第38話 乙女色
やれやれと肩をすくめた虎島が、ヒートアップしていく一方の女性の肩をやんわりと押さえる。
「落ち着いていられるわけがないでしょう!?」
数秒後に飛んできた言葉と振りかざされたカバンのアタックに、虎島がよろめいて後ずさった。
思いのほか威力があったらしい。
「近々きちんと場所を設けてお披露目しますから、それまではどうぞご内密に」
「ち、父はこの事を知らないはずよ!?先の契約の件だって、私が口添えしたから・・・」
気色ばんだ声を上げて言い返した彼女に向かって、颯が退屈そうな眼差しを向けた。
相変わらず梢の顔は見えないように腕の中に囲いこんだまま、強請るように背中から腰のラインを撫でる。
指先でワンピースの生地を僅かに摘まみ上げられて、堪え切れずに身を捩った。
颯がどうにかしてこの女性を撃退したいことは理解したけれど、さすがにこれはやりすぎである。
「・・・ゃっ」
頬を覆う横髪を梳くい上げて、緩く巻かれた髪の先に唇を落とした颯が、梢に視線を向けたままで最後通牒を告げた。
「お父様には既にお話を通してありますので・・・・・・申し訳ありませんが、お引き取りいただけませんか?この子の可愛い声を、あなたには聞かせたくないので」
「・・・っ失礼するわ!」
悔しそうに吐き捨てた彼女が、応接室から出ていく。
当てつけのように乱暴にドアが閉められて、足音が遠ざかるのを待ってから、颯がそっと腕の力を緩めた。
即座に梢が逃げ出すことを想定していたらしい彼の腕が、しっかり腰の後ろで組まれてしまう。
「おしゃべりで有名なご令嬢だから、きっとあっという間に噂が広まるだろうな。良かった。これで俺も勇気が出せるよ」
「・・・・・・グーで殴られるのと、蹴られるの、どっちがいい?」
一応事前に尋ねておこうと颯の顔を見上げれば。
「どっちも嫌だな。だからその代わり噛みついていいよ?」
楽しそうに笑った彼の唇が、甘えるように吸いついてきた。
「っ・・・ぁ・・・っ」
するりと入り込んできた舌があっさりと口内を一巡りして、奥に逃げた舌を引きずり出してしまう。
舌裏を宥めるように擽られるとびりびりと背筋を電流が走って、たまらず颯の肩に縋りついたらすぐに腰を抱く腕に力が籠った。
緩やかに絡ませて、時々強く吸いついて、梢が息を吐くたびに大きな手のひらが髪を撫でる。
二人きりでしか出来ない大人のキスを教え込むように、上手く応えられた梢を褒めるようにキスはどんどん甘くなった。
息の逃がし方を覚えたら、また角度を変えて啄まれて指先から力が抜ける。
自分のものではない誰かの熱を取り込んで馴染ませる行為は、ひどくなまめかしくて艶っぽい。
ぬるりと舌の側面をなぞった颯の舌先が気まぐれに上顎を擽って来た。
それをされると腰の奥がもどかしくてたまらない。
気持ちいいと恥ずかしいがない交ぜになってどうしてよいか分からなくなる。
そんな梢の戸惑う舌先を、また颯が誘い出す。
そうなることを想定して颯が仕掛けてきたのだと思ったら、思考が甘く濁った。
自分の軸が急にたわんで蕩けてしまったような感覚に陥って、体勢を保っていられなくなる。
駄目だと思うのに抗えなくて傾いていく身体をそのままにしていたら、支えるように頭を包み込まれてそっとソファの座面に下ろされた。
震える舌の表面を丹念に舐めて離れた唇がゆっくりと弧を描く。
「噛みついてくれないの?」
もう限界?と首を傾げる颯の楽しそうな顔といったらない。
「・・・・・・ま、巻き込み事故でしょ・・・これ」
だって当事者は颯で、梢ではない。
この場にたまたま梢が居合わせたから巻き込まれただけ、そうだと思いたいのに。
「もう俺一人じゃなくて、二人の問題だからね。傍観者にはさせないよ?噛みつけないなら、恋しがって」
濡れた唇を拭う指先の優しさはそのままに、瞳を悪戯にきらめかせて颯が囁く。
恋しがる?
どうやって?
知らない心のどこかをぐらぐら揺さぶられる。
心がこんな反応を返すのは、きっと颯に対してだけだ。
あの日一度だけ鳴った運命の鐘の音が、ずっと胸の奥に残っているから、誰に対してもきっともうこんな風にはときめかない。
本当は、最初の出会いから、ずっと・・・
いまこの場にふさわしい言葉は何だろうと蕩けた頭で考えていたら、颯が困ったように笑った。
「俺は、梢が噛みついて、引っ掻いて、恋しがって、最後に甘えてくれるのをずっと待ってるんだから」
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