第25話 霜天 

新しいヒールを買ったのは、素敵な場所に行きたくなったから。


素敵な場所に行きたくなったのは、そこに行けば、素敵な誰かに会えるから。


意気揚々と週末購入したばかりの真新しいヒールに足を入れて、鏡の前で何度も全身をチェックした。


上り口から一向に動こうとしない梢の様子に、キッチンから舞子が、玄関ドアの前から要が揃って口を開いた。


「何度見たって変わりませんよ」


そんなことは分かっている。


分かっているのだけれど、やっぱり気になるのだから仕方ない。


「最近服や靴買いすぎじゃありません?お嬢」


「あら、いいじゃありませんか。これまでスーツばっかりだったんですから、やっと年頃の娘っぽいクローゼットになりましたよねぇ。これからもっとお出かけ着が増えますねぇお嬢様」


「い、いっつも同じ洋服ばっかり着てるわけにいかないでしょ!?」


舞子の言う通り、これまで梢の部屋のクローゼットを埋め尽くしていたのは仕事用のスーツと、パーティー着て行けるようなセットアップばかり。


カジュアルな私服は数着で、デート服なんてものは存在しなかった。


要の指摘通り、休日にまりあを伴って買いに走った私服はかなりの量で、有栖川家のシューズクローゼットには、出番を待っているお洒落なヒールが何足も並んでいる。


華やかなワンピースやスカートも沢山増えて、ちょっとしたセレクトショップのようだ。


「これって幸徳井さんの好みなんですか」


「知らないわよ!私の好みよ!」


「お嬢、そのあたりはちゃんとチェックしといたほうが」


「いやあねえ、要くん。あの方の好みはお嬢様なんだから、何着てたっていいのよう。スーツじゃないってだけで喜べるレベルなんだから」


「ハードル低すぎません?」


「ちょろいイケメンって希少価値高くて最高じゃない」


「そういうもんですかね・・・」


と勝手なやり取りを繰り広げる二人を放置して、姿見で全身チェックをして忘れ物が無いかも確認して家を出た。


今日は有栖川の運転手が休暇を取っているので、この後出先まで代理で迎えに行く要に途中まで乗せて貰って、その後は電車移動だ。


待ち合わせ場所として指定されたのは、いつもの颯の会社ではなくて子会社のビルだった。


颯の打ち合わせが終わるのを待って映画の試写会に行く約束をしている。


食事デート以外でこんな風に二人で出かけるのは初めてのことで、余計お洒落にも気合が入った。


今日の試写会は協賛企業向けの内輪のものらしく、となると颯の知り合いに会う可能性がかなり大きい。


パーティーほど気合を入れず、品よく可愛らしい装いを選ぶのにかなり手間取った。


けれど、時間をかけただけあって、ハイウエストのタイトなレーススカートとシンプルなアンサンブルの組み合わせは、我ながらよく似合っていた。


そして仕上げのピンクのグロスはここ最近一番出番の多いカラーである。


バックリボンのヒールは8センチ。


普段履くものより少しだけ高いのは、背伸びしたい気持ちの表れだ。


試着して鏡の前に立った瞬間ときめいて即座に購入を決めた。


運よく梢のサイズの在庫が一足だけ残っていたところにも運命を感じた。


天気は晴れで、仕事は順調に片付いて残業することもなく家に戻ることが出来た。


上々の滑り出しだと思っていたのに。


まさか要の車を降りて駅の階段を下り始めた時点で、踵に違和感を覚えるなんて。


お店で歩いてみた時にはまったく気にならなかったのに、夕方で足が浮腫んでいるせいか、やたらとつま先と踵が窮屈に感じられる。


遅れるわけにはいかないと、急ぎ足で電車に飛び乗った時にはもうすでに踵が悲鳴を上げていた。


それでもどうにか目的地まで到着して、約束の時間の5分前には応接室に通された。


少し打ち合わせが遅れているという社員にわかりました、と答えてソファに腰を下ろせばじんと馴染みのある痛みが踵を襲う。


気合を入れて張り切りすぎた自分を戒めるかのような痛みに思わず顔を顰めれば、軽やかなノックが聞こえた。


「あ、っはい!」


弾かれるように返事を返すと、すぐにドアが開いて颯が入ってくる。


「ごめん、待たせちゃったね」


「今来たところだから平気。すぐに出る?」


「通勤ラッシュの時間帯だから、早めに移動して向こうでゆっくりしようかと思うんだけど、構わない?」


「うん。さっきの電車でも結構な人だった」


「電車来たの?車で来るかと思ったのに・・・迎えをやれば良かったね。こんなに可愛い恰好してるのに」


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