第6話 炎天
高校生になってさらに遠方の女子高に通う事になり、送り迎えの運転手として、先に側仕えをしていた乾まりあの兄、
女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、常にあの古いアパートでは、朝から晩まで誰かが甲高い声で話していたので、寡黙な男が多い有栖川家での話題の中心はいつだって永季か梢だった。
永季に関してはやんちゃをして側付きたちに叱られるのが常で、梢はその日学校であったことを兄弟や家政婦、父親の部下たちに話して聞かせるのが日課のようになっていた。
要は、梢の話を聞いても僅かに口角を持ち上げて良かったですね、と言うだけだったけれど、それで十分だった。
妹のまりあはその倍は色んな質問をして、梢の学校生活に問題がないかをよくよく気にかけてくれていた。
古いアパートで暮らしていた時から、自分の事は自分でするのが当然で、何かを貰ったらお返しをしてお礼をするのが当然だと教えられてきた。
『この世の中はねぇ、ギブアンドテイクの繰り返し出来てんのよ。だから、貰いっぱなしは駄目。そのうち貰えなくなってすっからかんになっちゃうからね。あんたはみんなから欲しがられる大人になんなさい』
その考えは梢の芯まで根付いていて、当然のように大学卒業後は父親の警備会社に入った。
有栖川は好きな事をすればいいと言ったが、他の道なんてあるわけもなかった。
第二秘書として、スケジュール調整を手伝い、亡き母の代わりに父親の同伴で会食に顔を出し、親孝行な娘を気取るのは物凄く誇らしくて気分が良かった。
みんなが梢を呼んでくれて、みんなが梢を褒めてくれる。
有栖川梢になって新たな人生を選んだ自分が手を伸ばせば、拒まれることなんてないと、そう信じ切っていたのだ。
今にして思えば、学生時代の自分にみんなが優しかったのは、往々にして有栖川の名前のおかげである。
梢がたいして可愛くないことはテレビに映るアイドルを見れば一目瞭然だが、有栖川家に集う人間は、皆一様に梢推しだったので、アイドルなんて目じゃないくらいに可愛がられた。
有栖川は、永季と他の子供たちを差別することは一切無くて、男子は強く逞しく育てと望み、女子は清らかに愛らしく育てと望み、自ら率先して子供たちにそう接して来た。
空っぽだった田中梢の心は愛情で満たされて、ぺしゃんこだった自尊心は一気に膨れ上がった。
だからあんな暴挙に出て初恋を秒で終わらせることになってしまったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「よし、全員揃ってるな。路は俺と父さん付き。梢は、聡兄さんと挨拶回り、質問は?」
最後に会場に現れた三男の哲一が永季以外の三人を確認して頷いた。
有栖川兄弟がパーティー会場に揃うのは久しぶりの事である。
永季は颯の側についているし、次男の聡は父親の後継者として実務を取り仕切っており、三男の哲一は九条会の子会社の役員になり家を出て生活していて、梢と同い年の四男の路は大学の研究室に残って細胞学の研究を続けており、こういう時でもないと、ほとんど大学から帰って来ないのだ。
文明の利器のスマホやインターネットが発達していなかったら、路は音信不通のままになっていた可能性すらある。
「ないわ。ああ、会食の誘いは一律スケジュール確認の上秘書より連絡で統一でよろしく」
「梢に粉かけて来る馬鹿が万一居たら、いつもパターンで」
聡と路を見て行った哲一の言葉に、路が思い切り顔をしかめる。
「いやないだろ、さすがにもう」
「それがあるんだよ。梢というより、うちをバックに付けたい輩は沢山いる」
「梢は大人しく穏便にしていなさい。大口開けてご飯食べないように」
「聡兄さんは余計なこと言わないで。言われなくても食べないし、それでなくともきつめのワンピース着て来たのに!」
憤然と言い放ってぐっと拳を握れば、路が慌ててそれを押さえて来た。
「で、さっきから幸徳井さんの視線がぐさぐさ突き刺さって来るけど、今度はお前なにやらかしたの?」
「何もしてないわよ。お見合いも失敗に終わったし」
「馬鹿、また無駄なあがきを」
こりゃ駄目だと額を押さえて天井を仰いだ哲一が、もういいから解散、と手を振って路を連れて側を離れる。
残った梢は、聡と連れ立って知り合いの会社役員たちに笑顔で挨拶をして行く。
ゆくゆくは聡の第一秘書として最後まで有栖川に尽くすつもりの梢なので、しっかりと顔と名前を売っておかなくてはならない。
「今度は誰とお見合いしたんだっけ?」
挨拶が途切れたタイミングで聡がさも興味無さそうにシャンパングラスを揺らしながら尋ねて来た。
妹の行動は耳に入っているだろうが、気にかける程の事ではないらしい。
「西園寺さん」
「また面倒なところを・・・お気の毒に・・・・・・それで、きみの言う運命の鐘は鳴ったの?」
「鳴らなかった」
「じゃあ、梢の運命の相手は相変わらず幸徳井さんのままだ。いつまで意地張るの?」
「納得するまで。だって自分を憐れむ人と一緒になるのは嫌でしょう?」
「彼は憐れんできみを口説いてるわけじゃないと思うけどね」
「でも同情がないとも言い切れないわ。だって、私、元可哀想な子供だもの」
「それを言うなら僕らみんなそうだよ・・・・・・鐘が鳴ったら梢は納得できるんだ?」
「それを理由に出来るから。だって、鐘が鳴るのは運命ってことでしょう?」
「抽象的すぎて僕にはわからないよ」
肩を竦めて近づいて来る壮年の男性に向き直った聡が、にこやかに挨拶をしている斜め後ろで同じように笑顔を貼りつけたまま梢は内心ごちた。
抽象的じゃないのに。
本当に、鐘が鳴ったのよ。
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