第37話 乙女色 

「いま、幸徳井は取り込み中でして」


「いつもそうやってのらりくらりのお返事しか頂けないから、わざわざ此処まで出向いてるのよ!あなたは当てにならないわ」


弱り切った虎島を制するように捲し立てる女性の声が聞こえて、思わずびくっと身体を震わせる。


「そうは言われましても、毎日のスケジュールがありまして」


「そんなこと百も承知よ。それでも前回は時間を作ってくださったでしょう!?」


「あれは、作ったのではなくて、そちらが今回のように飛び込んでいらして」


「穏やかにご挨拶してくださったし、また次もというお話も出たでしょう?それなのに一向にご連絡がないから・・・」


「ええですから、スケジュールが」


本当に虎島が弱り切っているとは思えないが、一先ず彼が訪問者と思われる女性を御しきれていないことは分かった。


「颯に・・・お客さん・・・よね?」


まあこの雰囲気からしてまず間違いなくそうだろう。


彼が幸徳井の顔役になってから、妙齢の女性のいる企業からの縁組みのラブコールが絶えない事は知っていた。


颯の手から逃れようと、やけくそになって手当たり次第お見合いに挑んでは撃沈してきた梢なので、この件に関しては文句を言える立場ではない。


何だか揉めているようだし、これは早々に退散したほうがよさそうだ。


颯へのお礼はちゃんと言えたし顔も見られた。


当初の予定は完遂で来たので、良しとしよう。


腰を浮かしかけた梢に気づいた颯が、急に距離を詰めて来た。


さっきまで二人の間に出来ていた20センチほどの隙間が一気に埋まってゼロ距離になる。


「少し前に会食の席に乱入してきたお嬢さんが居てね、適当に躱したつもりだったんだけど」


「愛想振りまいたんじゃないの?」


本人にその気が無くても相手を逆上せ上がらせてしまうのが、美丈夫の罪だ。


「するわけないだろ。こんな風に優しくしたいのは、梢にだけだよ」


抱き寄せられた肩を撫でる手が優しい。


振り解けない時点で、答えなんてもうとっくに出ている。


「・・・私、か、隠れたほうが良くない?」


近づいてくる押し問答のやり取りはいつまで保つか分からない。


彼女が応接室のドアを開けて、颯と一緒に居る梢に気づかれるのはまずいのではなかろうか。


とはいえ、応接室には、人間一人が入れる箱やらロッカーやらは置かれていない。


せめてソファの後ろに身を顰めようかと迷う梢の髪を撫でて、颯がちょうどいいよ、と呟いた。


「・・・・・・少しの間、いい子にしててね。梢の顔はお披露目まではバレないようにするから」


内緒話をするように囁いた颯の唇が、耳たぶに触れる。


「っひゃっ」


ぎゅっと身を竦めるのを待っていたかのように、彼が梢の両手を捕まえて自分の肩に回させた。


耳の後ろを甘やかすように撫でた颯が、視線を合わせた後で梢の身体を抱きしめてくる。


抱えるように後ろ頭を引き寄せられた途端、応接室のドアが開いた。


「ですから、お待ちくださいと・・・」


「颯さん!・・・・・・・・・・・・その方、どなた?」


ソファの上で身を寄せ合う二人を一瞥して冷ややかな声を紡いだ女性に向かって、颯がこれまで聞いた事のないような低い声を出した。


「あなたにお伝えする義理はありませんので。見ての通り俺の大事な子ですよ」


これ見よがしにつむじにキスが落ちて、さっき颯が言った言葉の意味を正しく理解した。


悔しくてスーツの生地を爪の先で引っ掻けば、子猫の悪戯にくすぐったい表情で微笑んだ颯が、耳元でいい子にしてって言ったよ?と嬉しそうに囁く。


後ろ頭を抱えこんだ手のひらが、ゆっくりと髪をなでて背中へと降りる。


思い切り狼狽えて息を詰める梢の表情を覗き込んだ颯が、こめかみに唇を触れさせた。


そのまま悪戯に舌先で輪郭を辿られて、堪え切れずに喉から悲鳴が漏れた。


「・・・ぁっ・・・ん」


喉を擽った颯がご褒美のように甘やかな眼差しを向けてくるから居たたまれずに目を閉じた。


応接室の入り口で立ち止まったままの女性が、震える声を絞り出す。


「・・・どういうことなの!?・・・・・・・・・ずっと隠してらっしゃる女性がいるって噂・・・・・・・・・本当だったの!?いったいどこの誰なのよ!?」


「あの・・・お嬢様、どうか落ち着いて」

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