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「アキラはさぁー、日本からの仕送りだけで生活しているのぉー?」

 土曜日ももう昼過ぎになっているというのにも関わらずまだ豪快に寝癖をつけたまま、朝食用にとカレッジの帰りに昨日から買い置きしておいた『ランディー・ドーナツ』のドーナツが4つ入ったオレンジ色の紙箱の蓋をキッチンで開けながら、アイランド越しにリビングルームに向かって声を張り上げた流星は、これまでずっと気になっていたことをここでやっと訊いてみることに成功した。

 その一方で唐突にそんな疑問を投げかけられて「はい?」と一旦ファミコンゲームの手を止めたアキラが、

「まさかでしょー。でもまぁ確かに実家からの仕送りだけで生活はできるけどさ、ほら、アッチの軍資金が結構かかるじゃん? とはいっても俺たちF1ビザだから堂々とアルバイトもできないし。だからさ、モグリで車の販売やってんのさぁー」

 と埋もれているソファーから顔を上げながら同じく大声でそう投げ返してくる。

「え?」

 クルマの販売?

 そんなことははじめて聞いた。第一、肝心な売り物のクルマはどこにあるというのか。

 そんな流星の疑問を察したかのように、

「ちなみに車の仕入れはさぁ、俺が通ってる学校の掲示板でみつけるんだよね」

 聞くと、どうやら帰国する学生たちがギリギリまで所有していた車を叩き売り同然な金額で売りに出しているのだそうで、自分は現金を見せつけながらそれを更に叩いて購入し、そして『ForSale』のサインを掲げてその車を道端に停めておくだけなのだとアキラは自慢げに言う。

「それだけ?」

「そうそれだけ」

 それだけであとは電話がかかって来るのを待っていれば、主に地元のメキシコ人らがいとも簡単に購入していくのだそうで、

「ほら、奴らは都合上キャッシュでしか買えない立場だからさ、せいぜい5000ドルまでくらいの予算しかないんだよね。でもって日本人学生が乗っていた車は日本車が多くてみんな綺麗だし、オイル交換だって真面目にやってたろうしさ、奴らとしては極上なブツを手に入れられるって、値切りもしないし試乗もしないでそのまま喜んで買っていくわけよ」

 しかも買い取った金額と売値がうまくハマれば1台で2000ドル以上は儲かるときもあるだと、アキラはソファーから背中を正して胸を張っている。

「ほら、こっちはさ、元の持ち主がサインしたピンクスリップをただ手渡すだけだから、チョチョイのパッで終わっちゃうんだよね」

 あとは奴らがそのまま乗り回そうが転売しようが向こうの勝手だから気軽なもんよと続けて笑う。

「でもさ、その金はみーんな、コッチへ流れてっちゃうんだよねー」とタバコを吸うような仕草をしてから、

「しかもだよ、最近はさぁ、売り物の車自体がなかなか出てこないんだよね。ほら、キミと同じでさ、ウチの学校の生徒たちもバスを使うようになっちゃったからね。少し前だったらみんな怖がってバスなんか乗れなかったっつーのにさぁ。まぁ、ここの治安が良くなったのは良いことだけどね、でもこっちはここんとこ商売あがったりってやつで、やんなるよ……ハハ」

「へぇ~」

 そんなこともひとりでやってるんだぁ……。

 近所の『トレーダージョーズ』でいつものワインと一緒に買ってきたというアーモンドミルクを入れたグラスを片手に口元を歪めて失笑しているアキラの顔をキッチンから見つめながら、自らの手で金を生み出す彼の商才やメキシコ人に物怖じしない度胸の良さを、流星は少しだけ羨ましく思っていた。

 そんな流星の尊敬の眼差しともとれる視線に気づいたアキラが、

「どう? これからそのアレを仕入れに行ってみる?」

 と軽い口調でいきなり誘いを入れてくる。

 その言葉に流星の心臓が一瞬ドクンと跳ね上がった。

 そのアレって……。

 まさかクルマのわけないよね……。

 とすると、もしかして……。

「えっ!?」

 やった! あのマリファナがまた吸えるんだ!

 途端にアキラを見つめる流星の瞳孔が膨らんでくる。

 だがそれは、大きな期待外れに終わるのだった。

 それどころか、大いなる恐怖心さえ流星は抱くこととなる。

 なぜならそれから1時間後。

「え? 電線にスニーカーが干してあるって……」

 それは、以前に少しだけの間ホームステイしていたあの場所あたりにも目にしたそれと、ほとんど同じ光景だった。

 アキラに連れられてきたその場所は、ウエストロサンゼルスを南に下ったベニスビーチとカルバーシティのちょうど中間にあたる、一聴すると聞こえはいいが実のところはまるでそこだけが行政から見落とされてしまったかのような、部分的に集中して低所得者が居住しているというどう見ても治安の怪しいスポットなのだった。

 民家を含めたすべての建物に鉄格子のようなフェンスが張ってある。

 そして「あれ?」と見上げた電線に指をさしながら、

「なぜあんなところにスニーカーを干しているの? もしかして、誰かに盗まれないようにとか?」

 速足で先を行くアキラの背中に向かって流星が訪ねてみると、その歩を止めることなく振り向きざまに、

「あぁ、あれは、シューフィティっていってさぁ……」

 流星の正面に向かって体ごと反転させたアキラがそう言いはじめながら、そのまま後ろ歩きで軽快に先へ先へと進んでいく。

「いろんな説はあるけどさぁ、ここではクスリの売人がいるよっていうサインなんだよね。まぁにはたいがいあぁやって吊るしてあるわけよ」

 え?

 ということは……?

「ねぇアキラくん、もしかして、ここって治安が……」

 と流星が口にしたその先を遮るかのように、

「そう。良くないんだなぁ~これが」

 一本だけ立てた右手の人差し指を左右に揺らしながら、片方の口端をキュッとあげてアキラはクールにほほ笑むと、

「だってさぁ、治安のいい場所でドラッグなんて売ってないっしょ? だからアレを手に入れるのはこういう怪しいスポットじゃなくちゃぁ買えませんてセンセー」

 やけに明るく続けてそう言ってはきたが、かたや、知ってしまった事実によって後悔というさざ波が次第に大きく小心者の自分へと凄まじい音を響かせながらグングンと押し寄せてくるのを秘かに感じた流星は、いったん歩を止めて「えぇ~!」と大げさにのけぞりながら、背中に伝わる悪寒とは裏腹に脇の下から冷たい汗を垂らしていた。

 だがもう遅い。

『マナイタのウエのコイ』って、こういうことをいうんだろうか……。

 けどもうここまで来たのだから後はなるようになれと腹をくくって、もう半ばヤケクソで開き直ることに流星は決めた。

 一方のアキラはそれまでの身をひるがえして正面に向き直り、またどんどん奥へ奥へと速足で進んでいく。

 とにかくアキラについて行ってみよう。そうすればその先に何かワクワクするような答えが待っているかもしれない。

 そうして、真っ青な空の下をズンズンと進んで行くほっそりとした背中を追うように流星がさらに歩を進めようとしたそのとき、急にアキラがその場で立ち止まった。乾燥しきってひび割れたアスファルトの真ん中で、そのまま周りをキョロキョロしている。

「どうしたの?」と声をかけてみたが反応はない。なので流星も黙ってその場につっ立ってみる。

 するとそれから2分と経たずに、明らかに作り笑顔としかとれないヒスパニック系の男が、車道沿いに置かれているゴミ袋が山積みになったコンテナの奥から怪しい雰囲気を醸し出しながら、軽快な足取りでアキラに近づいてきた。

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