第39話 小夜 

「親子そろってお財布忘れるってほんっとどういうこと!?」


珍しく有栖川と年長者の永季、聡の三人が揃って親戚の家に出かけることになり、静かなオフィスでせっせと事務仕事を捌いて居たらスマホが鳴って、電話に出た途端、すまん財布忘れた、と連絡が入ったのは30分前の事。


駅に向かうタクシーに乗ってすぐに気づいたのは有栖川で、お前支払い頼むなと永季の肩を叩いたら、すぐに青ざめた息子がポケットから煙草とスマホだけ取り出して、やべぇとぼやいたらしい。


「気付いただけ偉いだろ」


開き直って梢の手からデスクの上に置きっぱなしだった二つ折りの財布を取り上げた永季が偉そうに言い返してきて、憎らしさが倍増した。


出掛ける直前の西代を捕まえて、お願い大至急駅まで乗せてって!捕まらない程で!とせっついて裏道を法定速度ギリギリで飛ばしてやって来た妹を何だと思っているのか。


「いやーすまんすまん、梢が会社に残ってくれてて本当に助かった。揃って恥かくところだった。お使いさせちまったからお小遣いやろうか?ん?」


「要らないから!小中学生じゃあるまいし」


「お前の好きなお店沢山あるだろう?この辺り」


豪快に笑った有栖川が、財布を受け取って後ろポケットに捻じ込みながら、子供にするように梢の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜて、んもう!と慌てて手を振り払って手櫛で直す。


どうにかタクシーが駅に到着する前に先回りすることが出来て、ロータリーで二人の到着を待ち構えることが出来たが、間に合わなかった無銭乗車である。


「聡兄さんがイライラしながら待ってるから、早く行って。新幹線間に合わなくなるよ」


現地集合になっているもう一人の兄の名前を口にすれば、有栖川親子が顔を見合わせてあいつ時間に煩いからな、とぼやいた。


「今日は向こうで食事して戻るから、遅くなる。舞子さんにも夕飯は要らんと伝えてくれ」


「俺はこっち戻って一旦瑠偉と落ち合うから、向こうの事務所で寝るから、帰るのは明日だな」


「はいはい。委細承知いたしました。お気を付けて」


ひらひら手を振って、あまり似ていない親子の後ろをぼんやり見つめたら、意外と足の運び方は似ている事に気づいて、ああ、血筋だなぁ、と微笑ましくなった。


会社で心配しているまりあに、無事お使い完了しましたと一報を入れて、折角駅前まで来たのだから、有栖川の言った通りちょっと近くをぶらついて何か買って帰ることにする。


父親も永季もいないなら、舞子と残っている人間でお弁当を取ってもいい。


14時を過ぎたばかりの目抜き通りは、仕事中のサラリーマンや、買い物中の女性の姿が見られる。


こんな風に日常を謳歌する大人にはなれないだろうなと、あの頃は漠然とそう思っていた。


その日一日を刹那的に生きる人たちばかりを目にしていたせいか、素敵な未来は御伽噺の中にしか存在しない気がしていたのだ。


だから、未だに時々自分の居場所がよく分からなくなる。


でも、あの一瞬、颯を目の前にした時だけは、自分の未来が確かに輝いて見えた。


この人なら大丈夫だと、心と本能が、そう告げていた。


あんなことは後にも先にも一度だけ。


天気も良いし、急ぎの仕事も入っていないのだから、のんびり歩いて会社まで戻ろうかと一本裏通りに入った。


目抜き通りの路面店は洗練されたお洒落なお店ばかりだが、この辺りは昔からのパン屋や本屋、花屋がいまだに残っている。


少し離れた場所に小さなカトリックの教会があって、有栖川の妻が生きていた頃は、何度か慈善バザーを覗きに行った事もあった。


そこは、まりあが捨てられていた教会でもある。


急に懐かしくなって久しぶりに立ち寄ってみようと教会の方向へ足を向けたら、斜め前の花屋から見知った男が出て来た。


手には大きな花束を抱えている。


「颯?」


梢のほうから先に声を掛けるのは久しぶりだ。


呼びかけられて店先で立ち止まった彼が心底驚いた表情でこちらを振り向いた。


「・・・・・・びっくりした」


こんなに虚を突かれた颯の顔は初めて見る。


この間の応接室での一件が頭を過って、ちょっと得意げになって彼に近づいた。


「わぁ・・・・・・綺麗なチューリップね。どこの美女に届けるの?」


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