第3話 小春空
「本日はおよび立てして申し訳ございません」
仲居に案内された座敷に足を踏み入れた途端、座布団の横で正座をしていた女性がこちらに向かって丁寧に指を揃えて頭を下げた。
望まぬお見合いを繰り返していけば、そのうち女性の仕草一つで教養の有無を見破る事が出来るようになる。
付け焼き刃の知性や言葉遣いなんかよりよほどその人となりが見えるのだ。
生まれた時から上流階級の娘として育てられた生粋のお嬢様である瑠璃の所作にも劣らない綺麗な仕草に一瞬だけ見惚れた。
九条会の関連会社から無理やり捻じ込まれたお見合いだったので、角を立てないようにこうして足を運んだわけだが、当然西園寺の心は瑠璃以外の誰も望んでいないし、誰かが入り込む余地もない。
適当に食事と会話を楽しんでもらって、今回もこれまで通り穏便に退散願うことにする。
暇つぶしにお見合い相手を採点するようになったのは5人目からだったか。
目の前の彼女はこのお辞儀と姿勢の良さだけで久しぶりにかなりの高得点を叩き出した。
そんな事を考えながら座布団を引き寄せて腰を下ろしかけて。
「いえ、とんでもない。こちらこそお待たせしてしまっ・・・えええ!?こ、梢ちゃん!?なんで!?」
西園寺は、兄とは正反対の愛らしい笑顔を振りまく有栖川の妹を前に、この場にそぐわない大声を上げた。
「今日のお見合いは、私がお願いしたものなんです」
驚かせてすみません、としおらしく眉を下げた梢が座布団の上に腰を落ち着けた。
「はあ!?え、待ってや・・・ほんなら辻村呉服のご令嬢ちゅうんは・・・」
「あ、それダミーです。さすがに有栖川の名前出したらバレるかなって」
「バレるもなんも・・・ちょお・・・このこと永季や幸徳井さんは知ってはるん?」
頭の中で警告音が鳴り響いている。
辻村呉服という名前にまんまと騙されて、幸徳井颯が唾を付けて追いかけまわしている有栖川梢とお見合いをしてしまった。
もちろんこちらは完全なる不可抗力だが、お見合いという事実だけ見れば、西園寺が梢との将来を考えていると見られてもなんら不思議ではない。
有栖川梢が、次代の結婚相手として浮上してから、有栖川家から持ち掛けられる他家へのお見合い話は水面下で全て握りつぶしている幸徳井である。
これが万一彼の耳に入ったら、いや、入らないわけがない。
梢が裏をかいたと勝ち誇っているその更に裏側で、幸徳井がどんな風に暗躍しているかと考えただけでぞっとする。
「いえ。私のお見合いですから」
「いや、梢ちゃん・・・そない言うても・・・お父さんも幸徳井さんも納得しはらへんのんちゃう?」
「父は、私が自分で見つけた相手ならちゃんと認めると言っています。だから、この人こそはと思う将来性のある方にお見合いをお願いしているんですが・・・」
「これまで全敗してるんやろ?」
梢がどれだけ色よい返事を向けても、数日後には相手から丁重にお断りの返事が届いているのは、つまりそういうことだ。
どういう事情で幸徳井に捕まって、揉めているのかは定かではないが、幸徳井の動きを見れば逃がすつもりがないことなど一目瞭然である。
父親の発言も、愛娘の機嫌を取るために言ったものであって、本心は別の所にあるに違いない。
幸徳井と有栖川の歴史を考えれば、これ以上の良縁は無いのだから。
誰がどう見ても完全に一人で空回っている梢が気の毒になってくる。
永季は何をしているのか。
兄なら、妹の無謀さを嗜めて諭してやればいいのに。
どうせあの男に目を付けられた時点で逃げ場所なんてどこにもないのだ。
「そうですけど!西園寺さんならって!」
とにかく何がなんでも自力で結婚相手を探さなくてはならない、という使命感に燃えている梢のオーバーヒート具合が凄まじい。
恐らく誰の助言にも耳を貸そうとはしないのだろう。
「俺は、梢ちゃんを好きにはなられへんよ」
「私、いい奥さんになれるように頑張ります。高望みもしませんし、一番になりたいだなんて言いませんから」
「ごめんな。俺、好きな子おるんよ。結婚はその子としかせぇへん」
やむを得ず受けたお見合い話をお断りするには、これが一番手っ取り早い。
西園寺も嘘を吐かずに済むし、適当なおべっかを並べ立てる必要もない。
ただ真摯に自分の気持ちが誰に向かっているのかを語れば、大抵の相手は納得してくれる。
「俺がいっぺん失敗して、手ぇ離してもた相手やねん。そやから、二度と間違えられへんねん。絶対傷つけたくないから、どんだけ頼まれてもこのお見合いは受けられへん」
「・・・・・・・・・その子・・・西園寺さんの、運命の人なんですね」
「運命やったらええなぁって思っとるよ」
神様の気まぐれで、遠回りさせられただけだと勝手に信じている。
運命くらい味方につけておかなくては、色んな後付けの理由で壁を作ってしまった彼女の元へは辿り着けないのだ。
西園寺の言葉に、梢がしみじみ、いいなぁ、と呟いた。
「一度失敗したのに、また手を伸ばせるのはどうしてですか?」
「この子じゃないと嫌やって思ったから」
覚醒していく意識の狭間で、なめらかな黒髪にもう一度触れたくなって伸ばした手が空を切ったあの瞬間の胸の奥の柔らかい部分をざっくりと切りつけられるような絶望感。
もう二度とあんな思いはしないし、させないと誓ったのだ。
本物にしてみせると決めた心はあの日から一度も揺らいではいない。
だから、どれだけ素晴らしい女性を前にしたって心は一ミリも動かない。
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