第34話 白白明け

「傘買ってきてって言われるかと思ったのに」


「・・・・・・走って帰るつもりだったから」


「この雨じゃ家に着く頃にはびしょ濡れだよ。何買って来たの?」


「チョコレート」


財布だけが入ったポシェットを軽く叩いて見せる。


「こんな天気の時にわざわざ買いに行かなくても・・・・・・これからそういう時は俺に先に連絡しておいで」


「チョコレートが食べたいんだけどって?」


幸徳井の御曹司をコンビニチョコのためだけに呼び出すだなんて、瑠偉たちが聞いたら卒倒ものだろう。


本人かなり本気のようだけれど。


「そうだよ。いくらでも好きなだけ届けてあげる。駅前のショコラティエのトリュフが人気らしいけど、今度持って行こうか?それか、カカオの分量が違う詰め合わせアソートとかは?」


「忙しいくせにどこでそんな最新情報を仕入れてくるの?」


どうせ綺麗どころと食事会でもしているんだろうとジト目を向ければ。


「知りたい?」


「・・・・・・・・・別に」


聞いたところでどうしようもない。


梢の数倍顔が広い彼の交友関係なんて疑い出したらきりがない。


というか、疑う権利なんてないはずだ。


ない、はずなのだ、まだ。


「梢、そっちに行ったら濡れるよ」


「じゃあ傘真っ直ぐ差して。颯ばっかり濡れることになるでしょ」


抱き寄せた梢を絶対に濡らすまいと慎重に傘を差しかける颯の肩も足元もすっかりびしょ濡れになっている。


「梢が濡れるよりずっといいよ」


平然と言ってのけた颯が、また逃げた梢の肩を抱き寄せて元の位置に戻した。


「・・・・・・相合傘って面倒ね」


もっと胸がときめくシチュエーションかと思っていたけれど、実際やってみると何だか気まずさのほうが膨らんで来る。


ロマンティックな雰囲気とは真逆の乾いた声を零した梢に、颯が面白がるような視線を向けて来た。


「梢の好きな少女漫画にありそうなシーンだけど?」


古いアパートには、誰のものか分からない少女漫画が何冊もあったし、有栖川の妻は部類の少女漫画好きだった。


まりあは、梢を人並みの女の子にしようとまずは入門書として学園青春ラブコメを勧めて来たし、そりゃあもう、10代の頃は浴びるように読んだ。


いい具合に影響を受けて夢見がちなまま二十歳を過ぎてしまったから、一目惚れをした颯にあんな大間抜けなアタックをかまして玉砕したのだ。


「・・・・・・最近はもう読んでない」


点滅信号に引っかかって立ち止まった隙に、颯が傘の角度をわずかに変えて来た。


目の前を走りすぎて行く車が急に見えなくなる。


「傘って周りの音も遮断してくるし、視界も遮ってくれるし、色々便利だよな。梢の声がよく聞こえるし・・・・・・」


こちらを見下ろした颯が、吐息で笑って額の上にキスを落とした。


「っ!?」


ぎょっとなって後ろ足を引いた途端、後ろ頭を抱き込まれて、引き戻される。


そればかりか、掠めるように唇が触れ合ったものだから、梢は完全に硬直してしまった。


夕暮れ時の交差点は、誰もが傘を差していて自分以外の誰かを見ている人なんていない。


それにしたってこんな一瞬のうちに。


唖然とする梢の赤くなった頬を冷えた指の背で撫でて、颯が眉を下げた。


「ね、色々便利だろ」


「な、なんで!?」


「傘はいらないって言ってくれて嬉しかったから?」


一つの傘に入りたかったのだと誤解されたくなくて、視線を下げる。


「・・・・・・・・・ビニール傘は・・・・・・なんか嫌なの」


「雨も嫌い?」


「・・・・・・・・・雨とビニール傘は、期待ばっかりさせてくるから」


なんの脈絡もなく、思ったことをそのまま口にしてしまった。


本当に、完全に気持ちが緩んでいる。


この人の前では、ポロポロとつたない言葉を零して良いと思ってしまっている。


それでも、大丈夫なんじゃないかと、また胸に期待が溢れる。


「期待が怖いなら、これから雨の日は、ずっと一緒に居ようか?」


今のやり取りで、梢が言っていないところまで見透かされてしまった。


普段ならもっとうまく言葉を選んで誤魔化せていたところが、そうできない。


颯が、もうそれをさせてくれない。


「・・・・・・颯、私よりずっと忙しいでしょ」


「俺が梢にずっと張り付いてるのは確かにちょっと難しいけど、梢が俺に張り付いてくれる分にはなにも問題ないんだよ?もうずっと前から」


「・・・・・・・・・」


引っ掻いて、噛みついて、全力でぶつかって、どこまでしたらこの男が諦めるのか見定めてやろうと思っていたのに。


引っ掻いて噛みついて、全力でぶつかるのは、分かって欲しいからだって、諦めないで欲しいからだって、彼はもうとっくに知っているのだ。


「そろそろ俺が、恋しくなった?」


確かめるように、颯が小さく尋ねて来た。






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