第8話 暑天

「それもあるだろうね。たぶん、俺が何言ってもご機嫌取りのお世辞か罪滅ぼしだと思ってるんじゃない?」


「言葉が足りてねぇんじゃ?」


「・・・・・・これ以上尽くせる言葉は無いよ。もういっそ大裳たいも大陰たいいんに頼んで攫って来てもらおうか」


「大騒ぎになるから勘弁してくれ」


「梢の部屋さ、俺以外入室禁止にしてくれない?」


「なに言ってんですかあんたは」


「永季には俺の不安はわからないよ・・・・・・大人しくしててって頼んだのに、よりによって西園寺にお見合い吹っ掛けるとか・・・なんだろう、あの子もう俺に実力行使に出て欲しいのかな」


もしそうなら喜んで受けて立つのに。


搦め手を使っていいのなら、問答無用であの家から引きずり出してとっくに我が家に連れて帰っている。


幸徳井のセキュリティは、有栖川の数倍強固で頑丈だ。


誰がお姫様を取り戻しに来たって絶対中には入れない。


逃げ場所を失くしたあの子を懐柔して身も心も手に入れるまでどれくらい時間が必要だろう。


梢の信頼と恋心を取り戻して、彼女の不安はすべて取り除いて。


二人が新しい関係を始めるために必要な手立てならいくらだって取れるのに。


ポーカーフェイスが染みついた表情をふわりと緩めて微笑んだ颯に、永季がなんです?と滑らかにハンドルを捌きながら尋ねた。


自分でも眦が甘く滲んだ自覚があった。


「寝てる梢はすごく無防備で可愛かったよ。あの子が着てるレモン柄のパジャマってお気に入りなのかな?黄色が好きって前に永季が教えてくれたけど、あれっていまも変わってないの?女の子って気ままだからすぐに好み変わるだろ?いざうちに連れて来て、黄色まみれの部屋にげんなりされたら俺困るんだけど」


「・・・・・・・・・手ぇ出してないでしょうね」


「出してもいいと言われてるよ」


これは嘘ではない。


有栖川に梢の処遇について話をした際にその先のことも含めて許可を貰っている。


勿論本人の了承あってのことだが。


「うちの兄弟とやり合う気あります?」


「え、なに、4人全員が敵に回るの?」


「梢が泣くなら」


「泣かさないよ。一等大事にする。有栖川にもそう言って頭を下げたよ。あの子の境遇を蔑むようなことは絶対にさせないし」


瑠偉が上手く育ってくれたので、この先は表仕事の大半は彼に任せていくつもりにしてある。


幸徳井として表立って動くことは少なくなっていくし、西苑寺の養成学校アカデミーが本格稼働して人員が増えればもっと仕事は楽になる。


未だ正所属として扱えない那岐なぎに振り回されるよりも、使える人員をより多く育てて仕事を回して行く方が効率が良いし世の中のためにもなる。


そうしたら、梢が颯と一緒に矢面に立つ必要は無くなるのだ。


「有栖川たちがさぁ、亡くなった奥方の分も梢を大事にしているのは分かるよ。でも、うちの籠のほうが大きくて広くて丈夫なんだよ。それもわかるでしょ?」


有栖川が事件関係者の遺児たちを養子として引き取ったことは、政財界では有名な話だ。


ちょっと調べればどの子供がどの事件の関係者かなんてすぐにわかる。


一生そういう疵を背負って行くことになるからこそ、有栖川は彼らの処遇を慎重に選んだ。


梢が自分で探して来たお見合い相手の情報は、有栖川と兄弟、そして颯の元には常時届くようになっているし、会わせたくない相手の場合は最初の時点で握りつぶしてさえいる。


そうでない場合は、九条会、もしくは有栖川のどちらか有効な方から上手く話を破綻に持ち込んでいるのだ。


梢のこの先一生の平穏と安寧を願うのならば、それこそ西園寺、鷹司、もしくは幸徳井に娘を預けることが望ましい。


西園寺はすでに長く思いを寄せている女性が居て、あの男が靡く可能性は皆無。


実際、梢が別の名前を使ってダミーで仕掛けたお見合いにまんまと乗せ垂れた西園寺は、後日物凄い長文の言い訳メールを颯と永季に送って来た。


自分は何も知らずにお見合い会場に足を運んで、梢とは楽しく食事だけして、お見合いについては丁重にお断りして、自分は指一本触れていないので、完全に無罪だとつらつら書き連ねた最後に、あんたらちょっと膝付き合わせてちゃんと話したほうがええんちゃいます?と余計な一言が添えてあった。


瑠偉に至っては、颯が梢からのプロポーズもどきをお断りした1か月後に、早速白羽の矢が立って、お茶に誘われたとげんなり報告してきた。


これ以上面倒事を引き受ける余裕はないので、とっとと引き取ってくださいと珍しく苛立ちを露わにした瑠偉に詰られて、結局ホテルのティーサロンで3人でアフタヌーンティーを楽しんで終わった。


なので、残るは幸徳井のみである。


ほかに、間違いなく安全だと胸を張れる場所なんてあるわけもないのに、いつまで経っても有栖川が梢をこちらに寄越さないのは、最後まで娘の気持ちを優先させるためだ。


”お父さんとお母さんみたいな、恋愛結婚がしたい”


と夢と希望に溢れる未来を語った愛娘の願いを叶えるためだ。


だからこそ、颯はあの日の自分の言葉を死ぬほど後悔しているのだ。


あの日、うん、と答えていたら、今まさにそれが叶っていたはずだから。



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