13

「今日のことはケンたちに内緒ってことでー、よろしくねー」

 気が付くと、いつの間にかもう夜は白みはじめていた。

 あれから間もなくして流星はトモと別れたアキラを見つけ、広場のはずれに停めていたアキラの車に乗り込んだ途端にそう告げられた。

 車内からでは見えない湖畔の、その向こうに広がる冷たい空が、それまでの藍色からオレンジ色へと変化していく自然のグラデーションに染まっている。

 アキラの言う「今日のこと」って、先程のMDMAのことなのか、それともトモとの関係のことを言っているのかは、流星にはわからない。

 どちらにしても面倒だから両方とも内緒にしていようと心に決めながら、いまがチャンスとばかり気になっていることを先輩ルームメイトに訊いてみる。

「ねぇ、それはそうと、あのドラッグってボクにも買えるの?」

 トモからもらったというM&Mチョコレートの茶色いパッケージを両手の指先で開きながら、運転席のアキラに流星は顔を向けた。

「へ? あのドラッグって? さっきのMDMAのこと?」

 乗ったばかりのフリーウェイをひたすら飛ばしながらアキラは前を向いたままそう訊き返してくる。

 そんなこと、もう分かっているくせに。

 だが流星は、それに気づかぬふりをして、

「そうそれ! あれって結構スゴかったから、また試してみたいなぁーと思って」

 つとめて明るく返してみた。余計なことを言ってアキラのご機嫌にさわったら、せっかくの入手先を教えてくれなくなるかもしれない。

 トモが手に入れている売人だったら、きっとアキラだって知っていることだろう。

 けれどアキラの口からは意外な言葉が返ってきた。

「それがさぁ~、トモに訊いても教えてくれないんだよねぇ~」

 前方に視線をやったままアキラは言う。

「え? そーなの? どうしてだろ」

 袋を開けたM&Mチョコレートの一粒ずつをそれまで口の中へと連続で放り込んでいた流星のその手が止まった。モグモグと咀嚼していた口を一旦止めてポカンと丸く開けたまま、再び運転席に顔を向けている。

「知らないけどさ、とにかくトモは教えてくんないし、ハリウッドのクラブに行ってもMDMAなんか売ってる奴はぜんぜん見当たんないし。勿論いつものアソコじゃぁジャンクばっかでまず無理だし……。第一さぁ、あれってまだ出回りはじめたばっかだから、そうそうそこいらじゃ手に入んないんじゃないのかと思うんよぉ」

「えぇー」

 そんなぁ……。

 なんてことだ。アキラでもあれは無理だなんて……。

「じゃあケンだったら? さすがにケンだったら手に入れられるんじゃ……」

「知らないけど、たぶん無理だと思うよ。だってケンは、その辺レベルの紹介はしてくんないからさ」

 流星の言葉を遮るようにしてアキラは呆れた顔を向けながらそう言ってくる。その間の何マイルかは、運転手が真横を向いたまま車を飛ばしていたことになる。

「なんだかさ、ケンはヤバいルートからヤバいルートに横流しもやってるみたいでさ、俺たちには知られたくないんじゃない? そのへんのことはさ」

 溜息のようにも吐き捨てるようにもとれるアキラの力が抜けた返答に、

「でも、ボクたちは別に売るつもりで……」

「じゃあ自分でケンに訊いてみなよ! 俺はもう無理だからさぁ!」

 突然アキラはこちらを向いて、あきらかに怒気を含んだ声を上げた。

 なぜだかいきり立っている。

 きっと以前にこの件でひと悶着あったのかもしれない。

「とにかくアイツはさぁ!」

 とそのままの勢いで声を上げたが、助手席に座るルームメイトに八つ当たりでもしているかのような自分の大人げなさにハッと気がついたのか、我に返ったかのようにここからアキラはいつもの口調に戻して続けた。

「……あ、ほら、このあいだ、エコーパークレイクに安モンのブローを買いに行ったじゃん?」

「え、あぁウン……」

 これまで見たことのなかった、不安定な感情を剥き出しにしたアキラの様子に、流星は若干の戸惑いを隠せずにいる。いったいどうしたというのだろう。

「あれだって、ケンにしてみりゃ数あるなかで自分の商売にならないレベルのモンだったから教えてくれただけであってさ、本命は絶対に口を割らないんだよね」

 口を割らないって……。

「じゃぁさぁ、アキラが前に言っていた語学学校の友達は? ねぇどうなの?」

「うるさいなぁ! 俺にはもう無理って言ったじゃん! しつこいよカエデ! おまえがそんなに欲しいんだったら、自分で探してみろよぉ! 俺はもうその辺のことは一切かかわらないからさぁ!」

 まるでこれが最後通告といわんばかりな怒声を再び運転席から放り投げると、アキラは肩を怒らせながら押し黙ったまま前方だけを見つめている。

 その横顔に愕然とした瞳を向けながらも、なぜ自分はそこまで違法ドラッグに執着しているのか、なぜ自分はそこまでしてでも法を犯したいのかといった、これまでになかった自身に戸惑いを覚えると同時に、その反面、そんな自分のこれまでになかった意志の強さに、流星は的外れな頼もしさをも感じていた。

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