第43話 朝月夜

「・・・どうぞ」


こんな風に改まって颯を自室に招き入れるのは初めてだ。


思えば二人の関係がこうなる前から平然と彼は梢の部屋に無断で出入りしていた。


まるで自分の領域だと言わんばかりに。


「お邪魔します」


やや硬い表情で促した梢の顔を見つめて目元を和ませた彼が律義に挨拶をして部屋に入った。


「ドア、閉めていい?」


「え?うん。もちろん」


ドアは開けたら閉めるものだ。


有栖川家は家族以外の人間も出入りしているので、ドアを開けっぱなしにしておいたら、廊下を行きかう誰かがひょいと中を覗きかねない。


一応良家公認の元、幸徳井颯の婚約者という立場を手に入れた梢なので、こうして二人きりでいても何ら問題はないのだが、変化したばかりの関係に慣れていないし二人きりのところを誰かに見られるのは恥ずかしい。


だからわざわざお茶も自分で取りに行くからと舞子に断りを入れたのだ。


あれだけ引っ掻いて噛みついて天邪鬼っぷりを発揮していた手前、彼の前ですぐには従順になんてなれるはずもない。


それでも、ようやく素直に自分の気持ちを伝えられて、受け入れて貰えたのだから頑張って可愛げのあるところも見せたいのが本音。


ここに永季がいたらまるで借りてきた猫のように畏まっている妹を見てげらげら笑い転げたことだろう。


いや、デリカシー皆無のあの兄なら、遠慮なしにドアを開けて入ってきかねない。


「なんならカギもかけておきたいくらいよ」


妹の恋の進展を酒の肴にしてしまえる男なのだから油断はできないのだ。


真面目腐った梢の発言に一瞬目を丸くした颯が、そっとドアを閉めた。


「・・・・・・・・・それは俺の台詞だよ?」


嬉しそうに笑み崩れた彼の手がドアノブの下のカギを回す。


「これで安心だ」


ね?と視線を合わせた彼の眼差しがやけに熱っぽくて、あれ?と違和感を覚える。


どこかでなにかを激しく間違えた気がしないでもない。


不意打ち以外の颯の訪問自体が初めてなので、対処に困ってしまう。


ひとまず、来客を部屋に通しておいてお茶も出さないのはまずいだろうと、ソファを手で示した。


「・・・・・・う、うん・・・・・・あの、適当に座って待ってて。すぐにお茶を・・・」


「お茶は後で頂こうかな」


答えた彼が大きく一歩こちらに踏み出してくる。


ソファを示したままの梢の手を捕まえて絡めとると、そこに唇を寄せた。


関節に触れた唇が手の甲へ移って、ちゅっちゅとリップ音が響く。


むず痒い心地よさに後ろ脚を下げれば、咎めるように反対の手が腰を抱き寄せてくる。


「部屋に入れてくれてありがとう」


秘密を打ち明けるような声音で囁かれて、ああ自分が颯をここに招き入れたのだと改めて実感した。


そして、始めて婚約者を自室に招き入れてその上カギまでかけていい、とこぼした自分の大胆さに、ようやく気付いた。


「俺のことを受け入れてくれて嬉しいよ」


「う・・・ん」


それは嘘ではないし、梢だって颯にありのままの自分を受け入れてもらった。


誰かに幸せを強請るのは初めてのことで、きっとこの先一生他の誰にも言わない言葉を受け取った颯はこの上なく幸せそうだった。


繋いだ指先を強く握りこんで、かぷりと小指に甘噛みされる。


「・・・っ」


息を飲んだ梢の反応を確かめた颯が、ぺろりと舌先で爪の形をたどる。


「今日はどこまで許してくれるの?」


「・・・え・・・」


「唇は、もう貰ったけど」


目を伏せた彼が顎を掬い上げて、上唇を軽く食んできた。


唇の真ん中を強く啄んでから下唇にも同じようにする。


「んっ・・・・・・」


擽るように項を撫でられて息を飲めば、指の腹が襟足を引っ掻く。


「ぁ・・・っ」


漏らした吐息を待ち構えていたようにキスが深くなった。


反射的に引いてしまった腰を引き戻した颯が、後ろ頭を抱え込んで唇の隙間をノックする。


違う温度の舌先が唇を舐め上げる感覚に頭の芯が痺れたようにぼうっとなった。


こわごわ開いた唇の隙間を優しく舐めて、内側の粘膜を辿った彼がほんの少しだけキスを解いた。


「こず・・・・・・ちゃんと息して」


吐息交じりに言われて、無意識に呼吸を止めていた事に気づいた。


「っは・・・」


耳の奥で心臓の音が大きく響く。


息を吐いて吸えば、また唇を塞がれた。


今度は入り込んできた舌がぐるりと口内を一巡りする。


見えていないのにすべてを把握したような動きには迷いがない。


歯列を辿って上顎を甘やかすように擽られると、たまらなくなって鼻先からあえかな声が漏れた。


「っん・・・っ」


息苦しさと心地よさがごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。


おびえて縮こまっている梢の舌を優しく舐めて可愛がる間も、颯の手のひらは背中から離れない。


時折腰のラインを辿ってはまた背中へと戻って行く。


触れあった場所が蕩けるように熱くて、心と身体が潤んでいくのを感じた。


キスで満たされるなにかは確かにあって、けれど満たされた途端もっと欲しくなる。


舌先を強く吸われて、小さな電流が背中を駆け抜けていった。


腰の奥に溜まった熱が満ちてやがて溢れ始める。


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