第8話
初めて私が死んだのは九世紀前になる。
燃える街に、横倒しになった高速道路。
ガレキから噴き出す炎を縫うように、大砲を装備した装甲車たちがコンクリート片を蹴立てて走っていた。
それが、私にとって最初の戦争だった。
「六番車、九番車。こちらS2。
まだ黒かった髪をかきあげる私が、喉に巻いたマイクに呼びかける。
「S2。D4、攻撃。了解」
指示通りにガレアスと戦車が進み、灰色の多脚車両を撃破する。しぃのが撃ったリボルバーカノンの破裂音が遅れて聞こえて、ようやく胸につかえていた緊張が取れる。
「S2、九番車。次の指示を請う!」
しぃのの明るい声がヘッドセットから飛び出した。
「九番車、こちらS2。C6へと移動せよ。ポイントまでは無線封鎖、以上」
「S2、九番車。位置C6へ移動。移動中の無線封鎖、了解!」
ブツッと嫌な音がして通信が切れた。
通信機はどっちもチャンネルを開いていないとコミュニケーションができない。この無線を切ったときの音は、相手がぷいっとそっぽを向いたようでドキッとする。
戦車の方にも指示を出したところで、車が止まり、運転手さんがコーヒーを運んできた。彼はいかにも軍人らしいがっしりした身体の男で、未成年で動員された私たちをよく気にかけてくれた。今しがた持ってきてくれたのも、貴重な純正のインスタントコーヒーだった。
「どうだい」
低い声で、彼は穏やかに聞いてきた。
私はヘッドセットを片耳だけ外して、コーヒーを受け取る。
「ん……、アカサカさんがガレアスで上手くやってます」
「彼女のはマーク3だったね。扱いが難しいのに、よくやる」
「でしょう、ウチの自慢なんです」
「きみは?」
「ええ」
私はにっこりと、スマイルを作った。
「喉が渇いたらコーヒーが出る職場って、たぶん学校よりも恵まれてますよね」
「皮肉かな?」
「ジョークですよ。それより本隊はどうなんです?」
撤退戦は最終フェイズに入っていた。私たち第三二捜索連隊は右翼を受け持ち、敵の地上部隊を足止めしている。
ワークデスクに広げた地形図をちらりと見て、そろそろ潮時かもしれないと思った。
小隊に八輌あった戦闘車両は、今や三輌だ。
けが人を後方に送るためにも、どこかで人手を割かなければいけない。
「歩兵大隊はまだ戦えるらしい。さすが負け戦の達人たちは違うよな。これで五連敗か?」
「運転手さんこそ、言うことが醒めてきました?」
「大局的になったんだよ、視点ってやつが」
コーヒーはとっても苦く淹れてあった。
場を和ませるためだろう。私はひと口含んで、わざとむせてみせた。
後ろの車長がそれを見て苦笑する。彼は私たちよりも、ずっと作り笑いが上手い。
「ナツミ、あんまり大人をいじめるなよ」
と、戦闘のときはサッカーボールみたいに運転手の肩を蹴る彼が言う。
砲手が死んでから、車長さんはそっちの仕事も兼任してた。部隊では一番の年上で、いつも毒舌っぽいことばかり言ってた。おまけに東京生まれの人だけができるきれいな標準語で話すので、田舎出身の私なんかよりずっと通信手向けだと思ったものだった。
「え、私がですか?」
「やはりもっとレディーらしくだね……そうだな、通信で士気が上がるかもしれない」
「あの。愛想を振りまくのは嫌だと、こないだ言いましたよね」
「いやいや、あのガレアスの子だよ。どうもきみと仲が良いようじゃないか?」
「それが……いえ。そうですよ」
私は思いっきりしかめ面になって、コーヒーをすすった。
彼に悪気はないのだろうけど、本人のいないここで、しぃのを出すのは卑怯だ。
「ですけど、アカサカは口調ひとつでコロリと変わる人じゃありませんって。そういう知り合いを引き合いに出されるの、とっても不快です」
「これまたストレートだな、きみ」
車長の言葉に、運転手が噴き出した。
「よく妹にも言われます。だけど通信手なんですよ。私」
「だろうな。誠実なことは良いことだ。悪くはない」
「そうやって良いことで世の中が済むなら、学生も戦争に送られなかったんでしょうけどね」
「まあな」
車長は大きくうなずいた。
狂った時代だよ、と彼はよく言っていた。
そのときの顔がとても悲しげで、私まで落ち込んだ気分になった。
それから車長は少し考える素振りを見せて、思いついたように言った。
「でも魚にだって人間の真似して肺で息するやつがいるんだ。今は俺たち軍人の真似をして、やり過ごしたら、また海に戻ればいい」
「あの、ハイギョは淡水魚です……」
「比喩だよ。どうもいけないな、現役の学生さんには知識で負かされてしまう」
とことん生意気な私に、この人はまったく怒らない。
そういう私も、むすっとコーヒーを飲むふりをしながら、心の中で彼に同意した。
ここで戦うのは、私たちの役目じゃない。なのに周りが戦ってるからおまえも戦えと言われて、志願するはめになった。
戦う気もないし、戻ったところで腐るだけ。
たしかに、私たちはハイギョ止まりかもしれなかった。エラ呼吸も肺呼吸も中途半端で、お天道様に振り回される弱い魚だ。
「でも……」
左耳のところでカチッと音がした。
ヘッドセットだ。背筋が凍った。
「照準されました! 右転回!」
とっさに叫んだ。
戻った運転手がアクセルを踏み込み、車長が砲塔を回す。
前触れはなかった。残骸に動けるやつがいたのか、それとも半日以上の待ち伏せか。
照準からやられるまで、三秒もなかった。
その瞬間は、すべてがスローモーションのように感じた。IRレシーバーが敵のロックオンに悲鳴を上げ、運転手の首すじを汗が流れ落ちている。車長の怒号と、通信機のつまみを回す自分の指。助けてと絶叫した覚えがある。助からないと分かってたから、それしかできなかった。
まず光が内壁を貫いた。
鉄とウレタンと肉が一緒になってはじけた。
通信機の表示盤も砕けて、宙を舞う破片に私の「びっくり」という顔が映っていた。その顔がずたずたに裂けていく。片目が熱で白く沸き、耳に赤い線が走ってちぎれた。つまみを回した指はぐにゃりと溶けて、腕の裏側から折れた骨が突き出した。
衝撃波で吹き飛ばされたとき、壁の穴から敵が見えた。
ロケットランチャーを抱えた兵士。ガレキに隠れてこっちを見つめている。
その奥に、まだ動くものがあった。
二輌の戦車だ。私が間違えるわけがない。しぃのの方角に向かってた。
「しぃの、九時方向!」
ほどけかけた喉のマイクに叫ぶ。まだ距離はある。だから私が助けないと。
「九時! 九時だよ……!」
落下の衝撃で、腰の肉がはがれたのが分かった。
横隔膜に何かが突き刺さり、気道を通って口から血が流れ落ちた。
「九時だってば、しぃの!」
十回は叫んだはず。
なのに、しぃのからの返事はなかった。いつもなら、すぐ応答してくれるのに。
さっきの自分の指示がよみがえる。「ポイントまで無線封鎖」。彼女が移動中なら聞こえるわけがない。
敵の戦車はまだ進んでいた。
その数がどんどん増えていく。
ビルの陰、交差点の向こう、炎の揺らぎ、現れた戦車たちが、彼女を殺しに進んでいく。
目を閉じたかった。耳だってふさぎたかった。
でも、まぶたも両手も吹き飛んでしまっていた。
私を貫いたのと同じ光が見えた。
それに襲われる誰かの悲鳴が、残った片耳に聞こえた。血であふれかえった私の喉が震えていく。もう何も聞きたくない。しぃのの声が、私の絶叫の中に消える。ごめんなさい、ごめんなさい。私のせいで。ごめんなさい。
聞き飽きた言葉。
そうだ。
この戦場に、いつも私は立っていた。
あの日から、ずっと同じことを祈り続けてる。
彼女は私が殺した。
だから、私も彼女と一緒に死に続けている。
ごめん、しぃの。私のミスなんだ。
もし次があるなら、今度こそ彼女に会いませんように――って。
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