俊介の恋人
朝、MOTOKIが着物を届けてくれた。それを巧の車に乗せ西伊豆に向かった。
「綾さん、さっき桜井さんから連絡があり俊介さんは今日の朝早く戻られたそうです。」
「フフフ、やっぱりね。これで俊介さんももっとやる気を出してくれる。いい傾向よ。さてと、巧、今日だけど俊介さんと今後の件を話します。あなたも聞いていてね。それと明日『静香』は2棟ともチェックアウトしますので手続きお願い。帰りは俊介さんも乗せて東京に戻ります。」
「わかりました。」
「でもね、俊介さんが短編小説を書き始めていない場合や、内容が良くない場合はもうOUTなのよ。だから心配・・・」
「綾さんにしては珍しいですね。」
「そうねー。こればっかりは私でもどうしようもないでしょ。俊介さんが書くのだから・・・でも何となくうまくいっている気がするの。」
「綾さんは怖いな・・・」
「怖い?」
「だって人のこと見抜くでしょ。それで綾さんの想う方向に導いてしまう。ずっと見てきましたけど、間違ったことないですよね。」
「そうね。間違ったことがないのは、間違う前に手を打つからよ。とにかくよく相手を見るの。それだけよ。」
(それだけって・・・それが普通は出来ないんだよ。)
西伊豆に入ったので、綾は車の中から俊介に電話をした。
「綾です。あと15分くらいで着きますが今どちらですか? よければどこかでお昼食べません? 」
綾は昨日の件は特に言わなかった。
「・・・あっ、早かったですね。今旅館下のバス停付近です。」
「わかりました。そこで待っていてください。」
俊介をピックアップした。
「俊介さん、こっちでお寿司食べました? 」
「・・・いえ、食べてないです。お刺身は毎日のように頂いていますが。」
「じゃ、お寿司はイャかしら?」
「・・・いえ、お寿司は好きです。」
「良かった。地元の魚をメインにした寿司屋があるのでそこに行きましょう。」
3人で美味しいお寿司を食べた。巧は寿司好きなので黙々と食べた。
「ねえ俊介さん、まなみさんの工房にはまた行ったの? 」
「・・・えっ?」
綾は半分いじわるでそんな質問をした。俊介が耳まで赤くしている。(やっぱりー)
「もしかしてうまくいっているとか・・・」
「・・・あの・・・実はそうでして・・・あの・・・僕ら一緒に住もうかという話も出てて・・・」
「あら、ずいぶんと速い展開ね。」
「・・・そうですね・・・なんだか気が合っちゃって・・・僕も東京にいる必要もないので・・・こっちに越してこようかと・・・」
「フフフ、よかったわね。でもその前に少し東京で仕事してもらわないといけないので、食事が終わったら旅館に戻って今後の仕事の話をします。」
「・・・はい・・・僕も頑張りたいので・・・何でもやります。」
旅館に戻り、綾は俊介に今後のことを説明した。俊介は全てに驚いた。
「・・・あまりのことに驚いています。・・・この中の一つだけでもすごいことなのに・・・5つも・・・僕の為に・・・」
俊介の目元は赤くなっていた。
「俊介さん。でもね、この計画もあなたの小説次第なのよ。どうかしら書けている? 」
「・・・はい。実は導入部分だけと言われていましたが、書ききっています。初めは書けないような気がして不安だったのですが、いざ書き始めたら気持ち良くて。次から次に言葉が浮かんできて、こんなに楽しく書いたのは久しぶりです。」
「あら凄い。よかったら見せてくれる?」
綾は俊介からPadを受け取り読み始めた。
小説は、ある女性が失恋して西伊豆に傷心旅行にきたという設定だった。そしてこの土地で様々な人と出会い、徐々に心の氷が溶けていき、ついにはこの土地の人と結ばれる。というものだった。
綾は素人ながらにいいと思った。読みながら熱いものがこみ上げて来たし、俊介の実体験ともリンクするのですごく臨場感があった。そしてこの西伊豆の綺麗な風景が目の前に浮かんでくるような描写がとにかくよかった。風が吹いたように感じた。
「俊介さん。私は小説に関して素人ですが、とてもいいと思いました。これを持って明日東京に戻りましょう。少しの間東京で仕事してもらいますので、まなみさんとは少しの間お別れね。だから今晩はここに真奈美さんに来てもらいましょう。4人で食事よ。そのあとはどうぞご自由に・・・」
俊介は顔を赤くしながらうなずいた。
綾はまなみに電話をして状況を説明した。まなみはとても喜んだ。俊介の小説のこと、これからのこと、そして今晩のことも。
4人は最高の夕食を楽しんだ。そしてそれぞれのカップルは幸せな夜を過ごした。
次の日、昼前に『静香』をチェックアウトした。まなみとはそこで別れ、3人は東京に向かった。
車の中では着物の話になった。
「・・・綾さん、きのう渡された着物をあれから直ぐに着て、寝るまで着ていました。その感想を言います。」
「是非教えて頂戴。」
「・・・厳しく言います。このままでは僕は着ません。決して着心地が悪いわけではないのですが・・・着物を着るとしゃんとするというか・・・気持ちが引き締まるというか・・・そういうものを感じるのが好きで僕は着物を着るのですが・・・この着物ではそれを感じることが出来ません。どこをどうすればいいのかは僕にはわからないのですが・・・」
「俊介さんの言わんとしていることはわかります。改善点を見つけましょうね。」
「・・・本当に僕が広告塔になるのですか? この着物の・・・」
「そうよ。だからどんな細かいことでも気が付いたら遠慮なく言ってね。」
「・・・はい。」
俊介が仕事に対し積極的になっていることが嬉しかった。そして綾もずっと着物のことを考えていた。
綾が俊介に聞いた。
「着物の重さは関係ある? 絹の方が重いでしょ?」
「・・・そうですね。それもあるかもしれません。後は硬さとか・・・」
「なんとなく打開策は見付かりそうね。」
俊介を連れてブティックRinに直行した。
「マーク、MOTOKI君いる?」
「綾さんお帰りなさい。」
MOTOKIが出迎えた。
「あらマークは?」
「急遽京都に行っています。夜には戻ります。」
「あら、しまった。連絡してなかったから・・・」
「MOTOKI君、俊介さんは初めてだったわね。」
「はい。MOTOKIです。この店で販売とモデルをやっています。よろしくお願いします。」
「・・・並木 俊介です。そこのビューティサロンRinの並木の従弟で・・・作家をやっています。・・・なんだか今回着物のモデルもやることになってしまって・・・モデルなんかやったことないので・・・いろいろ教えてください。」
「MOTOKI君、俊介さんと着物の改善点を話していたの。もう一度聞いてまとめてくれる? それと、あなたにこの着物の担当になってもらいたいの。マークには私から頼んでおきますけど、そろそろ責任のある仕事をしてもいいでしょ。どう? やってくれる?」
「ありがとうございます。やりたいです。頑張ります。」
「じゃあ、ふたりで打ち合わせよろしくね。私達は一度部屋に戻り一時間後位にまた来ます。」
綾はひとりで部屋に戻った。疲れたので1時間タイマーをセットして寝た。
目覚ましが鳴る前に綾は起きた。スッキリしていた。
起きて直ぐに大門に電話を入れた。
「大門さん、並木俊介は良い仕事をしましたよ。先程西伊豆から戻りました。早速で悪いのだけど、早々にお会いできないかしら?」
「最優先しますよ。明日はいかがですか?」
「あら嬉しい。」
「では明日。詳細は直ぐにメールします。」
明日、出版社で打ち合わせをすることが決まった。
綾はブティックRinに戻った。
「どう? 着物の改善点見つかった? 」
「はい。とりあえず思いつくことをブレインストーミングしました。その後、KJ法でまとめました。2人だったので少し偏りもありますが、これに綾さんとマークの意見も入れたいです。」
「ふーん。見せて。・・・MOTOKI君はこういうの勉強したの?」
「はい、大学で少し。分析方法としてKJ法を勉強しました。」
「川喜多二郎のKJ法ね。いいじゃない。時間はかかるけどいい方法よ。」
「OK! 今日はここまで。俊介さんも疲れたわよね。明日14時に大門さんの出版社に行きます。メンバーは、俊介さん、並木さん、巧、マーク、MOTOKI君、大嶋君、そして私と出版社の方々よ。明日はとりあえずいつもあなたが着ている着物を着て行ってください。それとスケッチブックとpadを持って言ってね。あと行く前に、髪の毛カットしてね。10時30分に予約しておくから。」
「・・・わかりました。なんだか緊張してきました。」
「そうよ。大きなプロジェクト。あなたの為に多くの人が動きます。ありがたいことよ。だから精一杯のことをやって頂戴。全て自分の為よ。」
「・・・はい。」
丁度並木が仕事を終え、店から出てきて、俊介を送ってくれると言ってくれた。俊介は久しぶりに自分の家に戻っていった。
「MOTOKI君、悪いけど残業してくれる? マークが戻ったらもう一度ミーティングをしたいの。私はTransformerに居るから何時でもいいから呼んでください。そのことマークに連絡してね。それと、今ここにある生地台帳集めておいてね。」
「わかりました。マークが戻りましたらご連絡します。」
マークは21時にブティックRinに戻ってきた。
「綾さん、マークが戻りました。」
MOTOKIから連絡が入った。
「すぐ行きます。」
綾は二人の為に巧に頼んでおいたサンドイッチとドリンクを持って行った。
「綾さ~ん、遅くなりました。」
相変わらず夜でもハイテンションのマークだった。
「はい。二人ともお腹すいているでしょ。これを食べて。」
二人は喜んで食べた。
「それで、マークは何しに京都に行っていたの?」
「生地探しです。京都で若手着物作家が新しく開発した素材で着物の展示会をやるという情報を得たので飛んでいきました。サンプルも持ち帰りました。」
「Good JOB! マーク。ありがとう。ホントその行動力うれしい。」
「いゃーん、久しぶりに綾さんに褒められたわ。まあ、生地見てもう一度褒めて!」
3人で生地を見た。
「マーク、いいじゃない。何度でも褒めてあげる。」
「じゃあ今度デートして。」
「それとこれとは別! バカなこと言ってないで仕事するわよ。」
「ハハハ。了解! 」
今回のマークが仕入れてきた生地は、若い人の感性が入りながらも伝統も忘れないという職人の想いが表現出来ており、素材感も良かった。
「ねえマーク、これはシルクでしょ。」
「そうです。でも洗えるシルクだそうで、従来の着物のシルクとは違います。」
「そう。新しい素材なのね。MOTOKI君も触ってみて。」
「綾さん、これだと俊介さんが言っていた重さや肌触りの点もOKだと思います。」
「よかったわ。俊介さんの反応が楽しみね。」
この工房とコラボをすることをマークは打診してきたという。俊介にも見てもらうが綾はここの素材を使うことに決めた。
MOTOKIが作ってくれた問題点についてと、MOTOKIの着物担当のこと、明日の打ち合わせのことも三人で打ち合わせた。
(もうひとつ、若い着物作家という新しい要素が増えた・・・明日が楽しみ。)
綾は、Transformerに戻った。
「巧~久しぶりにカクテル何か作って~」
「何でもいいんですか?」
「巧のセンスに任せるわ。」
巧は少し悩んだが、今日の綾さんにはこれが良いと作り始めた。
シェイカーの小気味よい音を聞きながら綾はカウンターで巧を眺めている。
「綾さん、カイビロスカです。」
「あまり聞きなれない名ね・・・」
「カイビロスカはウォッカにライムと砂糖を加えてキンキンに冷やしたものです。カクテル言葉は『明日への期待』です。」
「なるほどね。明日で決まるものね。」
「でも綾さん、この一杯だけにしてね。」
「なんでかな? 巧~」
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