第11話 秋天

花屋で選んだピンクのストックの花束を何も刻まれていない墓前に供えて手を合わせる。


少し後ろで同じように一組の男女が目を閉じて手を合わせた。


命日も誕生日も分からない彼女たちに、名も無き墓を与えてくれたのは有栖川だった。


梢が暮らしていた古いアパートには、何人もの女性が暮らしていて、そのほとんどがいつの間にか居なくなっていて、時折ふらりと戻って来る者もいたがそれはごくまれなことだった。


風俗業と裏家業は切っても切れない縁で繋がっていて、事件に巻き込まれて亡くなった身寄りのない亡骸の為に、妻の眠る墓地の片隅に小さな墓を作った有栖川は、梢の名付け親の女性もここに眠っていると教えてくれた。


顔も名前も覚えていない誰かや、あの頃一緒に過ごした女性達の大半が良くない事件に巻き込まれて命を落としたらしいというのは、有栖川家に引き取られてから知ったことだ。


それ以来、有栖川の妻の命日の翌日にこうして花を供えてお参りをしている。


同じように両親の顔を知らずに育って行き場を失くして有栖川の支援を受けた子供たちのほとんどは、有栖川の興した警備会社、もしくは九条会の系列会社に就職して生活している。


有栖川の部下である乾の苗字を与えられた子供たちは二人いて、要は梢の運転手を、まりあは一時期梢の侍女の真似事をしていた。


一般家庭とは異なる環境で育った梢が迎えられた有栖川には娘がおらず、妻も病に臥せっていたため、少しでも早く新しい環境に慣れることが出来るようにと、有栖川が乾に依頼して、まりあを住み込みの側仕えとして梢に付けたのだ。


虐められこそしなかったものの、学校でも風俗の娘だと煙たがられていた当時の梢に友達は皆無だったので、まりあは後にも先にも唯一の同性の年上の友達だ。


兄の要よりずっと表情豊かなまりあは、梢に当時の女の子の流行を教え、可愛い洋服を一緒に選び、梢を普通の女の子にしてくれた恩人でもある。


「よし・・・」


きちんと手を合わせて挨拶をしなくてはならない女性は、記憶を辿れば恐らく両手で足りない。


残念ながらその誰の顔もおぼろげにしか思い出せないので、まとめてみんなに元気にしてますよと伝えるようにしている。


目を開けて振り返ると、乾兄妹が揃って立ち上がるところだった。


要とまりあには、梢と永季たち同様血縁は無く、それぞれ別々の場所で育ってきた孤児だ。


それでも、一緒に過ごした時間が長いせいなのか仕草がよく似ている。


警察時代の有栖川に恩義があるらしい乾の姿勢に倣って、二人は出会った時から今まで一度も梢と同列に並んだ事が無い。


墓参りでまで徹底しなくてもと思うが、言っても無駄な事はこれまでの経験で良く分かっていた。


「話終わった?」


「はい。ストック、青空によく映えますね」


これを選んで正解でしたと微笑んだまりあの隣で、兄の要が無表情のまま口を開く。


「俺はお嬢に付き合ってるだけですから。入り口まで車を回します」


最初に、墓参りに行きたいと切り出した梢に付き添う形で同行して以降、乾兄弟と三人での墓参りが常になっていた。


他の兄弟に墓参りのことを伝えた事はなかった。


「いいわよ、駐車場まで一緒に歩くから。ね?まりあ」


「・・・お嬢様・・・・・・外では苗字を」


まりあという名前が苦手な乾妹が盛大に顔をしかめる。


他の人間がいる前では苗字で呼ぶことを依頼されたのは出会ったその日のことだった。


捨てられていた教会の名前から、まりあと名付けられた事をずっと根に持っているらしい。


本人が思っている以上に彼女の持っている本質はその名前にピッタリだと思うのだが、言っても無駄だということもこれまでの経験でよくわかっていた。


「あーはいはい、ごめんね。どこかでお昼食べてから戻る?二人とも仕事は?」


「調整してあるので問題ありませんよ」


「私も、夕方までスケジュールは空けてあります」


毎年この日は三人でランチを食べて夕方まで一緒に過ごしてから帰るのだ。


二人が頷いたことを確認して、梢が次の目的地を口にした。


「じゃあ決まりね・・・よし、ファーストフード行こう!」


「お嬢、それ去年も」


「一昨年もその前も同じことおっしゃってましたよ」


「いいでしょ、この日だけはジャンクフードてんこ盛りにするって決めてるんだから」


「またニキビ出来て大騒ぎするんでしょ、どうせ。朝から悲鳴聞くの嫌ですよ俺」


「ビタミン剤飲んで寝るから平気よ」


「毎年同じこと言ってるわよ、兄さん」


「じゃあドライブスルー寄ってから緑地公園でいいですか?」


「うん。お願い」


有栖川の名字を貰う前の梢の主食は学校の給食で、あとは明け方に戻って来た同居人たちが与えてくれる割引シールのついた弁当や菓子パンで食い繋いでいた。


普段はアパートに寄り付かない同居人の一人がふらりと現れて、大量のハンバーガーやポテトを差し入れしてくれることがあって、それが楽しみの一つでもあった。


油の回ったしおれたポテトと冷めたハンバーガーを食べると、今でもあの日々を思い出す。


これは自分で新しい人生を選んだことへの戒めでもあった。


もう二度とあの場所には絶対に戻らない。


飛び出して初めて知った”底辺”の生活。


安っぽい香水と煙草と化粧品の香りが充満した小さな箱庭の住人たちは優しかったけれど、最後まで誰も梢を選んでくれることは無かった。


みんなで梢を育ててはくれたけれど、誰一人として保護者にはなってくれなかったのだ。


手を伸ばしても無駄だと最初から分かっていたし、そういうものだと思って生きて来た価値観が覆されたのは、有栖川梢の名前を手に入れてから。


誰かを望んで、欲しがって、手を伸ばして良いのだ、人はみなそうやってかけがえのない誰かを求めて生きているのだと理解した瞬間に、自分のなかの虚無を知った。


そして気づいた。


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