第3話 おととしの雨粒達Ⅰ-2 西尾隆之介

「なんで、シフトも入ってないのに店まで行かなきゃならないんだ。」

 不満をボソリとつぶやく。

 少しの外出にも身なりはきちんと整える。特に髪型には時間をかける。ヘアアイロンを使い、ワックスを手でのばし、しばらく指で納得がいくまで整える。

 スマホだけ持って、PCの電源も、照明も消さずに鍵だけかけて家を出る。

 財布-は、いいだろう。奢らせるから。


 comfortまでは歩いて10分。

 M線のH駅から2分のアパートに住んでいるが、comfortには少し離れたK線のF駅の方へ向かう。

大通りを渡り、神社の境内の裏道をショートカットすると、F駅前の目抜き通りに出る。飲み屋街のある脇道にそれてすぐの左手にある5階建てのテナントビルがある。2階へ階段で上がると、いつもバイトしている店がある。


「いらっしゃいませ。」

オーナーの辺見さん自ら出迎えてくれる。

「-っス。」小声の挨拶と軽い会釈をすると、ああ、と片手を挙げて、(来てるよ)とカウンターの方を指す。

今日はゲストだ。


 桐生が隆之介に気づき、「遅ぇよ。」とお猪口を見せる。横で軽く手をヒラヒラとみせる男は、美馬はるまだ。

 二人の間にはもう日本酒のボトルが開けてある。時刻は19時前だ。

店の中は他にカウンターに女性が一人、テーブル席もそろそろ埋まりそうで、そこそこ盛況だ。


 オーナーが奥のテーブル席を用意してくれた。

桐生と美馬は、酒瓶を大切そうに抱えて移動する。

 オーナーが、「さっきまで、彩音ちゃんが来てたんだ。今日はゆいちゃんも来てたよ。」と教えてくれる。

「そうですか。」軽くうなずく。本人は大きく会釈しているつもりである。


 彩音は実家の隣家の北野さんの次女の文枝さんが預かっているで、高校の入試の時には頼まれて、受験勉強を少し手伝った。

 北野さんの家は母親が早くに亡くなられていて、父親も亡くなられてからだいぶたつ。それ以来文枝さんが一人で暮らしていたが、お嫁に行った姉の音枝さんが3年位前に亡くなられてからは、文枝さんが彩音を引き取って二人で暮らしている。

あ、辺見さんと三人暮らしの時もあったか。

 祖母は文枝さんを「ふみちゃん」と呼んでいて、そのにあろうことか「孫は理数系が得意だ」と吹聴していたらしく、家庭教師なるものを引き受けてしまった。

 おかげで、同市内の南地区まで戻って、彼女の入試先の過去問と対策に悪戦苦闘するはめに・・・。彩音は西尾家で勉強することとなった。祖母は喜んで彩音に世話をやいていた。

ちゃんとした家庭教師を雇えばいいのに。

 まあ、文枝さんのおかげで今のバイト先を紹介してもらえたからよかったんだけど。


 問題は今日、彩音にくっついてきていた結さんだ。

 先日彼女は「成沢なるさわと言います。お兄ちゃんの妹です。ずっと会いたかったです。」と言ってきた。

 確かに自分は6歳迄、成沢は父親だと思っていた。

しかし成沢は母と自分に成沢姓を名乗らせることはなかった。

切り捨てるときも、ばっさり捨てられた。

悪夢の様な時間を、長い歳月をかけて薄めてきたというのに、何故今更、成沢の娘が現れるんだ。


「彩音ちゃんが、気を利かせて結ちゃんをつれて早めに帰ってくれたみたいだよ。」美馬がいう。

「あぁそうか。」西尾が椅子にサッと腰をおろす。

「でも、彩音ちゃんも災難だな。うまく利用されたっていうか。西尾家の事さがしていたら、彩音が隣に住んでいることに行きついて近づいてきたんだろ?」桐生が猪口に日本酒を注いでくれる。

「あいつは大人だな。結さんもここへ来る理由が変わってきているから別にいいよ。適当にあしらっていれば、そのうち飽きるだろう。」「なんだよ。何も頼んでないのかよ。俺は今日何も食べてないんだ。食べるぞ。」

 カレーを注文する。

「日本酒にカレーなの?」「結ちゃんって桐生に熱いよね。」

「味音痴!」「なんで平日に寝てるんだ。」「今日も背後から結ちゃんの熱い視線を浴びたから、背中がポカポカするぜ。」

「課題がおわらなかったんだよ。」「成沢が出て行ってから、母親が飲んだくれたり、精神不安定で入院したり、飲みに出かけて帰ってこなくなって警察沙汰になったりで、幼心に傷がついたよ。・・・今も飲んだくれだけどな。」

「お前の母親も酒豪なんだな。でも結ちゃんもお前の存在知らずに育ってきて、父親に黙ってまで、西尾に会いにきたんだから労ってやってもいいんじゃないか。」

(桐生―。成沢が沈黙してきたってことは、俺たちの存在は無いものとして暮らしてきたってことだぞ。そんな冷たい成沢が生んだ娘だ。きっと、己が正妻の子として見下して喜びを得ているだけなんだ。優等生みたいな感想を言うなよな。)

「いいんだよ。血が半分つながってたって、一緒に暮らしてなければ他人だろ。」

「おまえ、すさんでんな。」桐生が大きくため息をはきだす。

(ああ、なんて人を馬鹿にしている大きなため息なんだ。腹が立つ。)


 啓さんが、カレーを運んでくる。

「はいよ。カレー。」

「啓ちゃん、今日はシフト入ってたんだな。仕事終わったら少し飲もうよ。」と桐生。

「あぁ。」


「なんにしてもさぁ。自分は幸せですって顔で、捨てられた家族の前に現れるなんて、デリカシーないよね。」美馬が話を続ける。

「だよな。もっと相手のバックグランドを考慮するべきだよな。」

「うん。そう思うよ。」

「いきなり、現れてずけずけと懐まで入ってこようとするものずうずうしいと思うんだよ。」

「うんうん。」美馬はこうゆうときに賛同してくれるからいい。

「まず、父親の所業を知るべきだな。」

「うん。それで、桐生にもっと恋して最高潮の時にフラレて不幸になっちゃえばいいんだ。」

「えっ。」言葉に詰まる。ちょっと違うかな。

 はっとして、桐生に言う。「っていうか、桐生。おまえ結さんに手をだすなよ。出したら犯罪だからな。」

「なんだ、美馬の言うことに乗ってやってもよかったのに。」ニヤリとして肩をすくめてみせた。


「西尾とお母さんがつらい思いをしたんだから、結ちゃんも少しは不幸になった方がいいんだよ。」美馬が勢いづいてきてしまった。

「もう、いいよ。ありがとな。」

「春馬、酒を飲め!そして酔え!そして眠ってしまえ!」桐生が美馬に酒を注ぐ。

 お猪口がいっぱいだったから、溢れてびちゃびちゃになる。

「桐生、継ぎすぎなんだよ!」

「美馬は酔いすぎなんだよ!」

「桐生は飲みすぎなんだよ!」

「西尾はカレーと酒を一緒に飲むな!高いんだぞこれ!」

 今夜は酔いが早くまわって来そうだ。




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