第5話

 アメニティの地図は半世紀前のものだったけど、『古弾グリーンチップ』という名前の店はまだ傾いた看板を掲げていた。

 ドアを開けると自動でプリペイドの中身が引き落とされ、義眼の視界にメニューが立ち上がる。私がいかにもアメリカらしいトンチキなアジアン料理を眺めるうちに、ラグマンは店の真ん中の丸テーブルにトランクを落とした。


 私が適当にクスクスを選ぶと、店の奥で中華鍋が振られる音がした。

 ディナータイムは音楽ショーをやるらしく、店の奥にステージがある。隣に配膳カウンターがあって、上手く視線を誘導するように出来ているように見えた。

「米はやめろ。配膳までが長い」

 ラグマンが合成タバコをくわえて、着火器の電源を入れる。

 ピアノの鍵盤みたいに黒く欠けた彼の歯列からぽくぽくと煙が出てくるのを見ながら、私は彼の隣に腰を下ろした。

 

「……普通、家族でも恋人でもない人間は向かいに座るんだがね」

 もごもごと言うラグマンの半分チタンプレートになった唇の上で、ひょこひょことタバコが跳ねていた。

「嫌だった?」

「言い方が悪かったな。席を替えろ。酒を置く場所がねえ」

「なるほど」

 私も少し時間をおいて、ひとさし指を立ててやった。

「でもこの席だと窓が見えるじゃん。狙ってるスナイパーに気付ける」

「俺だって兵隊くずれパープルハートだ。それくらい警戒してる」

「きみ、今から飲酒するんでしょ」

「ああ」くしゃっとタバコが噛み潰される。「酒は味が良いからな。それともおまえさん、この時代に機械を入れた人間サマが酔うと思ってんのか」

「ムキにならないで。からかっただけだから」

 顔面に「ごめんなさいの表情」を出力しながら、運ばれてきた皿にレンゲを差し込む。

 ラグマンもアクアヴィットの瓶をらっぱ飲みしつつ肩をすくめた。


 伍長コープ大尉キャプテンってやつは、軍隊だと殴る側と殴らせる側くらいの違いがある。製造年代だと私のほうが7世紀ばかり早いけど、階級は彼の方が高いから、こうして説教のたびにギクシャクしてしまう。

「ナンバについて、何か聞いていたか?」

 チェイサーのコロナビールを握って、ラグマンが下手くそな笑みを浮かべる。

 私がグラスの水を空けて突き出すと、とくとくと注いでくれた。

「いや。あいつ、普通だったよ」

「普通だ?」

「『今日こそ人生サイアクの日です』って顔で労働の義務を果たしてた」

「ああ、よく居るつまらん男だった。それくらいは俺だって知ってる」

 ライム抜きのメキシコビールはとても飲めたもんじゃなかった。私が半分残して置くと、ラグマンは苦笑して自分のちっちゃなショットグラスに移し替えた。


「勤めはこっちの集荷場がメインだったろ、あいつ」

「ん、専用の仮眠室も置かせてもらってるって自慢してた」

「明日はそっちの調べ物だな?」

 やだな、と声に出さず呟いた。

 あんな空っぽの若者の足取りを洗うのは、裏返した風船の中身を見るようなものだ。


 そのとき奥のステージでピアノの蓋が上がった。自動演奏でベコベコと鍵盤が下がり、歪んだブルーノートが鳴り響く。曲は知らないやつだった。どうせ20世紀あたりに流行ったオールデイズだろう。

「センスねえな」とラグマンが呟く。

 私が眉を上げると、彼はわざとらしくため息をついた。

「ホンキートンク・ピアノってやつには歴史がねえと……」

「きみがゲージュツを語るんだ?」

「楽器はただのメカだぞ。機械インストゥルメンタルだ」

 いかにもダルそうに、ラグマンは指で机にサイン波を描き始めた。

「癖が付くのは銃のバレルと同じだ。ジャズばっか歌わされてる楽器はツーファイヴのペアが揃って低くなるし、星条旗だけ弾いてるハイスクールのアップライトなら変ロだけ妙に軽くなる。そういうこなれがあるから、ホンキートンクは十八番おはこが出来る……」

「で、あそこのピアノは?」

「『それっぽく』弾いてる素人だな。日本語で言うところの我利ガリベン野郎ヤローだ」

 彼の片目がシャッターを切る。たぶん、ウインクしたんだと思う。


「歪んで聞こえるが、音がぶつからない程度に計算されてやがる。不自然で仕方ない」

「……アタシは下手じゃないならべつに良いよ」

「俺はナシだな。本物のパフォーマーは砂漠のど真ん中だろうが手前のサウンドを持ってるもんだ。ミスにビビるうちは、サイコーの演奏を経験してないド三流だね」

「あれのプログラマに言ってやりなよ。あんなのただの高級オルゴールなんだから」

 この親父、時代が時代なら立派なオタク野郎になっただろうな、とたまに考える。


「よろしいですかな」

 気が付くと向かいに男が立っていた。

 年齢としては老年と壮年の真ん中ぐらいだろうか。ほつれたタキシードを着ている。ここの従業員らしく、ネクタイからは樟脳とごま油の匂いがしていた。

 男はにっこりと笑い、ポケットから艶消しされたカードの束を取り出した。

「サービスで、タロット占いをしております。如何でしょうか」

「向こうの客の方が早く来てたけど」

 私がステージ際の男女のペアを指すと、男はええ、とうなずいた。

「しかし演奏に不満を持ったのは貴方がたが本日初めてですので」

 隣でラグマンが鼻を鳴らす。彼の太い腕がじゃらじゃらとテーブルの上にスペースを作ると、男は手早くカードを切って並べていった。


「兵士の中には占いにすがる者も多く居りましてね」

「で、どうせ逆位のタワーでも引くんだろ?」

「まあ、そういうものをさき良く読み解くのも私の仕事でございます」

 テーブルには十字に重なったカード。スートと数の組は剣の6と、聖杯の8。

「旅と、計画の破綻ですか。上手く行っておらぬようですね」

「上手く行ってる人間、ここに来ないでしょ」

 さらに上下左右をワンドの5や逆さまの吊るされた男たちが囲み、占い師の顔が険しくなる。

「どうやら自棄を起こしておられると見た。近いうちに不幸が降りかかるでしょう」

「で、解決は?」

 さっきから抽象的すぎて、どうとでも解釈できる占いばっかりだ。これなら私でもできる。


 男は片目をつむってそそくさと四枚のカードを縦に並べた。

 ワンドのエース、逆位のワンドのクイーン、戦車、逆位の太陽。


「あなたは偉大なことを成す素養があるが、その意志を死んだ旧友が邪魔している。彼女を振り切るなかで、本来の自分を取り戻すのです。それが解決となるはず」


(ナツミ)


 男の手が一瞬だけ細い少女のものに切り替わる。

 目を上げると、ぼさぼさの髪をした女の子が微笑んできた。


「ナト!」

 ラグマンが私の腕をつかむ。指はすでにホルスターのタウルス・ジャッジを握っていて、あとコンマ二秒遅れていたら、占い師の顔面を吹き飛ばしていただろう。

 しばらく嫌な沈黙が流れた。

 占い師の指がワンドのエースを離れ、私の腕に触れる。

「落ち着きなさい」

「……どこまで知ってるの」

「どこまで、とは」

 占い師が微笑む。目だけ笑っていない。

「ケルティッククロスの一枚目は、上から七枚めくって出たカードを置くのがルールでしょ」

 私はこわばった指で、カードで作った十字架をたたく。

「これ、三枚目だった。あなたは狙ったカードを順番に置いてるだけ」


 占い師の目がきゅっと小さくなった。

「あなた、誰?」

「かつては『市長』と呼ばれておりました」

 占い師が胸に手を置く。不自然に指が食い込み、肋骨の形がタキシードに浮かぶ。

 もう片方の手で、一枚だけのタロットカードが差し出された。

 今度は私の目でも、裏面の艶消しに一定のパターンが見えた。おそらく一枚ずつ違った模様が刻まれていて、触った感触で分かるようになっているのだろう。


 ラグマンがひったくるようにめくる。

 タワーの大アルカナだった。

 正位置でも逆位置でも最悪の運勢を示すカードだ。


「少し、賑やかになりそうですね」

 遠くで絶叫が上がった。


 ステージ際の男が立ち上がっていた。スラックスに食べくずが落ちるのも気にせず、両手でギリギリと隣の女の頭を挟み込んでいる。男も女も叫んでいた。倍音がピアノからのEs音とぶつかって凄まじいノイズに変わり、空気の震えでテーブルに積まれたカードの山札が崩れる。

 やがて女の側頭部が耳ごと深々と頭蓋に叩き込まれ、スイカのように肉片が飛び散った。やがてひとつ分減った絶叫もかすれ、鳥のヒナのように縦に裂けた男の口がこちらを向く。こっちも唇の端が大きく裂けて、その下に外れた顎の骨がぐらぐらと揺れていた。


 今度はラグマンも止めなかった。

 私が撃った410番の散弾は、男の喉をずたずたにして、脊椎に突き刺さったところで止まった。ヤツが追い口を打たれたケヤキみたいに倒れるのを見届けて、私たちは座って酒をあおった。

 もう『市長』は消えていた。崩れたカードの山から女帝やコインに覗かれながら、私はクスクスの皿を空け、ラグマンは追加のビールを胃袋に収めた。


 テーブルには市長の作ったケルティッククロスが残っていた。

 その中から戦車のカードを取り上げて、目の高さに上げる。

「なるほどね」

 と呟いてみた。こんなカードの意味、何も分かってないくせに。

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