第42話 玉響
移動中は電話に出られるから、手が空いたらコールしてとお願いしてから10分も経っていない。
言外に伝わって来る彼女なりの好意に、タブレットに表示された数字を眺める眼差しが自然と緩んだ。
隣の虎島が居心地悪げに肩をすくめたが知ったことがと気づかない振りをする。
「ご当地キャラクターらしいよ。駅前に居た。三代目だって。タヌキ饅頭とタヌキクッキーも売ってるみたいだったけど、お土産にしようか?」
『タヌキ食べるの可哀想だから要らない。戻ってくるの明日だっけ?あれ、明後日?』
「明後日。今日の夜は会食だから連絡出来ないけど、明日の夜は早めにホテルに戻れるはずだから、そしたら連絡するよ。明日は夜更かししてもらうから、今夜は早めに寝ておいて」
『私、電話の途中で寝ちゃうかも』
「じゃあ布団の中で電話して?そのほうが俺も安心だし。風邪引かせたら色んなところから叱られるからね」
『じゃあそうする。あとね、なんかすごい沢山のカタログが届いていたんだけど・・・あれって』
「ウェディングドレスのカタログ。とりあえず良さそうなのは片っ端から集めておいたから、気に入るものをピックアップしてくれる?時間があるからオーダーメイドでもいいんだけど、とりあえず梢の好みが分からないことには作りようもないし」
那岐が進呈してきた二人の最吉日に従って、半年後に入籍が決まったので、それに向けて着々と準備を進めていくことになるのだが、まずなんといってもウェディングドレスは外せない。
取引先や関係者には、入籍のすぐ後にある幸徳井の関連会社の周年パーティーで挨拶と報告の場を設けることにした。
ここまで時間を掛けて口説き落したのだから、せめて結婚式くらいは身内だけで和やかな雰囲気のなかで行いたい。
これには有栖川も大いに賛成してくれた。
梢を見世物にしたくないのは、颯も有栖川も永季たちも同じなのだ。
『ドレス作るの!?』
「せっかくだから、記念に残しておきたくない?」
『どこに保管するつもりなの!?』
「保管場所なんていくらでもあるよ。10周年記念でもう一回着るのはどう?」
馬鹿ほど土地と建物を持っている幸徳井なので、梢用に衣裳部屋として一部屋用意するくらいなんてことはない。
まだ新居も決めていないうちからそんなことを言ってのけた颯に、梢が唖然となった。
『・・・そこまで今の体型を維持できるか分かんないよ』
「まあ、その頃梢のお腹が膨らんでたら別のドレスになるけどね」
『それは・・・まあ、そうだけど・・・え、待って、10年後って私いくつ・・・』
「10年経ってもまだまだ産めるから大丈夫。俺は急いでないよ」
この国の現状高齢出産は珍しいことではないし、結婚したからといって大急ぎで三人家族になる必要もない。
ひと昔前ならば、取り急ぎ世継ぎをとせっつかれたかもしれないが、もうそれもない。
幸徳井には颯以外にも優秀な人間が大勢揃っていて、部下にも恵まれている。
颯としては、瑠偉や永季が望めば、喜んでいまの居場所を譲ってもいいとさえ考えていた。
ここに座っているのは、そうするべき人間がほかに見当たらないせいだ。
自分より上手く幸徳井を維持して行ける人間が現れたら喜んで引導を引き渡すつもりである。
西園寺は、一足早くその方向に向けて舵取りをして、母体から独立して自由な居場所を拵えることに成功した。
そうすれば、お上も仕事を下ろして来るのではなくて、丸ごと抱え込んで管理しようと動き出すだろう。
面倒ごとを引き受ける責任者はきっとそのうち必要なくなる。
そして、そうあるべきなのだ。
この国の為にも、世の中のためにも。
そして、長くこの因習に囚われて生きて来た、幸徳井や西園寺の人間たちのためにも。
「お色直しの回数は無制限にしておくから、ファッションショーする勢いで、何着でも選んで」
有栖川と相談して既にガーデンチャペルの会場を丸一日押さえてあるので、いくらだって融通が利く。
『結婚式でファッションショーって聞いた事無いけど・・・』
「俺にも選ばせてくれると嬉しいんだけどな」
『それはいいけど・・・』
「いいんだ?」
『え、だって二人の結婚式だから、颯の意見だって訊かないと。花婿さんを置き去りの挙式にするつもりないけど、私』
聞こえて来た梢の溌溂とした声に、ああ本当に俺はこの子と結婚できるんだと実感して、不覚にも泣きそうになった。
「・・・・・・うん、そうだね」
『あとね、チューリップ。全然枯れないの。すごくない?まだ枕元で生き生きしてる』
「良かったよ。愛情込めて選んだからね」
こっそり恒久不変の象徴である
「枯れてもまた贈るから。これから梢の部屋に花が途切れることは無いよ」
それは当然、結婚してからも。
颯の言葉に、梢が電話越しに小さく息を飲んで、嬉しそうに囁いた。
『嬉しい』
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