクのアカギタケノリだよ」
アカギ……タケノリぃ……?
と考えながら、同時にひと口飲んだワインボトルを口から離すと、
「なんでタケノリがゴウなんだよ」
もう片方の手に持っていたゲームボーイを放り投げながら、アキラは続いてその口を尖らせてみせた。
「え? だってさ、
なんだよそれ無理やりじゃんと呟きながらも、
「まぁ確かに、その髪型はアカギっぽいもんなぁ」
と立ち上がったアキラが衛星のように流星の周りをゆっくりと歩きながら、そのヘアースタイルをしげしげと眺めている。その隣でリカも納得したかのように
流星はこの日、それまでは初期のビートルズのような『モップトップ』とファンの間で呼ばれている『おかっぱ』ヘアースタイルから一変して、サイドを短く刈り上げてトップの部分をフラットに立たせた黒人ラッパーのような、それまでとは真逆ともとれる挑発的なスタイルへとイメージチェンジを図っていた。
そしてそれをバスルームで一時間もかけてスタイリングしてくれたのは誰あろう、流星の隣で瞳を潤ませているリカなのだった。
「これから赤にでも染めてみようかと話していたんだ。なぁリカ」
流星はこれまでと一変して、男らしく自信にあふれた心の持ち主になっていた。
そのきっかけは、ケンが留置されたその晩から、彼女であるはずのリカが流星の部屋に泊まり込み始めてからだった。
「ねぇちょっとぉ」とノックもせずに部屋のドアを開けてくる、おそらくケンの物であろうオーバーサイズな黒いTシャツ一枚だけの彼女に、それまで勉強中だった流星が、なんだどうしたんだとイヤホンを外しながら当惑している、というよりも突然の襲来で若干の脅えを見せていると、
「あのさぁ、これって知ってるぅ? はいア―ン」
との強引な誘いに乗って思わず開けてしまった口の中へ、ピンクの錠剤をリカがヒョイと投げ入れてきた。
え?
と思ったのも束の間、
「あれ? コレってもしかして、エクスタシー?」
そう目を見張る流星の膝の上に、「そうだよん」と答えながら、持っていたミネラルウォーターをひと口含めておもむろに浅く腰を乗せると、「え?」と戸惑う流星にはお構いなしにそのまま体を反転させたリカが、ポカンと半開きにしたままのその流星の唇にいきなり自分の唇を押し付け、口に含んでいたその水を一気に流し込んできた。
えぇ~!
目を丸くして思わずゴクリと喉を鳴らした流星に、
「ケンがさぁ、まだまだ色々と置いて行ったから、これからふたりでじっくり楽しもうと思ってぇ」
と耳元で囁きながら、さらに再び唇を合わせてゆっくりと舌を滑らせてくる。
その途端、流星はたまらなくなったかのようにリカの唇にむしゃぶりつくと、気付いたときにはそのまま下着もつけていない彼女の小さな体を持ち上げて、放り投げるかのようにベッドの上へ横たわらせていた。
クスリが効いてきたせいで自分をそうさせているのかは分からない。
とにかく、流星がはじめて女性を知った相手は、このリカなのだった。
けれどリカは本当に自分のことが好きなのか? だなんて流星には関係ない。
「そもそもウチはケンと付き合ってるわけでもなかったもん。何かといえば親父に頼るお坊ちゃんのくせに不良ぶっちゃってる無責任男だし」などと悪びれる風でもなかったリカは、もともとケンとは限らず誰でもよかったのかもしれない。目の前の浮ついて薄っぺらい快楽さえ充実させてくれる男であれば、誰でも。
そんな彼女の手の届く半径の範囲内に、これまでは
ただ、「なぜ相手がアキラじゃなかったの?」といった、良く言えば素直ともとれていたのかもしれない
「あのさぁ、あいつオトコ好きだからさぁ、だから日本に住みづらくなっちゃって、コッチに逃げて来たんだよ!」
と、なんだか怒っているかのように、リカは鼻に皺をよせていた。
そのときは「あそっかぁ……」とすごく納得した。だから以前にどうしてLAに来たのかを訊いた時、
「日本にいるとさ、とにかく息苦しいじゃん?」
とアキラがコッチも見ずにワインを飲んでいたんだ。
そこでやっと、ミッションビエホのレイブでアキラとトモとが絡んでいたシーンを流星は思い出した。
リカとの初体験からもうすでに、流星はクスリでハイになっていた。ハイになっていなければ、そんな度胸なんて生まれてはこなかった。
それからその後は連日連夜、はたしてクスリが先か、リカの体が先なのかも分からないほど、無我夢中でハイになった時間を流星はただただ過ごしていた。だがそうしていなければ、いとも簡単に激しい鬱が自分の心身へ襲ってくる。カレッジへの通学もおろそかになってしまっていたが、彼はまったく気にも留めていなかった。
もうこれまでのコカインなんて体が受け入れられない。ケンの持っている様々なドラッグは、それらすべてのレベルが格段に違った。それまではもっぱら入手不可能だったMDMAはもちろん、コカインもなかなか普段では手に入らない高級なものらしく、吸引する度にどんどんどんどん流星は自信に満ち溢れた勝気な男に変貌していった。まるで自分が、ほうれん草を口に放り込んだ途端に変貌するポパイにでもなったかのようにさえ感じていた。
その証として、流星は髪を切り、呼び名をそれまでの『かえで』から男らしい『ゴウ』に変え、弱気で大人しかったこれまでの自分とは内外から共にきっぱりと決別させたのだった。
しかしそれが今後の自分にとって、どういった結果を及ぼすことになるのかなんて、もちろん流星にはまったく分かっていなかった。
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