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それは、流星がはじめてコカインを吸引したその日から悩まされ続けている、効果が切れた途端に襲ってくる激しいうつ状態を、「実はタバコよりも健康的なんだよ。ほら、同じ酒でも養命酒と一緒みたいなもんでさ」とのアキラの講釈を信用して常用しているマリファナでなんとかごまかしながら、吸引は週に1回程度と自分なりに制限こそしてはいるものの、結局はもうこれで3回目となるエコーパーク・レイクへアキラと仕入れに行ったその翌日にあたる、流星の通うカレッジが『サンクス・ギビングディ休暇』の10連休を迎えたその深夜のことだった。
「あ、おかえりー。久々だけど、どこいってたの?」
ここのところ姿を見せなかったケンと彼女の気配に気づいた流星が、この10連休を利用して一気にドライバーズライセンスを取得してしまおうとの計画でデスクに広げたテキストから顔を上げるや否や、頭にはめていたヘッドフォンを放り投げて席を立ち、自室のドアを半分開けて廊下に顔を出しながら、開口一番そう訊ねてみた。普段から寝巻替わりにしている生成り色のスエットの上下を着ているのが恥ずかしいから、流星はドアから頭だけを出した状態のままでいる。
その目の前でちょうど部屋のドアを開けようとしていた黒いパーカーの、両袖に走るタトゥーのような模様と、背中に丸く描かれた独特な英文字は、流星にとって今までに見たことのないデザインだったが、それが日本ではまだ聞いたことのなかった『クロムハーツ』というブランドなのだとケンからすでに聞いていた。背中のフード越しにそびえ立つ大樹のような首元にも、きっと同じクロムハーツのレザーチョーカーが
そのパーカーがこちらを振り向いた途端に、流星は呆けたようにポカンと口を開けてしまった。
あれぇ……?
ケンはタバコの臭いを漂わせながら、この時期にしては顔がうっすらと日に焼けている。なぜ彼はこの季節に健康的な日焼けをしているのだろう。さてはサーフィンにでも行っていたのだろうか。
そんな推測を目まぐるしく巡らせている流星に、
「おぅただいま。あぁ俺らか? 俺らはサンフェルナンドバレーの山奥でやったレイブに行ってきたんだわ。っでな、そっからその流れでダチんとこに泊まって、サンクスギビングのパーティーやってよ」
おそらくケンの持ち物であろう同じようなパーカーを子供のようにオーバーサイズでざっくりと被っている彼女は何も言わずにさっさと部屋の奥へ消えてしまったが、ケンは振り向きざまにわざわざそう答えてくれた。目元から耳元にかけてそこだけ日焼けから免れた一本の線が伸びているのは、おそらくサングラスをかけていたせいだろう。
「え? レイブ?」
流星は口を半開きにしたままドアから出した小首を傾げる。
「なんだよ知らねぇのか。レイブってぇーのはよぉ、なんつーか、ゲリラ的に野外で開く、でっけぇクラブみたいなもんだな」
野外で開く、大きなクラブぅ……?
聞くと、それには日本人留学生も各地から多く集まっているという。
「っでな、深夜から翌日の日中までみんなぶっ飛んだまま踊りつづけるっていう感じでよ」
「え?」
ハイなったまま、深夜から日中まで踊りつづけるぅ……?
「ふ~ん、そうなんだぁ……」
と一応は答えてみたものの、流星にはその光景や雰囲気といったものがどうにも頭に浮かばない。
「じゃぁ俺もう寝っからよ。ここんとこマトモに寝てねぇから、んじゃぁな」
そう言いながら左手をあげたその薬指にも、いつものようにクロムハーツのごついシルバーリングが光っている。ケンがそのまま背中を向けて閉めた部屋のドアを見るともなく見つめながら、
「うん、おやすみー」
レイブかぁ……。
流星は暫く何かを考えていた。
翌日アキラにそのレイブとやらを訊いてみると、モチロン知っていると笑われた。きっとその笑いはケンと同様に、「オマエはそんなことも知らねぇのかよ」という呆れた意味を示していたのだろうと、流星は少しだけ傷ついた。
「ふぅ~ん」
深夜から日中までハイになったまま、みんなと野外で踊るのかぁ……。
それって留学生はみんな知ってることなんだぁ……。
普段は額を隠している前髪をカチューシャで持ち上げてデスクのテキストに視線を落としてはいるものの内容は上の空でそんなことを考えているうち、これまでビートルズだけしか知らなかった、ひたすら内気で奥手だった流星の心の奥から、違法薬物に続いてまたひとつ違った火遊びへの危うい興味が、真っ赤に熱くなったマグマのように沸々と心の底から湧きだしていた。
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