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 ゥオンゥオンと響き渡る緊急車両のサイレン音で目が覚めた。

 あれは果たしてパトカーか救急車なのかまでは分からない。

 いつの間に寝ちゃったんだろう……。

 ついさっきあの3人がマリファナを吸っていただなんて、もしかすると夢だったのかもしれない。

 そんなことをぼんやりと頭に浮かばせながら、流星がベッドのサイドテーブルに転がした携帯電話を手に取って覗き込んでみると、ただいま午前2時6分。ついさっきだなんて思っていたけど、あれからもう5時間も経っていたとは。

 まさか……。

 今さら時差ボケってこともないよなぁ、と中途半端な時間に起こされて喉の渇きを覚えた流星は、そのままベッドから降りて部屋を出た。見ると階下のフロアーはまだ明るいままになっている。

 買ってあったペットボトルのミネラルウォーターがまだ数本は冷蔵庫に残っているはずだから、それだけ抜き取ってさっさと部屋へ戻ろうと、階段を下りていく流星は咄嗟に気づいた。

 あれ? なんだよ……やっぱあれは本当だったんじゃん。

 まだマリファナの匂いが微かに漂っている。

 だがそのリビングルームには誰もいなかった。玄関に目をやると、ピンクのビーチサンダルもナイキも見当たらない。

 3人ともあれかな、あれからどこかに出掛けたのかな……?

 リビングルームを見渡しながら相変わらずカオス化しているキッチンへと向かい、ミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から取り出した流星は、リビングルームのフロアーランプはそのままにして自室へ戻った。明日からまた普通どおりに学校へ通わなければならない。

 結局それからスッキリ眠れないまま翌朝8時にリビングルームへ降りてみると、階段を下りきったスペースにビーチサンダルとナイキともう一足、新たに黒ラインのアディダススーパースターが転がっている。アディダスはおそらくケンのだろう、ナイキよりもサイズがデカい。

 昨夜と同じくフロアーランプが付けっ放しになっているものの、誰も居らずに静まり返っているリビングルームを抜けてキッチンの冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを2本抜き出してバックパックに押し込むと、プーマを履いて表へ出た。

 それにしても、アキラとあの子はちゃんと学校に行っているのかなぁ……。

 あぁそういえば、まだあの子の名前を聞いていないや……。

 ここでやっとそのことに気づいた流星が、やや急ぎ気味に歩を進めながら目を泳がせてみると、朝日に反射してきらきらと輝いて見える夜露がまだ完全に乾ききっていない歩道のアスファルトは黒く光り、道路沿いにどこまでも連なったパームツリーは陽光を浴びながら、雲ひとつない青空へ天高くまっすぐに伸びている。

 流星は街中のどこにでもあるこの光景を目にするたび「あぁ、自分は本当にロサンゼルスで暮らしているんだよなぁ」といった一種の感慨にふけってしまう。

 タウンハウスの玄関を出て3分ばかり行った歩道沿いに備えてある青い看板の前で、両手をジーンズのポケットに突っ込んだ姿勢のまま、しばらく踵を上げ下げしながら落ち着かない流星の視界に、ビッグブルーバスの小さな姿がやっと入ってきた。

 相変わらず遅いなぁ~もぉ……。

 口を尖らせて誰にもわからない日本語を呟きながら、予定時刻よりも少し遅れのバスに乗り込んだ流星は、向かい合って座っている黒人の老婆やメキシコ人労働者たちを通り抜けて一番後ろの窓際席に腰かけると、今日もまっすぐにサンタモニカ・カレッジへと向かう。

 開始から終了まで英語ばかりの授業は退屈極まりなくてどうしようもなかったが、今はとにかく通わなくてはならない。入学は簡単だったがそこから先が厳しいことは知っていた。知ってはいたが、退屈なものはいつまで経っても退屈だし、友達といってもそれはうわべだけのものであって、ただキャンパスで笑顔を交わす程度といっていい。ルームメイト募集の掲示板を教えてくれた日本人学生はあれから一度も見ていない。だから流星には友達らしい友達がまだいない。かといって今後もできるかというと、引っ込み思案な性格ゆえにそんな自信は毛頭なかった。

 そのうえ日本と違って駅前の繁華街といったものが車社会のロサンゼルスには存在していないし、ゲーセンもなければコンビニはあっても雑誌はすべて英語で立ち読みなんかできないから、ひとりで暇も潰せない。

 アキラやケンやあの子は今ごろ何やっているんだろう……。

「あぁ帰りた……」

 ページを開いたテキストとノートで占領されている机に突っ伏してそう嘆く現在の流星にとって、まだ入居したてのタウンハウスとあのルームメイトたちだけが、この退屈極まりないロサンゼルス生活のそのすべてといってよかった。

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