第28話 幽天
「・・・・・・江本さんとはあんまり話したこと無かったけど、すごく私のこと気にしてくれてたんだ?仲良くなりたいって言ってくれたら良かったのに」
「っは?」
異物を弾きたがるのは見過ごせないからだ。
その存在が気にかかって、怖くてしょうがないからだ。
気色ばんだ声を上げた新藤がぎろりと鋭く梢を睨みつける。
ところが、その剣吞な視線は10秒も持続しなかった。
「梢」
睨みつけていた梢のすぐ後ろに、意外な人物が現れたせいだ。
驚きの表情に取って代わった彼女の顔を見て、ごく自然に梢の隣に並んだ颯がそっと肩を抱き寄せながら眦を柔らかくした。
「一人にしてごめんね。挨拶が長引いた。お友達・・・かな?」
地元企業のパーティーなのだが、幸徳井の人間が来ていてもなんら不思議ではない。
不思議ではないのだが、ここに颯が現れたことが現実だとはすぐに理解できなかった。
「・・・・・・こ、うこうの・・・・・・同級生」
「ああ、そうなんだ。初めまして。幸徳井です。俺の事はまだ話してくれて・・・・・・ないみたいだね?」
前半は新藤に、後半は梢に向けた問いかけに、なにをどうやって颯のことを紹介すればよいのかさっぱり分からず、今日も上質な三つ揃えのスーツを着込んだ美丈夫を呆然と見つめ返せば。
「近々婚約発表の予定なんです。ああ、でもまだ、ご内密に。梢のお友達なら、ぜひ婚約披露パーティーにお招きしたいな。失礼ですがお名前をお伺いしても?」
「あ・・・・・・すみません。新藤です。夫が清掃会社をしていまして・・・」
「ああ、新藤サービスの。そうでしたか。先日はご主人に営業に来ていただいたにも拘わらず、契約出来ずに申し訳ないことをしました。ちょうど、別の大手との契約を結んだばかりでして。地元の中小企業を応援していく立場としては何とかお力になりたかったんですが、ご縁がなかったようです。ああ、そういえば有栖川警備が定期清掃の委託を考えているようでしたよ?梢、お友達のご主人の会社なんだし、お父さんにお話ししてあげたら?きっとお困りだろうし」
「・・・け、結構です。主人が呼んでいますので失礼します!」
慇懃無礼に穏やかに、颯の嘲笑で蹴飛ばされた新藤が、梢のほうを一度も見ることなくその場を離れて行く。
梢が言葉を挟む暇もなかった。
「こんなもんで良かったかな?」
「うち、清掃委託なんて予定ないわよ」
「知ってるよ。でも、困ってるってサインが見えたから」
「・・・・・・・・・え?」
「背中で親指を握りこむの、困ってる、のサインだろ。永季から聞いてるよ」
梢がパーティーに参加するようになってすぐ、一人の時に誰かに話しかけられてもしも困ったことが起こったら、合図を送るようにと永季から教えられたサインがそれだった。
同じ会場にいる時は、離れていても父親もしくは兄たちが必ず梢のことを見ているから、何かあれば迷わずサインを出して頼りなさい、と言い含められていた。
そして、自分がどれくらい非力で、他者に頼らなければ生きていけないかを身を持って知っていた梢は、そのサインを出すことを躊躇わなかった。
自分がそこで無茶をして有栖川の顔に泥を塗ることがどれくらいの損害を生むのかも、肌で感じていたからだ。
けれど、今日は一人だし、助けてくれる誰かはいない。
あの頃のように、乾兄妹も梢にべったりと張り付いてはいないから、自力でどうにかするしかない。
だから、自分がサインを出した覚えなんて無かった。
きっともう無意識だ。
生まれや育ちを侮蔑されるのは今に始まったことではない。
さすがに父親や兄弟たちの前で直接的にあざけられることはないが、一人になればこれ見よがしな嘲笑は聞こえてくる。
今更だと思っていたのに。
目を丸くした梢の肩をやんわりと撫でて、颯が相好を崩した。
「気づいてなかったのか・・・・・・あの子には、もうちょっと痛い目見て貰おうか?」
いくらでもその用意はあるよと穏やかに述べた声の冷たさは、時折永季が見せる表情とよく似ている。
「大丈夫・・・・・・・・・ありがとう。私、結構うまくあしらうのよ。学生時代もそうしてきたし」
「永季から何個か武勇伝は聞いてるよ」
「でしょう。だから、大丈夫なの」
「うん。梢が大丈夫なのはよく分かったよ。今のは、俺が勝手にやった事だから」
気にしなくていいと微笑む彼の横髪は、梢の隣に居る時にいつものそれで。
ヒールのせいで見上げる角度がいつもより近いことに気づいて、安堵と同時に緊張感が走る。
「あれ、なんで離れるの?」
「わ、たし・・・・・・たち・・・・・・婚約なんてしてないわよね・・・・・・・・・?」
さっきのは、意地の悪い同級生をやり込めるためのお芝居。
そうに違いないはずなのに。
「・・・・・・・・・是が非でも結婚してもらうために口説いてる最中って言ったほうが効果的だったかな?」
それはそれで大問題のような気もするのだが、もはや何が正解で何が間違いなのか分からない。
この人の隣に居る事が嫌ではなくなっている。
自分の気持ちに困惑する梢の表情を見てとった颯が、耳に触れる後れ毛をやんわりと撫でた。
「噛みつき飽きたら、甘えておいで」
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