第4話

 また飛んだのか。


 目が覚めると、背中にシーツのつるつるした感触があった。

 ブートアップした演算装置をひとつずつ運動野に繋ぎ、パルスを身体に流していく。肝臓から熱が回ってきたあたりで小指が動くようになった。ぱきぱきと義手の関節を折り曲げて身体を起こす。シーツをつかんだ拍子に、鉄サビのにおいのする息が口から漏れた。


 身体が汗だくだった。

 マラソンをしたあとみたいに息が上がり、開いた瞳孔のせいで部屋の光がまぶしい。

 まつ毛の上でちらちらまたたく朝の光を見つめて、ああそうか。私は寝てたんだ、とバカみたいに再認識する。


 ラグマンに連れられて宿泊施設にチェックインした。ふたつ部屋を取って、私はこの二〇三号室に入った。

「しぃの」とつぶやく。

 感覚を取り戻した身体が、ぐっと重力に引かれている。

 耳が痛いくらい、静かだった。

 今の人類は絶滅寸前で、静かな町は多いけれど、それを差し引いてもここは騒音が少ない。

 じっとしながら、さっきの夢のことを考えた。

 ヴァルハラ。

 唯一の手がかりを頼りに、ここまで来た。


 ああいう悪夢は慣れっこだ。

 ひどい寝覚めになったけど、まだサイアクってほどじゃない。

 でも、背中の汗は気持ち悪い。

 またベッドに倒れ込んで、ふしぶしの痛みにうめく。ラグマンの出力ゼロかフルパワーしかない暴走運転で揺られていたせいだ。現役時代の彼は士官だったらしく、今になっても訓練生のケツみたいにアクセルペダルを蹴っ飛ばしている。


 見上げると小洒落た天井があった。

 珍しく木造のルームだった。様式は、かなり前に流行ったアールヌーヴォー風なんとかかんとか。

 複雑なパズルみたいにアラベスク文様が入っていて、無意識に視線でなぞっていった。こんな無駄なことができる部屋は、私の基準では高級な部類に入る。ベッドも適度にやわらかくて、こんな時じゃなかったら天国みたいな気分にひたれただろうな。


「柔らかい枕、嫌いだな……」


 チェストにはマッチが用意されてて、箱の表には古風なタイポグラフィが印刷してあった。

 ヴァルハラ要塞。地名には簡潔なひと言。

 ひっくり返すとルノワールの絵が印刷されてた。こっちじゃマイナーな絵だったから、かなり驚いた。


 やっぱり昔は高級ホテルだったに違いない。

 ぴんと張ったベッドのシーツに、私は下着だけ。あんまり大きくないおっぱいが、今日はしこりみたいに重たい。なんとなくペタッと手を置いたらパッドから空気がずぼっと抜けて、思わず笑ってしまった。


 腕時計によると、時刻は九時。

 窓から朝日が差し込んでいる。

 じゃあ、二十四進法でもきっと九時なのだ。まるきゅーまるまる。

「……やめてよね」


 ガラスの代わりに、窓にはビニルのシートが貼ってあった。外は霧で、要塞の中央タワーがシルエットとなって浮かび上がっている。

 あの中は、たぶんほとんどが冷却装置だ。

 本体は地下の八層になったサーバー。フロア自体がオートメーション化されているから、ヒトがいなくても動き続ける。

 まあ、半永久的とは言わずとも、資源があるうちは。


 現在、人類はほぼ絶滅しているらしい。

 いまどき人間くらい、工場に受精卵を置くなりセックスするなりして、いつでも好きに作れる。今の地球環境が数億人の人間しか養えないのだから、増やす理由はない。その意味で、私は抽選に『当たった』側なのだろう。


 眠気覚ましに洗面所で顔を洗っていると、鏡に映った自分を嫌でも意識した。

 ラッキーガールってガラじゃない。

 よく不良少女みたいだと言われる。貧相で、ついでにおっかない。

 こけた顔に、ぎらぎらの大きな目。長髪は茶色のカチューシャで留めてる。でも前髪の癖っ毛がメッシュみたいで、清楚な感じはしない。

 見てくれはひどいもんだけれど、やはり十代でも通じるだろうなと思った。ちょっと擦れ枯らしになったティーンエイジャーって。

「十七歳、か」

 それくらい。見た目だけ十七歳の女の子だ。


「ずいぶん疲れてるね。ナツミ」

 いつの間にか、しぃのが後ろに立っていた。

 着てるのは、お馴染みのサファリジャケット。

 死んだとき、彼女は戦車兵だった。ポケットが多いという理由だけでジャケットを着て、タウルス・ジャッジ用のマグナム弾をいっぱいに詰め込んでた。目の前の彼女も、当時とまったく同じ格好をしている。


「しぃの……」

 私はかぶりを振る。

 消えてくれ、という意味だった。

 死んだはずの彼女が現れるのは八回目だ。あのゾンビ野郎を殺してから、ずっと続いてる。

「私は幻じゃないよ。ほら、手も足もあるじゃん?」

「でも死んでるんでしょ、いい加減にして……アタシは治りたいの」

「ナツミはヴァルハラって何だと思う」

 彼女は静かに言った。

「わかんない。しぃのは?」

 鏡に映った彼女は、記憶よりちょっと成長した姿だった。

 私にくれた拳銃はないけど、代わりに古ぼけたスキットルが左のももにくくってある。飲むのが好きな彼女らしいと思った。

「じっと眠ればわかるよ。ナツミは賢いんだから。今は体力がないだけで……」

「そうやって考えるの、嫌いなんだ」

 しぃのの目が細くなった。

「ね、いつもナツミから教科書ガイド借りてたの。覚えてるよね」

「アタシのを?」

「ナツミから借りることに意味があったの。分かってよ……」

 ふん、と口周りの水を飛ばして蛇口をひねる。

 もしかするとイラついていたのかもしれない。

 私が口をすすぐあいだ、しぃのはスキットルからカクテルを飲みながら、何かを待っているように見えた。鏡越しに私が目を合わせると、彼女は明るい微笑を浮かべた。


「ナツミ。イリヤだよ」

 イリヤ、と鏡に文字が浮かんだ。彼女の、丸っこい筆跡で。

「……?」

 私がまばたきすると、文字と一緒に彼女は消えた。

 そしてすぐに申し訳なくなった。

 しぃのの代わりに立っていたのは、がらくた男のラグマンだった。ちょっと気の毒そうに私を見つめながら、この部屋の電子キイを右手にぶら下げてる。

 肩には愛用のモスバーグを引っかけていた。軍用の散弾銃だ。


「ナト、その……すまない」

 気まずい沈黙のあと、彼はぐじゅぐじゅと言い訳みたいにつぶやくと、私が寝ていたベッドに腰かけた。

 まさか寝ずの番じゃなかったのだろうけど、ひどく眠たそうに見えた。

 密入国、密輸入、相棒の私は狂いかけ。

 ここのところ、彼はずっと危ない橋ばかり渡っている。

「聞こえてた?」

 ジャケットとホットパンツに着替えながら、私は尋ねた。

「ああ。まあな。いつもの女か」

 二回目の悪夢を見たあと、彼にも、しぃののことを話した。もちろん『昔の友だち』として。

「うん……どんどん出てくるスパンが短くなってる」

「まずいんじゃないのか?」

「大丈夫。あの子は死んでる。アタシはちゃんと分かってるから」

「じゃあなんだ。幽霊と会話したのか」

 ラグマンはうなった。

「ちょっと違うかな。誰かが私の記憶にアクセスしてるんだと思う」

 私は持参したバッグから焼酎を取り出して言った。

 ラグマンが「いらない」と言うのでコップはひとつだけ。グリーンティのリキュールと合わせてカクテルを作ると、私はラグマンの隣に座った。


「記憶ね。分からんな」

「だよね」

 私だってよっぽど分からんと叫びたい。

 わずかに理解したことだって、ぜんぶ想像と仮定ばっかりだ。

 何より、しぃの。わざわざ親友の顔を出してくるのが一番イラつく。

「でも妄想なら、知らない単語が出るわけないもん。『イリヤ』を聞いたことは?」

「誰だそいつ」

「ほらね」

 私は、しぃのみたいに微笑んだ。「ハッキングされてるんだ、私」

「生身の人間をか? じゃあ俺はどうして無事なんだ。こう見えてオンラインだぞ?」

「ん。答えはCMのあと、かな」

 ぐいとカクテルをあおって、甘さにうめく。まったく、素人がグリーンフィールズなんて作るもんじゃない。

 しばらくラグマンは、指をせわしなく組みかえていた。膝の上で動く彼の人工の手は、とても男らしい固そうな外装をしていた。ジャンクだらけの顔もそう。こればっかりは兵士と機械とバーテンダーのいいところを集めないと作れない。

「できるのか、ナト……」

 彼は、ぽつりと言った。

「信じてくれるんでしょ?」

「ああ」

 ラグマンはうなずいた。「おまえはジョークがわかる人間だ」

「じゃあ」

「だがナト、必要以上に急ぐなよ」

 また彼はシリアスな顔をしていた。

 自覚はなかったけど、本当は私はひどく弱ってて、それが表情に出てたのかもしれない。

 だとしたら困る。私はまだ元気なつもりなんだから。


 でも私は答えなかった。そしたら彼はさみしそうに立ち上がり、散弾銃のストラップを短く整えた。

「地図で良い店を見つけた。ちっとばかし早いが、朝飯にしよう」

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