第21話 雪空
「永季、さっきからスマホを鳴らして・・・っと失礼」
永季の執務室のドアを開けたところで立ち止まった瑠偉が、あれ?と驚いた顔になった。
前に会ったのは年始の挨拶の時だったはずだが、今日もやはりちょっと近寄りがたいくらいに怜悧で綺麗な男だ。
永季と並んで颯の懐刀である
事務仕事は壊滅的、面倒ごとは力でねじ伏せてなんぼ、という永季とは真逆の性格で、永季の分までデスクワークをこなしつつ、颯のスケジュール管理など秘書的役割を担っている。
幸徳井に降りて来た裏仕事を請け負う実働部隊が永季とその配下、表立って体裁を整えるのが瑠偉とその配下、という役割分担がいつの頃からか出来上がっていた。
「来られてたんですね。お久しぶりです、梢お嬢さん」
「ご、ご無沙汰しております、瑠偉さん」
彼と二人きりで会ったことは一度もない。
颯から逃げるために、初期に挑んだお見合い相手の一人が彼だったが、その直前で颯に悟られて結局三人で謎のティーパーティーを開催する事になってしまったので、梢としては、お見合いが不発に終わった唯一の相手、ということになる。
仕事中のクールな表情に加わっていた険悪な雰囲気は、梢を見止めた瞬間霧散していた。
彼が感情を露わにするのは極々限られた人間の前でだけ。
梢の前に立つ彼はいつだってクールな紳士だ。
梢のほうがずっと年下にもかかわらず、出会った頃からずっと敬語なのも変わらない。
基本的に彼の言葉遣いはいつも綺麗で丁寧だ。
瑠偉は、デリカシー皆無の粗野な永季を遠慮なしに貶して諫める稀有な存在である。
年中無休でニュートラルな彼の本音がもう少し垣間見えたらとっつきやすくなるのだが、瑠偉はこれ以上梢との距離を縮めるつもりはないらしい。
だから出会ってから今日までずっと梢は、永季の妹である。
穏やかで優しいけれど、瑠偉を前にするとどこか緊張してしまうのは、彼が持つ他者を寄せ付けない雰囲気のせいだ。
女性には苦労しない素晴らしい容姿にもかかわらず、なかなか運命の相手に巡り合えていないのは、そのせいではないだろうかと勝手に思っている。
「今日は永季に・・・・・・?」
「この後、家族で食事に行く予定で、出先からこっちが近かったので・・・」
「ああ、それで・・・」
「永季兄さん、煙草吸いに行っちゃったんです。空気清浄機あるし、ここで吸ってもいいよって言ったんですけど」
「最低限の気遣いが出来ているようで何よりです」
当然だと頷いた瑠偉が、執務机の上に置きっぱなしのスマホを一瞥して顔をしかめる。
普段一人の時はここで煙草を吸っているらしい兄は、梢の前で紫煙を吐き出すことは絶対にしない。
それは、喫煙者である有栖川も同じだった。
デリカシー皆無のくせにこういうところだけはきちんとしているのだ。
「お急ぎの御用ですか・・・?」
「ちょっと確認したいことがあったんですが・・・」
「すぐ戻ってくると思うんで、あの・・・ご迷惑でなければ一緒に待ちません?」
緊張した面持ちでソファを手で示せば、一瞬目を丸くした瑠偉が、ほんの少しだけ眦を緩めた。
「気を遣わせてしまって申し訳ない。僕で良ければ」
彼が笑ったのだと気づいたのは数瞬後のことだった。
「颯さんとの追いかけっこは順調ですか?」
「・・・・・・ひどい・・・瑠偉さんにまでからかわれるとは思いませんでした」
「からかってませんよ。むしろ感心しています。もっと早く決着がつくと思ってましたから。梢お嬢さん、よく粘ってますね」
「・・・・・・往生際が悪いって・・・思ってます?」
「あの人を困らせることが出来るのは、あなたくらいのものですから。僕の分も存分に振り回して頂きたいですね」
こんな風に平然と言ってのける当たり、瑠偉も相当肝が据わっている。
こうでなくては、幸徳井の腹心は務まらないのだろう。
鋼並みに図太い神経をしている永季を顎で使えるところからして、やっぱり彼も只者ではないのだ、
「ああ、でも。お見合いはご免こうむりますよ。まだ死にたくないので」
「死にって・・・そんな大げさな」
梢のお見合いを悉く潰してなかったことにしてきた颯だが、まさか大切な部下でもある瑠偉に牙を剥いたりはしないだろう。
「あの人の妬心を甘く見ないほうがいい。あなたが他の誰かに余所見したら、その相手は即座に消されますからね」
「・・・・・・・・・」
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