第12話 秋天

これまで自分に向けられていた視線はすべて、掃き溜めに生きる梢に対する憐れみだったのだと。


「ハンバーガーとチーズバーガーと照りマヨチキンと、タツタサンドと・・・」


早速アプリを起動させてメニューを選び始めた梢に、まりあが聞いているだけで胃もたれしそうですねと苦笑いをこぼす。


「食べきれる量にしてくださいね」


「要がいるから平気でしょ」


「お嬢、残念ながら俺もそんな胃袋若くないんですよ」


「煙草減らせば?」


彼が梢付きの運転手になってから、車の中で煙草を吸ったことは一度もないし、梢の側で一服したこともない。


それでも彼が結構なヘビースモーカーであることはまりあ経由で知っていた。


梢からの手痛い指摘に空とぼけて視線を逸らした要が、駐車場のほうから歩いてくる数人のグループを見止めて声を上げた。


「・・・・・・・・・あ、幸徳井さん」


「え?」


今日は絶対に会いたくない人間ナンバーワンの名前が飛び出して、梢は弾かれたように前方を確かめた。


前からやってくるのは間違いなくスーツ姿の颯と側近たちである。


兄の永季が側にいないということは表仕事なのだろう。


運転手兼護衛役の虎島の姿が見えた。


これはまずいと今からでも踵を返して元来た道を戻ろうとした矢先、甘ったるい声で名前を呼ばれた。


「梢、来てたんだね」


彼がここに居る理由は尋ねるまでもない。


梢たちと同じ墓参りだ。


手にしているのは白百合をメインにした上品な花束。


供えられる先は、おそらくストックの隣。


彼は毎年あの墓にお参りに来ていたのだろうか。


「もう帰るところよ」


用事は終わったときつめの語尾ではっきり告げれば、彼はとろりと眼差しを柔らかくした。


声が聴けて嬉しい、とその顔に描いてあるからますます気まずくなってしまう。


慌てて唇を引き結んだのは、この前の不意打ちのキスを思い出したから。


エッグタルトの優しい甘みと、唇の感触が脳内を掛け巡って、一気に頬に熱が走った。


「そう。この後食事でも、って言いたいところだけどちょっと時間がないんだ」


「べ、別に頼んでない。私も仕事があるし忙しいの」


「連れないなぁ」


「颯さん、もうすでに時間押してますよ」


「分かってるよ、虎島」


腕時計を確かめた虎島の指摘に一つ頷いた颯の斜め後ろで、表仕事の補佐役を務めている虎島が飄々とした笑顔で梢の後ろに声を掛けた。


「やぁー揃ってんのは久しぶりですねぇ、乾兄妹」


「ご無沙汰してます、虎島さん」


相変わらずの不愛想な声と表情で挨拶を返したのは要で、隣のまりあは一言も声を発することなく思い切り視線を逸らした。


まりあは虎島が苦手なのだ。


「あれ?まりあちゃんは今日も俺のことは無視?」


「みょ、名字で呼んでいただくようにお願いしているはずですっ!」


「ええ、でもあんたらどっちも乾だから、わかりにくいでしょ。折角可愛い名前なんだし」


「なっ・・・なにをっ」


「虎島さん、妹にちょっかいかけるのはお控えください」


眉間の皺を深くした要が一歩前に出て妹を庇う。


颯が虎島を伴っているときのお馴染みの光景だ。


「ごめんね。いつもはもっと遅い時間に来てるんだけど今日は会食の予定があってずらせなくて」


「・・・やっぱり毎年来てたんだ」


幸徳井と有栖川の繋がりはかなり古いので、颯が墓参りに訪れるのも何ら不思議なことではないのだが、敢えてこの日を選んでやって来ている理由は一つだけ。


彼は、梢と梢の元同居人たちのためにこの日を選んで墓地に足を運んでいるのだ。


彼と知り合ったのは有栖川梢になってから。


その前の梢のことを彼がどこまで把握しているのか定かではないが、知られたい過去ではない。


有栖川の娘として母親の墓参りをした次の日は、一日だけ昔の自分に戻る。


あの頃の自分を見せても良いと思える相手は乾兄妹以外にはいない。


「そりゃあね、俺にとっても大事な日だから。また顔を見に行くよ。今度は起きてるときに」


「いつも起きてるときに来なさいよね!?」


「ああ、起きてるときに呼んでくれるんだ?」


「ちがっ!揚げ足取らないで」


慌てて言い募れば、虎島がこほんと一つ咳払いをして時間ですと告げてくる。


小さく息を吐いた颯が、おもむろに伸ばして来た手で無防備な梢の指先をからめとった。


あれ?と思った瞬間には爪の先に唇が寄せられる。


「ごめん、もう行くよ。ああそうだ、食べすぎには気を付けてね?」


どうやらこの後のジャンクフード爆食いツアーのことまでお見通しらしい。


いつものように梢にだけ聞こえるように、好きだよ、と囁いた颯の言葉にドキンと心臓が跳ねた。


これはもう彼が梢の前に現れた時のお決まりのセリフなので、いちいち胸をときめかせていたらきりがない。


それはわかっているのに、騒ぐ鼓動は抑えられない。


大急ぎで彼の手から指先を引っこ抜いて、梢は声の限りに叫んだ。


「よ、余計なお世話よ!」




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