第2話 初空

目の前の颯は誰もが羨む麗しの美貌を兼ね備えていて、永季の相方でもある鷹司瑠偉たかつかさるいと公の場に並んで立つと女性陣の視線を釘付けにしてしまう。


そんな抜群に整った容姿の男が隙なく三つ揃えのスーツを着こなしているというのに、かたやこちらは寝ぐせの残る着古したパジャマ姿なのだ。


物凄く居た堪れない。


けれど、死ぬほど気まずいのはどうやら梢のほうだけらしく、颯はこの話題を畳むつもりはないとまた質問を投げて来た。


「乾は家族だからいいの?」


「そうよ。舞子さんと乾は家族だから」


有栖川家での慣れない暮らしを支えてくれた二人が居たからこそ、梢は人生の再スタートを切る事が出来たのだ。


「ふーん・・・・・・まあ、いいや」


ようやく納得してくれたらしい颯が、梢の顔の隣についていた手を外して起き上がった。


開いた距離にホッとした矢先、再び屈み込んだ彼が上掛けの隙間から見えるレモン柄のパジャマの襟元に指を伸ばした。


「っへ!?」


素っ頓狂な声を上げて身体を強張らせた梢の前で、悠々と颯の指がボタンを外していく。


「・・・ちょ・・・な・・・」


この後の展開なんて言われなくても分かる。


大声を上げれば誰かが飛んでくるかもしれないが、その場合寝起きを襲われているところを見られることになる。


貞操の危機よりも、こんな場面を家の誰かに見られることのほうが死ぬほど恥ずかしかった。


「昨夜はよっぽど眠かったんだ?」


「・・・は・・・?・・・っん」


キャミソールの縁を撫でた指がそれ以上肌に触れることなく離れていく。


漏らしてしまった鼻にかかる掠れた声に、ぶわりと羞恥心が込み上げて来る。


「可愛い声出さないで。その気になるよ」


眉を下げて笑った颯が悪びれることなくパジャマから手を離した。


「ボタン、掛け違えてた」


「・・・!!!」


トントンとスーツのネクタイを軽く叩いて報告されて、大慌てで上掛けを頭までひっかぶる。


「なんで来たのよっ!あ、言わなくていい!もう帰んなさいよ!」


「先週会えなかったから、顔を見に来た」


「だから言わなくていいって!」


「梢が起きてたらお茶しようと思ってたんだけど、残念ながら時間切れだ。仕事に行くよ」


「見送らないわよ!」


だって彼は梢が招いた客人ではない。


なんなら梢にとっては一番招かれざる客である。


彼を見送る為だけに着替えて部屋から出るのは嫌だし、なんでわざわざそんな名残を惜しむようなことをしなくてはならないのか。


彼は赤の他人なのに。


「構わないよ。それより、家でパジャマのままでウロウロしてるの?」


「してない。ちゃんと着替えてるわ」


父親が在宅の場合は午前中から人が来る事も珍しくないので、起きたら着替えてから部屋を出るのが常だった。


「それならいいけど・・・・・・ここは男所帯だし、あんまり無防備な格好しないで」


「乾みたいなこと言わないでよ」


年頃になってソファでのうたた寝を禁止された時のことを思い出してしまった。


「っていうか、勝手に人の部屋に入って来た颯がそれを言うの?常識を考えなさいよ、大人なんだから!」


「大人だから起きて来るまで待とうと思ってたよ。けどここまで来たのに顔も見ずに帰るのは忍びないなと思ってさ。だって俺にはその権利があるんだから」


「うちのお父さんから勝手にぶんどった権利ね。私は認めてないけど」


「きみからの告白を忘れたことは一度だってないよ」


「一生のお願いだから記憶消してよ」


苦すぎる想い出を突きつけられて、上掛けの中で悶え死にそうになる。


叶うなら、愚かだった過去の自分をぶん殴ってでも告白を止めたい。


「可愛い梢からのお願いでもそれだけは聞けないな。ごめんね。ほかのお願いならなんだって叶えてあげるよ」


「いりませんっ・・・」


「そう?願い事が見つかったらすぐに教えて」


颯が近づいて来る気配がして、上掛けの中で丸くなった体に僅かに重みが加わった。


「だからないって・・・あ・・・」


「うん?なにかある?」


「今日、永季兄さんと瑠偉さん別行動でしょ?一人でここまで来たの?」


身辺警護のために、基本単独行動は行わないようにしている颯なので、恐らく誰かとここまで来たはずだ。


梢の質問に、颯が上掛けを捲って見えた後ろ頭にキスを落とした。


「まさか」


案の定誰かを連れて来たらしい。


何度か顔を合わせたことのある苦手な人物が頭を過った。


「っ!わ、私の部屋に変なもん連れてきてないでしょうね!?」


「来るわけないだろ。車で待たせてるよ。本当はこの部屋には俺以外誰も入って欲しくないよ。新居のベッドルームは、夫婦以外立ち入り禁止にする」


「・・・妄言吐かないで」


「俺が戻るまで大人しくしててね。好きだよ」


「勝手に言ってれば」


自分でも驚くくらい弱弱しい嫌味に、くすりと笑った颯がまた来るよ、と言って部屋を出て行った。

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