第36話 いい思い

 月曜日になり、土萌の作った感想表を手にチル先生のところに向かった。

 まだ朝早いから、学校には朝練で来ている生徒くらいしかいない。

 おかげで、誰の目も気にすることなく職員室に入れた。



「失礼します。チル先生いますか?」

「あら、虹谷くん。お待ちしていましたよ」



 俺に気付いたチル先生が手を振ってくる。

 一緒に面談ブースに入ると、チル先生は近くに誰もいないことを確認して、ずいっと前のめりになった。

 ちょ、近い。近いです。

 いくら美人に慣れてるとは言え、年上美人は慣れてないんですよっ。



「それで、どうでした? ヌけました?」

「しょっぱなからぶっ込みますね、あんた……」

「え? ぶち込み?」

「はっ倒すぞ」

「押し倒すぞ……!?」



 なんなのこの脳内ピンク教師。

 かなりドン引きしていると、チル先生は正気を取り戻したのか、恥ずかしそうに咳払いをした。



「す、すみません。こういうことは初めてだったので、ちょっと興奮……じゃなくて、取り乱してしまって」



 全然隠せてませんが。

 チル先生、こんな人だったんだな……まあ18禁同人誌を描いてるから、ある程度予想はしてたけど。

 チル先生は俺のジト目から逃げるように、顔を逸らす。

 まったく……まあいいや。さっさと要件を済ませよう。

 かばんから印刷した紙を取り出し、チル先生に渡す。



「これは?」

「俺よりこういうのに詳しい彼女がいまして。読ませたら表にしてまとめてくれたんですよ」

「か、彼女に私の同人誌を読ませるなんて、どんなプレイですか……!?」



 そんなつもりは毛頭ない。

 まあ、若干名大興奮した子もいたけど。

 先生は紙を受け取ると、ざっと中身に目を通す。

 時にニヤニヤし。時に思慮深く頷き。時に恥ずかしそうに赤面し……まさに百面相だ。


 ……なんで俺、先生の百面相を見て楽しんでるんだろう。

 出してもらったお茶を啜りつつ、冷静になる。

 これ、万が一にでもセクハラにならない……?

 いやいや、最初にセクハラ紛いのことをしてきたのはチル先生だし、大丈夫大丈夫。

 ……大丈夫のはず。


 先生は最後まで目を通すと、咳払いをして口元を紙で隠す。

 隠しきれないくらい、口角が上がってるけど。



「ま、まあ……ふひっ。ん、こほん。これを作ってくれた方は、随分と私の作品が好きみたいですね。……ぐふふっ」

「先生、笑い方」

「……なんのことでしょう。あぁ、少し風邪気味だからかもしれませんねでゅふ」



 風邪気味の人はそんな笑い方しませんから。

 先生は気持ちを落ち着けるためか、数回大きく深呼吸をして、大切そうに感想表を抱きしめた。



「ありがとうございます、虹谷くん。こんな風に熱い感想をいただいたのは、初めてです」

「大袈裟ですね……SNSで見ましたけど、色んな人が感想を書いてましたよ」

「もちろん、皆さん応援をくださいます。しかしこれだけ熱のこもった感想をいただくのは、初めてなんですよ」



 ふーん……。

 俺には、誰かから感想を貰えるような趣味も、特技もない。

 こういう人たちは、こういった感想が嬉しいんだな……。

 なんて納得していると、また先生が前のめりになった。



「で?」

「……で、とは?」

「とぼけないでください。私は虹谷くんにも感想をお願いしたんですよ」



 ちくしょう、忘れてくれなかったか。

 確かに俺も読ませてもらった。それはもう、じっくりと。

 けど思春期男子に、あの手の本は読ませちゃダメだ。エロい、以外の感想が出てこない。



「えー、あのー、そのー……」

「読んでないんですか?」

「よ、読みましたけど……ね? その……言い難いことってあるじゃないですか」

「ふーん……そういうことですか」



 ニヤニヤ、ニマニマ。くそ、殴りたいこの笑顔。

 けど手を出しちゃダメだ。社会的に終わる。

 チル先生は口に指をあて、ん〜……と悩むと、何を思いついたのか、満面の笑みで手を叩いた。



「では、素直に言ってくれたらご褒美をあげましょう」

「ご……ご褒美? それって……」

「それは秘密です。あなたの感想を言ってくれたら、とってもいい思いをさせてあげますよ」



 ……いい、思い。それって……、

 脳が瞬間的に沸騰して、喉が異様に乾く。

 い、いい思いって、そういうことか……? そういうことですか……!?

 ま、待て待て待て。いくらなんでも、そういうのはまずいだろう。

 相手は教師。関係を持ってしまったら、今後の人生に支障が出るかもしれない。

 そして何より、みんなを裏切ることに……それだけはダメだっ。

 感想はしっかり言う。でもまず、そういうのはまずいとハッキリしておこう。


 力強い目で、チル先生を見る。

 チル先生は俺の視線を受けて頬を染めると、顔に手をあてて困ったように微笑んだ。



「そんな期待の眼差しを向けられると、困るんですけど」

「なんとでも言ってください。……チル先生、さっきのお話ですけど、いい思いというのはいりません。でも、感想だけは言います」

「あら、いいんですか?」

「はい」



 きょとんとしたチル先生は、直ぐに笑顔になると、ではと前のめりになった。



   ◆



「と、言う感じです」

「なるほど……いいところと悪いところ、両方の感想をありがとうございます」



 先生は聞いた感想をメモに取って、満足そうな顔をした。

 ふぅ……これでミッション達成、か。



「でも、本当によかったんですか? いい思いを受けなくて」

「はい。男に二言はありません」

「そうですか……仕方ありませんね。来期の国語の試験、あなたにだけ早めに試験範囲を教えようと思ったのに」



 …………え。いい思いって、そういう……?

 直近の試験は終わった。けど来期となると、かなり試験範囲が広くなる。

 それを先に知れたら……。



「ま、待っ……!」

「男に二言はないんですよね?」

「う……」



 チル先生は立ち上がり、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 あ……まさかこの人、こうなることを見越して……!?



「というわけで、ありがとうございました。さあ、教室に戻りなさい」

「……俺、先生のこと嫌いになりそう」

「私は好きですよ、虹谷くんのこと」



 よく言うよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る