第31話 星合いの空
盛大に拒絶して弾いたかと思ったら、不安そうに近づいてきて足元で丸くなる。
撫でられるかもと手を伸ばしたら、するりと逃げて行って、けれど部屋の片隅にとどまったまま探るようにじいっとこちらを眺めている。
いっそ噛みついて引っ掻いて傷つけてくれればいいのに。
こんな傷なんでもないよと笑ってみせるのに。
きみのくれるものなら、傷痕だって生涯大切に残しておくのに。
「行き止まりのないところ、って・・・・・・・・・・・・ここ?」
「ベタだけどね。日帰りで行ける場所って結構限られてるから。お姫様はご不満かな?」
助手席から降りた梢が、颯の手を離して、一瞬強く吹いた潮風に髪を押さえた。
砂浜まで下りてもいいが、梢の足元を思うとあまりそれも賛成できない。
手を引いてやれば転ぶことは無いとは思うが万一足を挫かれたら困る。
彼女がもう少し弱っていたら抱えさせてと言っただろうが、たぶん今は言っても弾かれるだろうから。
脱いだスーツのジャケットを梢の肩に羽織らせて、足元見てねと念を押してからやっぱり心配で手を捕まえた。
「下、アスファルトよ」
「助手席のドアは開けさせてくれるのに、こっちは駄目?」
「それはそういうものだって言われて育ったから」
「有栖川の教育方針が時々謎だよ」
「そうね、私もそう思う。これが一般的だって思ってたから、同級生のお父さんの運転する車に乗った時恥かいたわ」
あの永季ですら、女性を車に乗せる時には助手席のドアを開けてエスコートする。
有栖川が細君にそうして来たのを見て育ったから、梢は兄弟たちから同じように扱われてきて、それがデフォルトになった。
おかげで今も身内と一緒に異動する時には自分でドアを開けることはしないし、家族がそれをさせない。
梢の列席した挙式が終わるのを待って、どこに行きたい?と問いかければ、彼女は迷うことなく行き止まりのないところ、と零した。
迷走しているらしい思考回路が透けて見えるようで、颯は何も言わずに頷いて彼女を自分の車へと案内した。
行き止まりのないところ、と言われてぱっと思いつくのはビルやホテルの高層階もしくはやっぱり遮るものの無い海だろう。
後者を選んだのは、多分室内にいるよりも気がまぎれるだろうと思ったから。
そして、その考えは当たったらしく、梢は助手席に収まっていた頃よりもわずかに表情が明るくなっていた。
結婚式といえば、全世界女性の憧れだと思われがちだが、そこに幸せを見いだせないタイプもいるのだ。
結婚はこれまでの人生の一つの終着点で、そこから新しい人生をスタートさせるに当たって、今日までの歩みを振り返る場所でもある。
生まれた場所、育った家、過ごして来た時間、見守ってくれた家族、一緒に成長してきた友達。
そういういくつもの自分のパーツを一度綺麗に整理して、お披露目して、ここからまた頑張りますと所信表明して踏み出す日。
整理できるパーツが揃っていない人間にとっては、重たくて煩わしいだけの行為になってしまうのかもしれない。
ウェディングドレスとバージンロードへの憧れだけは残っているようなので、その点は物凄くホっとしているが、この先の自分たちの未来を思うと、彼女の憂い顔はいささか不安を募らせる。
梢に惹かれた時点で、彼女の生い立ちから有栖川家に引き取られるまでの経緯、有栖川家で暮らし始めてからの生活すべて調査して完璧に頭の中に入っている。
データとしては、どこにも齟齬が無い。
梢が表に出せる子供時分の思い出を何一つ持っていなくても、颯にとってはそれは大したことではない。
思い出なんてこれから生きてさえいればどれだけだって作っていける。
梢の望むまま、何もかもを自由に書き換えられる真っ新な未来を提供する準備だけは、すでに整えてあるのだ。
けれど、梢が、あの古いアパートで何を見て、どう感じて、どんな未来を夢見ていたのかまでは、颯には分からない。
彼女は昔の自分について颯の前で言及するのを酷く嫌がるので、有栖川家に引き取られる以前の話題は二人の間ではある種のタブーになっていた。
梢は、今日列席した挙式で、何を見て、行き止まりだと思ったんだろう。
彼女の過去のことだろうか、それともこれから先の未来の事だろうか。
残念ながら後ろ向きに歩けるように人は出来ていないので、過去は改変しようがないが、一秒先の未来なら、まるごと委ねてくれればいいのに。
間違っても行き止まりだなんて、絶対に言わせないのに。
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