第15話 夜天
「お嬢・・・梢さん」
律義にオフィス仕様に呼び方を変えてきたまりあが、メール返信中の梢の机までやって来て困り顔を向けてきた。
経理担当の彼女がこういう顔をしてくるときは、経費精算の領収書が足りない場合がほとんどだ。
昔の縁であちこちに顔を出している有栖川はなんでもかんでも経費で、と豪語するわりに領収書の管理はさっぱりなので、隣に張り付いている秘書がしっかりしていないと月末に困る。
「やだ・・・また領収書足りない?今月は漏れなかったはずなんだけど・・・あ、昨日乾の机に置いておいたクリアファイルの分も見てる?それ以外だと・・・」
「いえ、違います。経費は問題ないです、今のところ」
「あ、そうなの、よかったぁ。え、じゃあなにその顔・・・」
「あのう・・・・・・幸徳井さんが来られてます」
「げっ」
「ですよねぇ・・・今日は虎島さんとご一緒なんです」
心底嫌そうに報告して来たまりあの肩を優しく叩いてやる。
初対面の時からどれだけ嫌がられようと満面の笑みで”まりあちゃん”呼びを続けている虎島は、かなりまりあを気に入っているようだ。
毎回顔を引きつらせて、乾とお呼びくださいと突っぱねるまりあを前にしても少しも引かない虎島のタフな精神はある意味賞賛に値する。
「はいはい、お茶出しますよ」
「お願いできますか」
「あれ、でも社長は外出中なんだけど・・・」
ここ数日永季は警察仕事で忙しくしており、颯は表仕事に専念しているので、ここに来る理由は有栖川に会うため、もしくは。
「ええそうですね、お目当てはお嬢様ですよね」
「~~っねえ、乾、お茶」
「絶対嫌です。それに、あの方お嬢様がお見えにならなかったらフロアまで来られますよ、間違いなく。衆人環視の前で大々的に口説かれたいならそれでもいいですけど」
「いや、よくないでしょ!」
「ですよねぇ・・・次のお見合い相手探してることバレてるんじゃありません?」
「・・・・・・・・・誰にも言ってないのに」
西園寺への突撃はさすがに自分でもちょっとやりすぎかな、と思ったが、まだいくつかお見合い相手の候補は残っているのだ。
梢からの告白を秒で蹴飛ばした後、何を血迷ったのか謝罪と告白をしにやって来た颯を同じように秒で突っぱねてから数年。
彼の本心が読めずに逃げ回るようにしてお見合い相手を探しては突撃→撃沈を繰り返している。
最初は意趣返しのつもりだった。
けれど、今ではもうただの意地になっている。
ここで折れたら負けだ、と思ってしまったのだ。
だってあの時彼は、自分と梢は釣り合わないと言ったのだから。
それなら自分に釣り合った相手を見つけてやろうと、失恋の痛手を怒りに変えて奮起した梢の行動は、颯の想像の斜め上を行ったらしい。
心底驚いた様子でこちらを見つめた王子様の表情はそれはそれは見ものだった。
他の誰かに手を伸ばすなら、やっぱりきみは要らない、と言われるだろうかと思っていた梢の予想はものの見事に裏切られて、彼からのアプローチはさらに増えて行った。
「こんな風に試さなくても、あの方は一途ですしちゃんと受け入れて下さいますよ」
「・・・・・・・・・疑り深くて悪かったわね」
「もうそれただの意地ですよね?一言好きって言ってみたらどうです?それで万事解決しますよ」
「・・・・・・・・・」
「そう簡単に他の誰かに鐘は鳴りませんよ」
「そうなの?」
「そんな次々運命の相手が見つかったら困るでしょう」
「・・・・・・・・・」
「とにかく、お茶お願いしますね。いつまでも居座られると困るんで適当に相手して早々にお引き取り頂いてくださいね」
「ちょっと乾・・・」
私は経費処理がありますので、とあっさり自席に戻って行くまりあの背中を恨めし気に眺めてから、渋々席を立って給湯室に向かう。
無意識に頬を押さえてしまうのは、吹き出物のことを思い出したから。
悔しいことに、颯は梢が自分の容姿に一目惚れをして告白してきたことをちゃんと理解していて、自分の顔の有効活用に余念がない。
迫られても突っぱねられないのは、ファーストインプレッションの余韻と、その後のアプローチの数々のせいだ。
年を重ねるごとに色気が増していくのは女性だけの特権ではなかったのか。
慣れた手つきで梢を抱き寄せる彼の腕は優しくて、逸る鼓動を宥めるように触れる唇は甘い。
本当の意味で梢に拒まれないを颯は知っているから、怯えない範囲で触れて陥落しようと仕掛けてくる。
まるで爪を立てた事を詰るように。
さすがに幸徳井相手に番茶を出すわけにもいかず、教えられた通りの手順で丁寧に玉露を入れて応接に向かう。
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