第9話 秋旻 

案内された応接室のソファに所在なさげに腰を下ろした梢は、落ち着かない様子で持って来た紙袋を胸に抱え込んだ。


次兄の聡からお使いを頼まれたのは昼過ぎのこと。


お得意様に菓子折りを言付かるのは珍しいことではない。


これも第二秘書の大切なお役目ですからと喜んで引き受けて、運転手の乾と共に百貨店のデパ地下で先方の好物だというエッグタルトを購入して得意先に向かったのだが、初めてやって来る瀧コーポレーションは聞いたことのない会社で、オフィスの入り口に飾ってあった社長と役員たちの集合写真を見ても、全く見覚えのない面々ばかりで、挨拶の後の会話が成立するのかだんだん心配になって来る。


有栖川が興した警備会社は、身辺警備は勿論のこと、自宅やオフィスのセキュリティ提供も行っており、九条会の人間も多数活躍している。


得意先というからには、きっと何度も取引があったのだろうから、ご愛顧へのお礼と、父と兄からくれぐれもよろしくと言付かっておりますという定番の文言があれば初手はクリアできる。


後は、相手の話題に乗っかって適度に話を膨らませればそれでよいはずだが、これまで有栖川や兄たちが梢を一人で向かわせる場合は必ず梢とも面識のある相手を選んでいたので、このパターンは初めてだ。


父と兄の顔を潰すようなことだけはしたくないので、余計に緊張してしまう。


そわそわと視線を立派な応接のあちこちに向けていたら、廊下からドアがノックされた。


「役員が到着しました」


さきほど応接に通してくれた女性社員の声に慌てて立ち上がる。


「あ。はい!」


スーツの皺を確かめて背筋を伸ばした梢は、ドアが開いて中に入って来た男性を見止めてぽかんと間抜けに口を開けてしまった。


「っは・・・・・・!?」


「俺の分のお茶はいいから、しばらく人払いを」


にこやかに女性社員に指示を出した颯が、後ろ手にドアを閉める。


「そんな驚いた顔しなくても、梢も同じ手を使っただろう?」


「・・・っ!」


西園寺をだまし討ちしてお見合いの席に引きずり出したことを言外に告げられてぐうっと唇を噛みしめる。


西園寺を選んだのはほとんど当てつけのようなものだが、ほかにもう声を掛けられる相手がいないのもまた事実だった。


最近は、梢が有栖川の名前を出した時点で、うちの倅にはもう相手がいまして、と即座にドアを閉められてしまう。


「西園寺からあの後すぐ連絡が来たよ。長文の言い訳メールがね」


「西園寺さんはいい人だったわ」


「巻き込まれて大迷惑してたよ」


「・・・・・・ちゃんと謝った」


どうして叱られている風になってしまうのか。


梢が馬鹿みたいに独り舞台に立ち続けているのは、一番好きな人の心が手に入らないからだ。


颯じゃないんだとしたら、見つかるまで一生探し続けなくてはならないからだ。


こんな風に逃げ回っても、飽きることなく見捨てることなく追いかけて来てほしいからだ。


無茶も我儘も独り善がりも承知で、それでも梢を選んでほしいからだ。



「俺が戻るまで大人しくしてて、ってお願いしたはずだけど」


「別に暴れてないでしょ?お見合いのどこがだめなのよ。そもそもお願いされてません」


「うん。そうだね、俺の言い方が悪かった。もっと分かりやすく伝えれば良かったよ。次からはそうする」


「お願いされたって聞く義理はないわ。私の自由は私が決めるのよ」


梢の座るソファの前までやって来た颯が、目の前のローテーブルに行儀悪くも腰を下ろした。


「きみの自由を奪う話はしてないよ」


困った顔を向けられて、どうしようと思ってしまうのは消しきれない恋心のせいだ。


困らせたくないなんて思う筋合いはもうないのに。


思う存分困らせて、振り回してやろうと思っているのに。


颯とこうして向き合うと、いつも落ち着かない気持ちになって、上手く気持ちを言葉に出来ずに悪ければ泣きそうになる。


あの日木端微塵に吹き飛んだ恋心は跡形もなく消えたはずなのに、胸にこびりついた欠片がいまだにヒリヒリ痛むから困るのだ。


だから、この痛みを消し去ってくれる誰かが居ればいいのにと思ってしまう。


そしてそんな相手が他の何処にもいないことも分かっている。


だからずっと独り舞台で独り芝居だ。


「お土産、なんでエッグタルトなの」


「一緒に食べるなら、梢の好きなものがいいかなと思って。ありがとう。買ってきてくれたんだね」


「私、他にも好きなものは沢山あるんだけど。永季兄さんの情報って全然アップデートされてない」


ぶすっと文句を言った梢に相好を崩した颯が、ソファに手を伸ばして梢の隣から紙袋を引き寄せた。


梢がエッグタルトと出会ったのは有栖川家に来てからだ。


それまでの粗末な食事から一変、三食お腹いっぱいご飯が食べられておやつにデザートまで与えられる至福の生活を手に入れた梢が、最初にお気に入りに任命したのはエッグタルトだった。


当時、駅前に専門店が出来たばかりで、やせ細っていた梢を心配した有栖川夫妻がそれをお土産にしたのがきっかけだった。


正確かどうかも怪しい誕生日には、割引シールの付いたコンビニケーキがあればご馳走という生活を送っていた梢は、エッグタルトの美味しさに感動して箱に詰められていた4つのタルトを一人ですべて食べきってしまった。


それ以来、週に2度はおやつにエッグタルトが出されるようになったのだ。


それ以降も有栖川家には様々なお菓子が届けられて、梢の舌はどんどん贅沢を覚えて行った。


いまでは好きなものも沢山ある。


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