第4話 七色樹里

 今日は珍しく、アラームより先に起きてしまった。

 アラームより先に起きると、損した気分になるのは俺だけだろうか。

 部屋に樹里はいない。

 あの子はいつも、自室で寝るからな。

 けど起こさないと、いつまでも寝てるし……起こしに行こ。

 樹里の部屋をノックして反応を待つ。

 ……反応ないな。わかってたけど。



「はぁ……樹里、入るぞー」



 部屋に入ると、樹里たちの匂いが煮詰まったような、女性特有の香りが漂ってくる。

 閉ざされたカーテンから、陽光が淡く射し込む。

 部屋の中は意外と整理されている。

 にしても……汚い。

 服は脱ぎっぱなし。タンスは空きっぱなし。ティッシュはゴミ箱から外れてる。

 お世辞にも綺麗とは言えなかった。

 日曜日は、また掃除かぁ……やれやれ。


 未だに爆睡中の樹里に近づく。

 かわいい寝顔だ。気持ちよく眠ってるのか、起きる気がしない。

 因みに、樹里はちゃんと服を着ている。

 といっても、タンクトップにショートパンツという、結構肌面積の多い服だけど。

 これ下着と変わらないじゃん。



「樹里、起きな。朝だぞ」

「くかぁ……くぅ……」



 返事の代わりに寝息を立てる樹里。

 その度に、チャーミングな八重歯がちらっと見える。

 このまま寝かせておいてやりたくなるけど、起こさず学校に行くと怒られるんだよな。



「樹里ー、おーい」



 樹里の肩を揺する。

 その度に揺れるお胸がなんとも……眼福です、ありがとうございます。



「んむぅ……んん……?」



 あ、起きた。

 綺麗なエメラルドグリーンの瞳が、暗がりの中でも主張している。

 ちゃんと起きてないから、いつもの猫目がとろんとしてるけど。



「樹里、おは──」

「ぁー、アキだぁ」

「ほぐっ!?」



 急に伸ばされた手。

 頭を捕まれ、たわわなお胸に引き寄せられた。

 肺いっぱいに樹里の匂い。

 顔はお胸様に包まれて、柔らかさと柔らかさと柔らかさを感じる。

 こ、こいつっ、寝ぼけてやがる。



「んふふー……アキぃ、髪の毛ふわふわぁ……」

「ちょっ、樹里……!」

「わんちゃんみたい……かぁぃぃ……くかぁ〜」



 寝た!?

 結構強く抱き締められて動けない。

 まあ、この役得状態から動きたくないって気持ちの方が強いんだけど。

 けどこのままじゃ、俺が学校に遅刻する。

 このまま寝たい気持ちを抑え、樹里の脇腹をつついた。



「にゃあぁんっ!?」



 よし、起きた。相変わらず、こういう刺激に弱い子だ。

 けど反射的なのか、抱き締めたまま俺のことを離さない。

 むしろ、もっと締め付けが強くなった。

 ちょ、これ普通に締め付けられて苦しい……!

 無理っ、死ぬ……!



「はぁっ、はぁっ……ん? ……アキ、何してんの?」

「んー! んー!」



 気付いたなら離せ!

 く、苦じぃ……! タップ、タップ……!



「ひゃぅっ……!? どっ、どこ触ってんだぁ!!」

「ほべっ!?」



 び、び……ビンタ、痛ぇ……。

 廊下まで吹き飛ばされ、部屋を締め出された。

 ま、まあ、起きてくれたならいいか。

 ……頬の腫れ、治まるかなぁ……?



   ◆



 はい、治まりませんでした。

 そのせいで今日1日、周りからは痴情のもつれやら、浮気の制裁やらと、また変な噂が立った。

 ある意味で制裁ではあるけど。

 樹里、まだ怒ってるかなぁ……?



「た、ただいまぁ……ん?」



 なんだろう。甘い匂いがするような。

 樹里のやつ、お菓子の爆食いしてるんじゃないだろうな。

 ダメだぞ、お菓子は体に悪いんだから。

 ここは樹里のために、がつんと……言えるかな。


 ゆっくりと、ダイニングキッチンへ続く扉を開ける。

 余計に甘い匂いが強くなった。

 ご機嫌なのか、鼻歌が聞こえてくる。怒ってはない……のか?


 キッチンに立っている樹里は、髪をサイドテールにまとめてエプロンを付けていた。

 ミニすぎるスカートに、肩出しのニット。

 ギャル風にメイクもばっちり決めている。



「ふんふんふーん♪ らんらんらん♪ よし、かーんせいっと」



 カウンターの上には、可愛く包装されたクッキーが置かれている。

 シンクにはいろんな調理器具が水に浸かっている。

 まさか……あれ、手作りか?

 え、樹里って料理とかお菓子作りできたっけ……? 初耳なんだけど。

 それにしても、あんなに綺麗にラッピングして……誰かに渡すのかな。



「ふぅ……アキ、喜んでくれるかな……?」



 えっ、俺? ……なんで俺?



「よ、よしっ。アキが帰ってくる前に、最後の練習を……」



 樹里はラッピングしたクッキーを手に、部屋の鏡の前へ行く。

 数回の深呼吸をし、見たこともないほど満面の笑みを見せた。



「おっ、おかえり、アキ。今朝はビンタしちゃってごめん。その……お、お詫びに、クッキー作ったの。初めて作ったけど、上手にできたと思うから……た、食べてほしいな」



 ……健気だ。かわいすぎる。樹里のこんなところ初めて見た。

 でも……どうやって入ろう。

 こんなところ見ちゃって、平然とした顔で入れない。

 今も口元のにやけが止まらないし。

 ここは出直して──。


 ギシッ。


 ……あ。

 和風建築を忠実に再現したのが仇になった。

 床の軋む音が響き、俺と樹里の動きが完全に止まる。

 固まった樹里が、錆び付いたロボットのようにこっちを向き……目が合った。



「あ、あー……ただいま」

「………………………………よし、死のう」

「待て待て待て待て待て!?」



 何言ってんのこの子ッ、何言ってんの!?

 慌てて部屋に入って、樹里の肩を掴む。

 ちょっ、暴れんな……!



「ううぅっ。むりぃ……! あんなところアキに見られたら、もう生きていけないぃ!」

「かっ、可愛かったから! 全然大丈夫だから落ち着け!」

「可愛いとか言うなぁ……!」



 あーもうっ、めんどくさ可愛いな!

 暴れないよう、樹里の体を強く抱き締める。

 おかげで落ち着いたのか、樹里は力を抜いて俺に体を預けてきた。



「……笑わない?」

「笑うもんか」

「……怒ってない?」

「怒ってないよ」

「……ごめんね、アキ。痛かったよね」

「ちょっとだけ。でも気にしてないから」

「……ありがとう」



 もう、大丈夫そうだな。

 樹里を離すと、顔が真っ赤で涙目になっていた。

 恥ずかしがり屋なのは変わりない、か。



「えっと……それじゃ、クッキー貰ってもいいかな?」

「う、うんっ。紅茶も用意したから、部屋で食べよっ」



 待ってましたとでも言うように、樹里が俺の手を取って2階へ上がる。

 こんなに浮かれた樹里を見るのも、久々だな。



   ◆



「なあ、アキ。クッキー、ちゃんと美味かったか?」



 深夜。一緒のベッドに寝転がっている樹里が、俺の腕の中で、心配そうな顔をする。

 どうやら初めて作ったから、心配で仕方ないみたいだ。



「大丈夫。美味かったよ」

「そ、それならいいんだけどさぁ」



 口元をもにょっとさせている。ニヤけるのを我慢してるみたいだ。

 我慢しなくても、もっと喜べばいいのに。

 素直じゃないんだから、まったく。


 部屋の時計が、もう少しで日付をまたぐ。

 最後に樹里の頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細め、口を『ωこんな』感じにした。



「また1週間後だな。寂しくないか?」

「さ、寂しくねーよ。ウチ、他の奴らよりアキに依存してねーもん」

「そうだったのか?」

「……うそ。めっちゃ寂しい」



 樹里が俺の服を掴み、期待のこもった目を向けてくる。

 仕方ないな……。

 腰と頭に手を回し、抱き締めるようにしてキスをする。

 と──樹里が舌を絡めてきた。

 いわゆる、ディープなやつ。

 いっ、いきなりかよ……!?



「んぅ……ぱっ。ぇへへ」

「えへへってな……」

「いーじゃんかよ。……ん、それじゃあな、アキ。また1週間後」



 いつの間にか日付けをまたいでたらしい。

 樹里の体が発光し、体が変化した。

 黄緑色の髪は、眩いほど綺麗な金髪に。

 猫目は切れ長でクールな印象。瞳の色は黄金色に変化する。

 胸は小さくなったけど、綺麗なおわん型に変わった。



「──あら、アキくん」

「おはよう、亜金」



 彼女は、七色亜金なないろあかね

 金曜日の時の姿だ。

 起き上がり、癖がなく腰まで長い金髪を手で梳く。

 まるで黄金の川のように揺らめき、電灯を反射して神聖な雰囲気を漂わせている。



「もう金曜日なのね。みんな、あなたに迷惑かけてなかったかしら?」

「まさか。みんないい子たちだよ」

「そう、よかったわ」



 クールに返すが、亜金は誰よりも心優しいことを知っている。

 亜金の頭を撫でると、嫌そうな顔をしながらも逃げようとしない。



「子供扱いしないでほしいのだけれど」

「子供扱いじゃない。彼女扱いだ」

「……あなたって、そういうこと平気で言うのね。慣れてる感あって腹立つわ」

「そりゃあ、7人も彼女がいればこうなる」

「女の敵」

「全員、お前だけど」

「……ふんっ」



 亜金は立ち上がり、トップスのズレを直すと、扉の方へ向かった。



「寝るわ。夜更かしはお肌の大敵だから」

「ああ、おやすみ。また明日な」

「……ええ。また、明日」



 亜金は恥ずかしそうに手を振ると、自室へと戻って行った。

 夜更かしはお肌の大敵、ねぇ。

 それ、他の子たちに言ってやってくれないかな。大抵夜更かしするから。

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