第10話 秋旻

長兄の永季が颯の側付きになったのは、刑事になった翌年だった。


九条会とお上との関係は警察関係者の間では暗黙のルールとされていて、警察では対応しきれない案件はすべて九条会が引き受けて処理を行っているらしい。


らしい、というのは、有栖川が梢には一切そういった家の事情を話さないせいではっきりとは分からないからだ。


家政婦の舞子いわく、亡くなった有栖川の妻も、有栖川家の実情にはほとんど携わっていなかったらしい。


息子には有栖川家を継がせるが、妻や娘にはそういった裏事情を伝えず蝶よ花よと慈しんで育てる方針だったようだ。


梢も教えられない限りは深掘りするつもりは無かった。


首を突っ込めば面倒なことになると分かり切っているからだ。


すでに、一度那岐にちょっかいを掛けられて泡を噴いて倒れているし。


颯と永季が二人の時にどんな会話を繰り広げているのか定かではないが、古すぎる情報を信じ続けられるのも困る。


「エッグタルトはもう嫌い?」


「いまも好き」


「じゃあ他に好きなものは?」


「永季兄さんから訊いてないの?」


「永季は知っていることは一通り教えると言ってくれたけど、訊いてないよ。梢のことは梢の口から聞きたいから。何が好き?黄色を越える好きな色は出来た?」


紙箱を開けて、エッグタルトを取り出した颯が手づかみでそれを口に運んだ。


大口を開けて彼が何かに噛り付くところは初めて見る。


「ちょっとせめてお皿・・・」


「いいよ。面倒だし」


けろりと言った颯が二口目を齧ろうとしたので、慌てて紙袋に入っていたナプキンを彼の膝に広げた。


今日も憎らしい位上等な三つ揃えのスーツを着ているのに、どうしてもこうも無頓着なのだろう。


貧困ギリギリの生活から、富裕層といって差し支えないレベルの生活まで見て来た梢には、スーツのままタルトに噛り付く颯の精神がさっぱり理解出来ない。


梢は割引シール付きのコンビニケーキですら正座して拝んで食べていたというのに。


「・・・タルトって意外と崩れるし、零れるの・・・スーツ汚れたら困るでしょ・・・っていうか、ちゃんと座って・・・誰の会社か知らないけど、行儀悪い」


「瑠偉の持ってる会社のうちの一つ。俺も役員で名前貸してる」


「表の写真には載って無かったけど?」


「あれは実務担当者、決裁権限は瑠偉が持ってるよ」


「ああ・・・そういうこと・・・」


「これ、結構甘くない?梢はこういう味が好きなの?」


「パサついたスポンジと硬い生クリームしか知らなかったから、バニラビーンズの甘さに衝撃を受けたのよ」


昔の話をするのは好きではない。


彼から一番貰いたくない感情が同情で憐れみだ。


「この間のレセプションパーティーでは生ハムとイチジクのピンチョスが一番のお気に入りだったね。デザートはマカロンよりも苺のタルトを嬉しそうに食べてた。黄色が好きならレモンパイは?」


「・・・・・・好きなものは沢山増えたから・・・そんな一気に答えられない」


「じゃあまだ誰にも教えてない好きなものは?」


「・・・・・・」


颯への憧れと恋心が未だ消えず燻り続けていることは、誰にも伝えてはいない。


梢の行動や表情から周りはしっかりそれを察してはいるけれど。


すいと向けた視線を目の前で捕まえた颯が、最後の一口を放り込んでエッグタルトを食べきった。


指先に残ったカスタードクリームをぺろりと舐める。


心臓が大騒ぎしてとても直視出来なくて。逸らした視線をまた彼が追いかけて来る。


「ありがと」


笑み崩れて囁かれて、息が止まった。


「はい?」


「ちょっと自信を失くしそうだったから。でも、いまので復活した」


「私何も言ってないでしょ!?」


「ちゃんと届いたよ」


見透かしたように返されて、慌てて視線を辺りに向ける。


もしや今日も誰かを連れて来たのだろうか。


いや、連れて来ていないことのほうが少ないのだろうけれど。


「誰と来たのよ!?」


颯の手足となる彼らが側に居るのなら、梢の心の内が見透かされてしまっても無理はない。


そんなことが出来るのかはわからないけれど。


目くじらを立てる梢の後ろ頭を優しく引き寄せて、颯が目を伏せた。


「一人だよ。さっきの言葉聞いてなかったの?人払いしてって頼んでるのに、大裳たちを連れて来るわけないだろ。安心して。二人きりだよ」


「は・・・んっ」


軽やかに唇を啄んで、颯がお裾分け、と小さく囁く。


僅かに移ったカスタードクリームの味に真っ赤になった梢を間近で見つめながら自嘲気味に颯が笑った。


「もう西園寺には近づかないで。いいね?」


目を逸らして逃げた先でひっそりと息を吐く。


疼いたままの心を見られたくてなくて。


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