第26話 霜天

真顔でそんなことを言った颯が、次から車じゃない時は先に言ってと念を押してくる。


「大げさよ。近場だし自分で来れる」


要はもうすでに梢の専属運転手ではないので、手足のようには使えない。


父親のお使いで電車やバス移動することだってしょっちゅうなのだ。


大きな肩書を背負って朝夕なく走り回っている颯とは違う。


それなのに、自分と同じように梢のことを扱おうとする彼の気遣いが嬉しくて照れ臭い。


「お茶も出さないままでごめんね、行こうか」


足の痛みを悟らせないように、頷いてソファに手をついて立ち上がる。


一歩踏み出せばやっぱり右足の踵が痛んだ。


こちらに向かって手を差し伸べた颯が、怪訝な顔になる。


咄嗟に口角を持ち上げて笑みを作ったら、颯がじいっと梢の格好を確かめてきた。


華美すぎずそれなりにお洒落に纏めてきたつもりだが、どこかおかしいだろうか。


不安になって颯を見上げると、伸びてきた手が腰を攫った。


「足が痛いのはどっち?」


元居たソファに逆戻りさせられて、目の前で跪いた颯に視線を合わせたまま尋ねられて唖然となる。


「え!?」


今の数瞬でどうして分かってしまったのか。


「俺が両方脱がせて確かめようか?」


「やだやだやだ!右足っ!」


大慌てで右のヒールに手を伸ばせば、先に踵を持ち上げた颯が脱がせてしまった。


タイトスカートがめくれあがって慌てて膝を押さえる。


「どうして先に言わないの」


「・・・・・・・・・大丈夫だから」


「・・・ふーん」


静かに答えた彼が、膝上丈のストッキングのつま先に唇を寄せようとする。


何が起こっているのかわからない。


踝に唇が触れて、我に返った。


「な、なにすんの!?」


「しないとね、手当て」


足首に頬を寄せた彼の手がストッキングの履き口を探して膝上へと伸びてくる。


赤くなった踵を消毒して絆創膏を貼るにはこれを脱ぐ必要がある。


が、それは颯がするべき仕事ではない。


当たり前のように太腿の裏側に手のひらを滑らせた颯が、平然と言った。


「脱がせるよ」


「じじじじ自分でするから!」


気遣いなのか、悪戯心なのかさっぱりわからない。


突然過ぎる出来事に、颯の半分も冷静でいられない。


とりあえずこれ以上彼に足を触ってほしくなくて大急ぎでストッキングへと手を伸ばせば。


「スカート、押さえてるほうがよくない?」


首をかしげて微笑んだ彼が、梢の膝の上に顎先を軽く乗せてきた。


「え!?」


言われた言葉の意味が分からず問い返せば、意味深な眼差しでスカートのラインを辿った彼がひそやかに告げる。


「足上げるとよく見えるけど」


「・・・・・・っ!」


足を上げると何が見えるのか気づいた瞬間頭の中が真っ白になった。


耳まで赤くして両方の膝を押さえる梢の額にキスを落とした颯が今度こそストッキングに手を伸ばす。


「そうそう。おとなしくしててね」


慎重な手つきで薄い生地を手繰り寄せる指先はなめらかで優しい。


膝裏を気まぐれに擽った指の腹が脹脛をたどって足首まで辿り着く。


唇を引き結んで目を瞑っていると、彼の手のひらの動きを余計に拾ってしまって悲鳴を上げそうになる。


これはケガの処置のため。


やましいことなんて何もない、何もない。


必死に言い聞かせること数十秒。


「よし、脱げた・・・・・・この靴履きなれてないの?」


脱がせたストッキングをソファの端に置いた颯が、小さな水ぶくれを確かめて顔を顰めた。


「きょ、今日下ろしたところだから・・・」


こんなことなら事前に何度か履いておけばよかった。


いまだに膝の上から動かす事の出来ない両方の手を持ち上げて、颯が左右の膝頭にスカートの上からキスを落とす。


息を飲む梢の真っ赤な困惑顔を確かめた後で、握ったままの両方の手の甲にも唇を寄せてから、彼が口を開いた。


「今度は俺も痛くない可愛い靴を贈ろうかな?梢が素敵な場所に行けるように」


「・・・・・・っこの靴で行くつもりだったの・・・」


今更過ぎる告白に、颯が眉を下げて相好を崩す。


「俺が連れて行くから問題ないよ」


「・・・でも」


「歩けないなら抱っこするけど?」


「それはいや!」


秒で言い返したら、颯が声を上げて笑った。


「じゃあ、痛くないようにしないとね。待ってて。救急箱取ってくるよ」


ぽんと手を叩いた彼が立ち上がる。


梢のせいで大幅に予定を変更させてしまった。


この後の慌ただしい移動を考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「ごめんなさい・・・迷惑かけて」


出掛ける前のあのふわふわした高揚感は一気にしぼんでしまった。


そんな梢の気持ちを掬い上げるように、颯がそっと髪を撫でる。


「こんなの迷惑のうちに入らないよ?」


「・・・でも」


明らかにはしゃいで空回った自分が恥ずかしくて俯けば、颯が自分の唇を指さして片目を瞑った。


「気になるならお礼して?俺が喜ぶこと、梢が一番よく知ってるだろ?」


彼からこんな風にキスを強請られたのは、勿論初めてのことだった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る